ここは東京のまんなか

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恐怖政治についてもう少し詳しく(=⌒▽⌒=)


 内外の危機に直面したジャコバン派は、1793年6月2日、サンキュロットの力を背景にジロンド派を国民公会から追放して国民公会の指導権を握り、以後急進的な諸改革を次々に強行した。


国民公会は、まず「1793年憲法」を採択した(1793.6.24)。1793年憲法は、ジャコバン憲法とも呼ばれ、人民主権・男子普通選挙・抵抗=蜂起権・人民の生活権などを主な内容とし、1791年憲法に比べてはるかに民主的な憲法であった。国民投票で承認されたが、革命の激化で実施が延期され(1793.10)、結局実施されなかった

 また7月には「封建的貢租の無償廃止(封建的特権の無償廃止)」を最終的に確定した(1793.7.17)。封建的貢租の無償廃止はジャコバン派が行った改革のなかで最も重要な改革であり、これによって領主権の無条件・無償廃止が行われた。 1789年8月の封建的特権の廃止宣言では、貢租の廃止は有償とされ、貧しい農民の大部分は依然として貢租を負担し続けてきたが、この土地改革によって貢租が無償廃止され、多数の農民は中小土地所有者となり、以後フランス社会の中間層を形成していくことになる同時に国外に逃亡した亡命貴族や聖職者から没収した土地(国有財産)が分割されて競売に付された

 さらに徴兵制の実施(1793.8)・革命暦の制定(1793.10.5)・理性の崇拝(1793.11)・メートル法の実施の決定などが行われた。

 徴兵制は、1793年2月に30万人の募兵を決定し、同年8月には世界史上初めて全国民を対象とする徴兵制が決定された。

 革命暦は、反キリスト教の立場からイエスの誕生を紀元元年とするグレゴリ暦を否定し、第一共和政が成立した1792年9月22日を紀元第1日とし、1年を12ヶ月、1ヶ月を30日、残りの5日をサンキュロットの日として祭日とし、また1週7日制も廃止されて10日ごとに休日を設けた暦で共和暦とも呼ばれる。 月の名前も全て自然現象から命名され、9月22日より30日間はヴァンデミエール(葡萄月)、10月22日より30日間はブリュメール(霧月)、以下霜月・雪月・雨月・風月・芽月・花月・草月・収穫月、7月19日より30日間はテルミドール(熱月)・実月のように呼ばれた。革命暦は1793年10月5日に採用が決定され、1805年9月にグレゴリ暦への復帰が決定されて1806年1月1日に正式に廃止されるまで続いた。

 理性の崇拝は、反キリスト教運動のために行われた合理主義的な宗教儀式で、1793年秋からパリをはじめとして各地で行われたが、ロベスピエールは1794年春にこれを廃止して最高存在の崇拝に代えた。

 またメートル法は、度量衡の統一が行われた1790年から進められ、1793年に国民公会で実施が決定され、1799年に正式に採用されて現在では全世界で行われている。パリを通る子午線(地球の周囲)の4000万分の1を1mとしたが、これは度量衡の基準を不動なものに求めた合理主義の現れであった。

 ジャコバン派は、急進的な諸改革を進める一方で、公安委員会や保安委員会の権限を握り独裁体制を強化していった。

 特に事実上の政府とも言うべき公安委員会は、ロベスピエールの加入後(1793.7.26)権威が高まり、ジャコバン派独裁の中心機関となった。

 保安委員会は、国民公会内の委員会として設置され(1792.10)、治安・警察を担当し、公安委員会に継ぐ権限を有した。

 ジャコバン派は、ジロンド派の追放以後、国民公会の指導権を握り、公安委員会・保安委員会・革命裁判所などを指導下におさめ、反対派を圧殺する革命的テロリズム、いわゆる「恐怖政治」(1793.6~1794.7)を行った。

 特に1793年10月16日のマリ=アントワネットの処刑後、多くのジロンド派の人々や反革命容疑者がギロチンで処刑された(10月から12月までに177名)。

 徴兵制の実施によって、フランス軍は60万人以上に達し(同盟国軍は計約40万人)、1793年の秋以後、フランス軍は各地で次々と勝利をおさめ、戦局は好転して対外的な危機は遠のいた。しかし、ジャコバン派が行った経済統制の成果は上がらず、物価の値上がりは依然として続き、また封建的貢租の無償廃止によって土地を得た農民や経済的な自由を求める商工業者は次第に保守化し、ジャコバン派の独裁に対する不満が高まり、恐怖政治への不安も強まった。

