詩心
今日の朝日新聞の朝刊に谷川俊太郎のインタビューが載っていた。
現代においては、「詩」というものが失われつつあるということが書かれていた。
谷川さんの定義によれば
人間は宇宙内存在として生まれ
社会内存在として育つ。
その人間が持つふたつの存在性の中で
詩は宇宙内存在から生まれるものだそうだ。
例えば、とても美しい風景に出会ったときに
「キレイだなあ」という言葉では言い表せない感情が詩情であり
それを言葉に置き換えたものが「詩」になるらしい。
昔、ビートニク(ビート文学)にカブレていた頃に
ジャック・ケルアックだのウィリアム・バロウズなどの詩を読み漁ったけれど
抽象的な世界すぎて全く理解できなかった。
ただ、彼らの言葉はいろんな色彩や風景になって頭に焼き付いている。
それが、「詩」というものなのだろう。
デジタル化の世の中では全てが二進法で
YESかNOかのどちらかに分類され、その中間はない。
僕も当然社会内存在として生きているので
日々、YESかNOかの選択を迫られ右往左往している。
自分の心の声に耳を澄ます余裕なんてなく
自分でも自分が何なのか、何がしたいのか分からなくなっている。
とはいえ、社会内存在として片付けなきゃいけない当面の問題が山積だし
宇宙内存在としての自分を感じられるなんてまだまだ先みたいだ。
とりあえずは、今日あたり旨い酒でも飲みながら
心の声に耳を傾けられればいいのだけど。
現代においては、「詩」というものが失われつつあるということが書かれていた。
谷川さんの定義によれば
人間は宇宙内存在として生まれ
社会内存在として育つ。
その人間が持つふたつの存在性の中で
詩は宇宙内存在から生まれるものだそうだ。
例えば、とても美しい風景に出会ったときに
「キレイだなあ」という言葉では言い表せない感情が詩情であり
それを言葉に置き換えたものが「詩」になるらしい。
昔、ビートニク(ビート文学)にカブレていた頃に
ジャック・ケルアックだのウィリアム・バロウズなどの詩を読み漁ったけれど
抽象的な世界すぎて全く理解できなかった。
ただ、彼らの言葉はいろんな色彩や風景になって頭に焼き付いている。
それが、「詩」というものなのだろう。
デジタル化の世の中では全てが二進法で
YESかNOかのどちらかに分類され、その中間はない。
僕も当然社会内存在として生きているので
日々、YESかNOかの選択を迫られ右往左往している。
自分の心の声に耳を澄ます余裕なんてなく
自分でも自分が何なのか、何がしたいのか分からなくなっている。
とはいえ、社会内存在として片付けなきゃいけない当面の問題が山積だし
宇宙内存在としての自分を感じられるなんてまだまだ先みたいだ。
とりあえずは、今日あたり旨い酒でも飲みながら
心の声に耳を傾けられればいいのだけど。