ジュビリンち

ジュビリンち

犬と暮らす自営業。
晴れの日も雨の日も、
自分も周りもよい加減で
元気でいられることが
大切と思うこのごろ。

孔子の論語には名言がいくつもある。

 

 

 子曰く、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、
矩を踰えず

 

これもそう。

 

四十にして惑わず」とは、平たく言ってしまうと「四十才になり迷うことがなくなった」ということだ。

10代から学び続け、ようやく40にして惑わずの境地に達した孔子の言葉なので、へらへら生きてきた凡人の私にあてはまるわけもない。

 

それでも、40代は大きな問題では迷ったり悩んだりしたことはあった、人並みに。

でも、日常レベルで迷うことは、ほとんどなかった。

 

例えば

ダイヤオレンジちょっとおしゃれして友達とランチにいくときに、何を着ていくか

ダイヤオレンジ夏に3日間、旅行にいけそうだから、どこに行こうか

など。

 

ところが、「惑わず」の年代をとっくに過ぎた最近、ちょっとしたことで迷うことが多くなった。

よくいえば「熟考するようになった」だけれど、そうではなく「決断力がなくなった」、「決定を先延ばしするようになった」ということ。

 

それを再認識したのが今日ガーンガーンガーンガーンガーン

 

今年の秋に行われる全国手話検定試験を受けようと決めて、ネットで申し込みをした。

この試験の申し込みは6月6日から7月31日まで。

 

試験のことを知ったのは6月の中旬だった。

そのときに、受けようと思ったニコニコけれど、受験料が値上がりしたなあ、テキストを買わなくっちゃなど、ぐだぐだ考えているうちに6月が終わってしまった。

 

そして、今日。

 

申し込みについて「※各会場は定員を設けています。定員に達した会場は締切日前でも申込を締め切ります。」の一文を見つけたけれど、あまりに気にしないで会場選択まで進んだら、もう名古屋の会場は定員に達したようで、募集をしていなかったえーんえーん

 

なんと、なんとびっくりびっくりびっくりびっくりびっくり

 

うだうだ先延ばししているうちに、こんなことになってしまったショボーンショボーンショボーンショボーンショボーン

 

こんな私だから、実年齢は

五十にして天命を知る

をすぎ、

六十にして耳順う、

にならなくてはならないのに

 

60歳で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになる」というのは10年先、いや15年先になってしまうかも。

 

ドキドキ。

意固地なおばあちゃんになりませんようにキョロキョロキョロキョロキョロキョロ

2015年、東京は森美術館の「村上隆の五百羅漢図展」に行った。

村上隆という現代芸術家がいるということくらいしか知らずに行って、仰天した。厳粛なんだけれど、どこか愛らしくて作品にすいこまれてしまった。

 

美術館には数は多くないけれど足は運んでいるし、海外の絵画作品が日本にやってくると見に行っていた。海外旅行では必ず美術館に行った。

 

だけど、ずっとここにいたい!と思ったのは、初めてだった。

 

それから何年か前に、ユニクロと村上隆さんがコラボしたTシャツが発売されて、ふだんそういうものは買わないのに、買ってしまった。

 

それから時が流れて。

今年の3月くらいにヘアサロンに行った際に、「Casa BRUTUS」を見たら、なんと「村上隆」という文字が目に飛び込んできた。国内で約8年ぶりに大規模な個展が開催されるという特集記事だった。

その名も「村上隆もののけ京都

 

夢中で読んだ。

そして、ずっと前のJRのコピーではないけれど「そうだ 京都 行こう」と思った。

 

そして、ようやくその日がやってきた。

会場は京都市京セラ美術館

 

 

入場してすぐに目を見張るような圧巻の景色。

あ、あ、会いたかったですキラキラ』と見上げる私。

 

それからアドレナリンでっぱなしダッシュで会場を回って、出口まで来ると、また戻ってもう1回、たくさんの作品を堪能させてもらった。

もう夢見心地

 

▲風神。作品を前にしてスタンプで加工してごめんさない!

 

京都から帰って1日が経って、少し落ち着いて考える。

なぜこんなに村上隆さんの作品に心ひかれるか、好きなのか

 

言葉にするといろいろ浮かぶ。どれもあてはまるようで、でもピンとこない。

 

好きな理由なんて考えてもしかたないのかもしれない。

そういうことを考える以前に、心が震えてしまうのだから。

 

好きってそういうことでいいんじゃないかな。

 

 

今週、月に1度の読書会があった。毎回、2人が好きな本について発表する形式の読書会だ。

 

今回、発表した人の感想に

「つくづく、自分はセレンディップな毎日を過ごしているのだと思う。」

という一文があった。

 

これがどういう意味なのか気になって、あとの話がうわの空な私。その人の発表が終わって、各自が感想を言ったり、質問をする時間となるのだが、誰も「セレンディップな毎日ってどんな毎日?」と聞かない。

みんな知ってるってこと? 

 

ええい、聞いちゃえ!

 

 

すると、英語がお得意なメンバーが

セレンディピティ(serendipity)が元の言葉で、その意味は思いもよらなかった偶然がもたらす幸運とか、探しものをしているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること

と説明してくれた。

 

発表した人が言いたかったことは、発表した本(西村京太郎の「四つの終止符」)をたどっていったら、別の本に出会い、そこからまた別の本に出会い、なんと、就職して初めのお給料で買った、花のイラストと花言葉が書いてある本につながっていったということだった。

 

そういうつながりを考えていくと、日常のなかにセレンディップなことがけっこうあると気が付いたそうだ。

 

なるほど。

 

その意味することはわかったけれど、自分にはそんなことって日常にあるのかな。

今週、あれこれ考えてみたけれど、思いつかない。

 

でも。

 

さっき気が付いた。

この言葉が気になっていて、

「そうだ、これについてブログに書いてみよう」と思ったことが、私にとってのセレンディップなことだ!

 

おあとがよろしいようで