Rwanda滞在記 ジェノサイドメモリアル訪問② | Daraja -from Kenya-

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ケニアのこといろいろ

キガリ市内からバスで二時間半かけてHUYEという街へ。

そこから更に30分ほどバスに乗りNYAMAGABEという街へ。またそこからバイタクに乗りMURAMBIという街へ。


ここにあるメモリアルセンターが一番大きいと思われます。
周りは沢山の緑に囲まれ、とても静かでのどかな場所。


ここのメモリアルセンターも展示がしっかりとなされていた。映像等は人が頻繁に来ないからなのか、もとの電源から切られていて見れなかったけど。。。

ツチ族とフツ族を分け、判別をできるようにこうしたものが作られた。

銃、ナタ、斧などで次々と虐殺をしていきました。

ここには、今までに訪れたメモリアルセンターの何倍もの犠牲者の方の遺体が保管されている。

この建物の部屋すべて。それでもまだ見つからない人がいるという。

おそらく、24部屋ほどだと思うが、その中に胎児らしき小さな子供~大人まで沢山の白骨化した遺体が保管されていた。
骨の状態は本当に様々で見ているだけでどういった形で襲われたのか安易に想像ができるほどだった。
もちろん、遺体としてではなく、骨がバラバラになって見つかった人も多数なので、頭蓋骨だけや一部の骨だけを保管している部屋もあった。

ここに保管されている遺体は全てこのセンターの周りに捨てられたり、山積みにされていたとのこと。
それを全て移動させたんだと。


このMURAMBIののどかな風景を見て此処で虐殺が起きたと考えると背筋がゾッとした。

 

 

ただ、やはり日本で生まれて守られて育ってきた私には彼らの苦しみや悲しみなど到底想像できるわけもなく、冥福を祈るとともに、ただただ自分が同じ立場で果たして憎しみを赦しに変えて前を向けるのだろうかと思った。

 

複数のジェノサイドメモリアルを訪れてネガティブなパワーを感じなかったのは、ルワンダの人達がジェノサイドを乗り越え、常に前を向いて今まで来ているからこそだと思いました。

 

私は遺体の写真を撮る気にはならなかったのですが、気になる方はムランビジェノサイドとかで検索してもらうとblogにのせてる方の写真みれます。