 こうした状況の中で、ジャコバン派の指導者内部にも対立が生じたが、ロベスピエールは過激派のエベールや穏健派のダントンを処刑して、ますます独裁を強化した。

 エベール(1757~94)は、大衆新聞を発行してパリ民衆に大きな影響力を持つようになり、民衆運動の指導者となった。ジャコバン派に属して8月10日事件を指導して台頭し、恐怖政治時代にはサンキュロットを代表して最高価格令や理性の崇拝などを要求してエベール派(ジャコバン派の左派)を率いた。しかし、ロベスピエール派と対立し、公安委員会への反乱を企て、逆に逮捕・処刑された(1794.3)。

 ダントンは、ジャコバン派の右派の中心人物として、ダントン派を形成し、革命の過激化を嫌い、恐怖政治の緩和を主張してロベスピエールと対立し、1794年4月に処刑された。

 ロベスピエールは、ダントン処刑以後完全な独裁権を握り、革命の徹底化をはかり、反対する者を反革命容疑で続々と逮捕・処刑し、恐怖政治は絶頂に達した。

 1794年5月には346人が、6月には689人が、そしてピークの7月には936人がギロチンによって処刑された。

 この間、ロベスピエールの独裁に反感を持つ人々によって反ロベスピエール派が形成され、彼らはロベスピエール打倒に動き始めた。ジャコバン派の国民公会議員の中にも、その地位を利用して私腹を肥やしてきた人など、ロベスピエールの告発を恐れる人々がいた。 彼らは自分がギロチンに送られる前に、先手をうってロベスピエールを倒そうと考え、ジャコバン派以外の国民公会議員と結んで反ロベスピエール派を形成した。

 1794年7月27日(革命暦テルミドール9日)、この日開かれた国民公会は反ロベスピエール派による演説妨害・ロベスピエールへの攻撃演説で大混乱に陥り、その混乱の中でロベスピエール派の逮捕が決定された

 ロベスピエールはいったん逮捕されて監獄に送られた。しかし収監を拒否されてパリ市役所に逃れたが、翌28日午前2時頃、市役所は反ロベスピエール派の国民公会部隊に襲われ、ロベスピエールはピストル自殺を図ったがあごをくだいただけで失敗に終わり、再び逮捕された。そして革命裁判所で形式的な尋問を受けただけで死刑の宣告を受け、28日の夕方に処刑された。

 これが有名な「テルミドールのクーデタ(テルミドールの反動)」である。これによってジャコバン派の独裁と恐怖政治は終わりを告げた。
フランス革命について(赤と黒の時代背景メモ①)

フランス革命が始まる18世紀末、フランスではイギリスとの長期にわたる植民地戦争に敗れ、財政状態はガタガタになっていました。凶作下でも農民の負担が軽くわけではなく、農民の不満は高まっていました。時のフランス国王ルイ16世は財政再建のために、聖職者、貴族といった特権階級からも課税するために、三部会を召集ました。三部会は、聖職者、貴族、平民の代表者が集まる会議で、1615年以来開かれていませんでした。平民代表はこれまで大変大きな税負担を強いられてきましたので、聖職者や貴族といった特権階級とは対立が深まりました。しかし、旧制度に批判的だった一部聖職者と貴族代表は平民とともに6月、国民議会を発足させました。7月、国王ルイ16世もこの議会を承認し、政治変革は一段落したかに見えました。

しかし、社会不安を解消することはできず、1791年以来反革命勢力はしだいに増大しつつあった。亡命貴族(ユミグレ)たちは、革命の波及を恐れるオーストリアなどの援助のもとに、コブレンツやマインツなどに集結して革命の打倒を画策し、聖職者たちは国内各地で反革命を扇動していた。

これまで積ってきた都市市民の不満が7月14日、バスティーユ牢獄への襲撃という事件を引き起こします。ちなみにその日、ルイ16世の日記にはただ一言、「何事もなし」と記されていたとされます。この時、ルイ16世は、事態の大きさを全く理解していませんでした。

大恐怖」と呼ばれる農民蜂起が起こったのはそれから間もなくでした。それはフランス全土に広まり、国民議会は中世以来の身分制度を廃止し、封建的特権を廃止することを決議します。8月26日にはラ・ファイエットが提唱した『フランスにおける人間および市民の権利に関する宣言(フランス人権宣言)』が決議されました。

