ジュビリンち

ジュビリンち

犬と暮らす自営業。
晴れの日も雨の日も、
自分も周りもよい加減で
元気でいられることが
大切と思うこのごろ。

暑い、暑い……。

玄関を開けると熱気が襲ってきて、一瞬、息苦しくなる。

 

不要不急の外出を控えようと思う私。

本来、お出かけ好きだけれど、さすがに熱中症が心配なので。

 

それで、ふと思い出したことがあった。

今から20年くらい前のことかなあ。

 

 

その頃、私はどっぷりJリーグにはまっていたし、お芝居好きでチケットが取れれば嬉々として出かけていたりと、週末はほとんど家にいなかった。

 

一方、家人はというと。

まったり家派で、食事に出かけるのも面倒だったりする。

 

ある日、私が朝から出かけ、夕方に帰ってくると、家にあったバナナ3本がない。

家人に聞いてみると「お昼に食べた」と。

当時の家の前はコンビニだったので、「買いに行かなかったの?」と聞くと、「出かけるより家にあるものを食べたほうがよい」とのこと。

1日バナナ3本?

ちょっとビックリ。

では、今日はどう過ごしたのだろう。

 

私は続けて聞いた。

「今日は何してたの?」

 

家人いわく

「何を考えようか考えてた」

 

これって、名言? それとも……?

 

先日、ある試験を受けた。

合格するレベルに達していないにもかかわらず受験したので、結果は……まあ、予想通りだと思っている。

 

その試験の受験日直前、受験することを知っている方から「楽しんで」という言葉をもらった。

私は、ダメだとはわかっていても、眉間にシワが寄っている、ちょっと切羽詰まった状態だったので、そういう言葉がすっかり頭から抜け落ちていた。

 

そうよ、楽しめばいいじゃない。

 

ということで、当日は、深呼吸したり、会場で会った知人と話したりしたので、まったく緊張しなかった。

試験の雰囲気を味わう、これを楽しみと思うようにしたのだ。

 

といっても実力以上の力は出せないのだから、結果は変わらないのだけれど。

 

 

それから今日まで、ふと頭に浮かぶことがある。

楽しい楽しむの違いだ。

 

「楽しい」は、品詞としては形容詞。気持ちを表す表現で、「推し活が楽しい」のように、自然に心から湧き出る気持ちのように感じる。

 

一方、「楽しむ」は品詞としては動詞。動詞は動作や状態を表す品詞で、「楽しむ」は動作を表す言葉と思われる。

ということは、そこには主体的な作用が必要だと思われる。心だけでなく、脳で考えての言葉?

 

だから、何かを楽しむには、自分にとって楽しいとはどういうことかを考える必要があるのかな。

 

私の場合は、試験会場の雰囲気を楽しもうと思った。雰囲気を知り、来年の再試験で緊張しないように「場」を客観的に観察しておこうと思った。

それでよかったと思う。

 

あとは、それを活かせるように、来年にむけて、くさらずさぼらず学ぶこと。

……これを楽しむのが難しい。

 

我が家の隣家は空き家になっている。

我が家は坂道に面していて、隣家と我が家では隣家のほうか坂道の上のほうになる。

そんなわけで、春から夏にかけて、雑草や大きな木の葉っぱがフェンスごしに元気よく伸びだしてくる。

家主の方が、年に数回は雑草などの処理に来ていて、『気にされているんだなあ』とは思っていた。

 

先日、軽トラが隣家に止まっていた。

そして、「ブーーン、ブーーン」と音がする。

なんと、なんと、それは造園業者さんのトラックで、隣家の木を切っている。

木がかわいそうと思ったけれど、家主さんなりの限界を感じていたのかなあ。

2日にわたり、庭木の処理は行われ、除草シートまで貼られた。

 

それから数日して、何気なくフェンスごしに隣家を見ると!

 

(手前のグレーの柵が我が家のもので、グリーンの金網は北側のマンションにむけて隣家が設置したもの)

 

え…。

ええ?

えええ!

 

隣家の木が、金網を突き抜けて生長していった証。

 

こんな障害があっても、生長するパワーがまさったのだ。

思わず「歓喜の歌」を口ずさんでしまった。

こんな状態になっても、生きた証を残している。

あっぱれです。

 

実は私、明日、ある試験を受験します。

合格の可能性はほぼなし。

合格した先輩からは「楽しんでいこう!」とアドバイスをもらったけれど、なかなかそんな気分にはなれそうもなかった。

でも、この木にも元気をもらった。

自分なりに楽しんでいくことを考えている。