得意楽器はボキャブラリー -31ページ目

マイルストーン

今年もホノルルマラソンの季節がやってきた。

僕が走ったのは、20世紀最後のホノルルマラソン。
2000年だったので9年前である。

その経験として強く記憶に残っているのが
一番辛かったのは40キロ地点だったということだ。

たったあと2キロ余り。
でももう一歩前に進むことすら辛くて辛くて
本気でリタイヤしようかと考えた。


今年一年をマラソンに例えると
ちょうどそんなところである。

今年は、僕にとっては転機になるような大きな一年だった。
その分、痛みも苦しみも伴う、そういう年だった。

ちょうど9年前、ホノルルマラソンを走った頃も大きな転機だった。

9年前が状況や環境といった生きる道の変化だったとすると
今年は自分の人生の歩き方そのものが変わり始めた年だと思う。


そんな年を象徴するのが夏の24年ぶりの剣道の稽古であったり
昨日の十数年ぶりのライブ出演なのであった。

それは、9年前にホノルルマラソンを走ったということと同じく
自分にとってのマイルストーンになるものだと思う。

但し、反省すべきはそのチャレンジスピリットに対して
地道な努力が欠けることである。

昨日も、to pieceには大変不安な思いをさせたと思うが
僕の我儘に付き合ってくれた二人には感謝している。

演奏は完璧には程遠いとしても、笑い話で済む程度でよかったと思う。
何より、自分としては気持ちよく演奏できたことがよかったと思っている。


ひとつ肩の荷は下りたもののまだまだ苦しいレースは続く。


ホノルルマラソンを走った経験で得たものをもうひとつ挙げるならば
人間は苦しみや痛みを経て強くなるということである。

完走した後の一週間、まともに歩けないくらいの痛みを経験した体は
その後、ハーフマラソンや富士登山でも大したダメージを受けることがない。


残されたあと2キロを全力で走り抜きたいと思う。



それから、新しい目標として
10年ぶりとなるホノルルマラソン出場を来年目指したいと思う。



敗北感

いつもは、ササっと済ませる昼飯を
今日は「何かを食べに」出掛けようと思った。

朝から、ラーメンな気分だったので選択肢を思案すると
少し気になっていた「蒙古タンメン」を食べようと思い立った。

ところが、僕は辛いものは好きだけれど苦手なのだ。

まさに自殺行為なのだけど、そうと分かっていながら犯したくなる。
どうしても止められない。

味噌タンメン(辛さレベル3)と定食セット(麻婆豆腐付)を注文。

辛い。
汗は吹き出るし、目はかすむし。
味を訊かれても「辛い」としか答えられない。
なんとか完食を目指すという試練のようなものだ。

相席をお願いしますと言われて見上げると大柄な女性が一人。


しばらくしてその女性の注文が運ばれてくる。
同じく定食セットだけど、真っ赤なスープは僕のより遥かに辛そうだ。

せっせと平らげていく女性。
小学校のとき、自分より高い跳び箱が跳べる女の子を見るような気分だ。

僕は今でも
「すごくたくさん食べる女性」とか
「すごく腕相撲が強い女性」みたいに
どこか男らしい女性に憧れを感じたりする。

なんにもできなさそうな安田美沙子が
ホノルルマラソンを僕より遥かに速い記録で走ったりすると
それだけで憧れてしまったりするのだ。


それはともかく
今は目の前のオネエちゃんに負けるのも悔しいので
彼女より早く食べようと頑張った。
だけど、僕が滝のような汗を拭いている間に逆転されて
彼女は涼しげな顔で箸を置き席を立ったのであった。

時間差と辛さの差という
二重のハンデにもかかわらず負けてしまった。




だからなんなの?



ペタしてね

詩心

今日の朝日新聞の朝刊に谷川俊太郎のインタビューが載っていた。
現代においては、「詩」というものが失われつつあるということが書かれていた。

谷川さんの定義によれば
人間は宇宙内存在として生まれ
社会内存在として育つ。

その人間が持つふたつの存在性の中で
詩は宇宙内存在から生まれるものだそうだ。

例えば、とても美しい風景に出会ったときに
「キレイだなあ」という言葉では言い表せない感情が詩情であり
それを言葉に置き換えたものが「詩」になるらしい。


昔、ビートニク(ビート文学)にカブレていた頃に
ジャック・ケルアックだのウィリアム・バロウズなどの詩を読み漁ったけれど
抽象的な世界すぎて全く理解できなかった。
ただ、彼らの言葉はいろんな色彩や風景になって頭に焼き付いている。
それが、「詩」というものなのだろう。


デジタル化の世の中では全てが二進法で
YESかNOかのどちらかに分類され、その中間はない。


僕も当然社会内存在として生きているので
日々、YESかNOかの選択を迫られ右往左往している。

自分の心の声に耳を澄ます余裕なんてなく
自分でも自分が何なのか、何がしたいのか分からなくなっている。


とはいえ、社会内存在として片付けなきゃいけない当面の問題が山積だし
宇宙内存在としての自分を感じられるなんてまだまだ先みたいだ。


とりあえずは、今日あたり旨い酒でも飲みながら
心の声に耳を傾けられればいいのだけど。