1791年8月、フランス革命の波及を恐れたプロイセン、オーストリアはピルニッツ宣言を出してフランス革命に介入する用意があることを宣言。これに対して92年3月に成立したジロンド派政権は4月オーストリアに宣戦布告。革命戦争がはじまりました。戦局はオーストリア・プロイセンの連合軍が有意に進めます。これに対し、ジロンド派の政敵のロペスピエール率いるジャコバン派は義勇軍の結成を訴え、フランス全土に呼びかけます。こうしてフランスを救うために集結した義勇軍は、92年9月20日ヴァルミーの戦いでフランス領内に侵入していたプロイセン軍を撃退しました。この時、プロイセン軍に従軍したゲーテは、「この日、ここから世界史の新しい時代が始まる」と書き残しました。その翌日、普通選挙がおこなわれ、フランスは共和政に移行しました(第一共和政)。

1793年1月のルイ16世の処刑によりヨーロッパ中が実感することとなりました。イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアなどの列強は対仏同盟を組みフランスに圧力をかけます。このころ、フランスの政局はどちらかといえば穏健派でルイ16世の処刑にも反対していたジロンド派はその力を失い、強硬派でルイ16世の処刑なしに革命は終わらないと主張するジャコバン派が勢力を握っていました。93年6月にジャコバン派が政権を握るとジロンド派を追放し、恐怖政治が始まります。食料の強制徴収、革命精神の鼓舞、カトリックの抑圧、理性崇拝などが推進され、反対する者は容赦なくギロチンの断頭台に送られました。かつての王妃マリー・アントワネットやロラン夫人など35,000人もの人たちがギロチンによって首を落とされました。

1794年7月に恐怖政治は突然終わりを迎えます。テルミドールの反動と呼ばれるクーデターによって国民公会のジャコバン派は全員逮捕されました。恐怖政治を推進していたロペスピエールもギロチン台に送られました。これによって、フランス革命は、ひとまずの区切りがつきます。そのあとの樹立された総裁政府は権力の基盤として軍部への依存を強めていきます。1795年の王政復古を目指すヴァンデミールの反乱の鎮圧に活躍したのが当時26歳のナポレオン・ボナパルトでした。イタリア遠征、エジプト遠征でさらに名を挙げたナポレオンは、99年にクーデターでフランスを掌握すると、1804年に皇帝に就任します。フランスの第一共和政は終わりを迎えました。


出典
http://turning-point.info/kakumei.html
相手よりも多くその人のことが好きな方が負けであるとよく書いてあるけれども
本当にそれはそうで、

その相手の行動によって気持ちが高まったり、
どん底におとされたりするわけです。

一方、自分よりも相手の方が気持ちが強い場合は、
自分は比較的余裕を持って冷静に対処ができるから、
まちがった行動をしたり、ばかな気持ちの発露をすることもないわけで、

それはつまり、いつまでたっても優位にたてるということです。


赤と黒を読んでいて

ジュリアン(主人公)がマチルドという貴族の娘に恋をして、
少しの間、気持ちが通じるのだけれども、その何日か後にはマチルドは心変わり
をして少しも相手にしてくれないという不幸にみまわれます。

それで、ジュリアンはどん底に落ち込むんだけれども、
ある、恋愛慣れしたイギリス人に指南をうけてその教えどおりに実行するわけです

①マチルドには恋愛関係になる前の一知人としての態度をとること
(嫉妬したり、気持ちを伝えたり、逆に冷たくしたりしてはいけない。)

②マチルドの近しい女性に恋をしかけること
(その際、あからさまに相手の女性に行為を示すのではなく、手紙をかく。)



これをジュリアンは実行してマチルドの気持ちを最終的に得ることができます。



たしかに、この方法は一理あるような気がします。
ようは、自分と相手との関係性のバランスを補正するわけです。

今までは自分ばかりが好きだった関係から、
①によって自分に相手への気持ちをゼロにする(とみせかける)ことによって
相手とバランスを対等にします。

そして②によって相手が嫉妬をしてきて、自分のことを気に掛けてきたら
もしかしたらバランスを逆転する可能性があるわけです。


ただし、これには
①自分の気持ちを抑制しなければならない
②相手が嫉妬してくれるかわからない

というリスクがあります。

②については天に運をまかせるとして、
①については、かなり苦心するかもしれません。(ジュリアンも苦心していました)


やはり自分の気持ちを相手に伝えるとすっきりするし、
そうすることで一時的にではあるけれども発散されます。

状況が好転するのがいつか分からない状況で、それをせずに気持ちを抑制しつづけ、
自分自身平気なふりをするのは、大変な努力かもしれません。







完全に恋の病にかかっている。


会いたくてしょうがない。

電話したくてしょうがない。

そのくせ、いざ会ったり、電話がかかってくると

緊張して話ができない。




わーーーーーーー


今日なんだか神頼みがしたくなって、

明治神宮にいってきました。




なんか、神頼みなんてまったくがらにもないことなんだけれども、
先日、浅草の浅草寺で神さまにお願いしたことが
少しかなったような気がしたので

ここはひとつ、もう一度お願いをしに参ろうかと。


で、なんとなく明治神宮しか、行く場所としてしっくりこなかったので
行ってきました。




ちゃんとお願いして、

おみくじ引いて

(あ、明治神宮のおみくじって大吉とか書いてないんだね)



原宿から表参道を歩き、

途中で人が多すぎたので


キャットストリートを左折。


そのままぶらぶら歩いて、やっと青山通りにたどりつく。


外苑前から銀座線にのって帰ってきました。



ちょっとは歩いたけど
痩せたかな。





そして願いは届くかな。


神さま、こんなときだけお願いしてごめんなさい。


赤と黒の上巻を読み終わりました。

あまりおもしろくないなと思いながら読み始めたけれども、
途中から読み進むのが早くなってきて、あっというまに読めました。

ジュリアン・ソレルについて、最初はただの田舎の貧乏人のくせに
野心だけはあって、自己顕示欲が強くて、嫌な奴だなとしか思えなかったけれども、
読み進めるにあたり、彼の人間味がでてきて、
ちょっとづつ、ジュリアンを応援するようになってくる。

こうなると、もう読むのは早くて、

がんばれ、ジュリアン
神学校のいじめっ子にまけるなよってなかんじで
ぱらぱら読めました。


上巻の概要をメモしておくとこんなかんじ

①ジュリアンがレナール町長のおうちに家庭教師として雇われる

②レナール夫人に対してジュリアンが働きかける
(この時点では、レナール夫人はジュリアンのことが好きになっているが、
ジュリアンはその気持ちに気付いていて、それを利用して遊んでいるような書き方。
手をつないでみたり、夜に部屋に密会しに訪れたりする。ここは、ジュリアンが
女ごころを自分の虚栄心のために弄んでいるような状況。)

③レナール夫人の優しい心や実はいざという時の勇気などに触れてジュリアンも
レナール夫人のことが心から好きになる

④レナール氏(レナール夫人の夫)に2人のことが気付かれる。(町中にばれる)

⑤事態をおさめるために、ジュリアンは神学校に入る。
(ジュリアンは神学校でも常に優秀だけれども、最初はまわりの生徒に憎まれる。
出る杭は打たれる的な・・。最終的にはいろいろあって、司祭や他の生徒にも
一目おかれるようになる。ただし、敵はこの時点でもいる)

⑥ジュリアンがパリに行くことになる

⑦パリに向かう途中でレナール夫人の家による
(ただし、最終的には家のものにジュリアンが来ていることがばれそうになり、
窓からジャンプして、屋敷を脱出。下男に発砲されながら、なんとかつかまらずに
逃げる。)


ここで上巻はおわりです。



ふむ。


下巻はパリでのジュリアンの出世の話とかなのかな

なんかレナール夫人がかわいそうだけど。



それはそうと、赤と黒っていったい何を意味しているのかな。
まあ、wikiればすぐわかるんだけど。

赤が情熱で

黒が野心


とか?



ジュリアンはすごくプライドが高くて、そのせいで人に憎まれたりもするけれども、
実は小心者だったりして、それを隠そうと、頑張ってる姿に惹かれます。
一見、なんでもそつなくこなすような人でも、実は裏側ではものすごーく
努力していたりしているのかもしれないですね。

それを、ただ表面だけ見て、自分は何の努力もしないくせに、
なんだ、あいつは、かっこつけちゃてさっなんて思ってるバカ者は(私も含めて)
きっと、そこどまりなんでしょうね。

ねたんでる暇があったら、努力しろよ



ってことか。

金曜日に深夜の街歩きを楽しんだ後、

凍えて、寝ました。




起きたら12時。



あ、まだ寝れるってんで寝たら



1時。。。。



3時に待ち合わせなんだよなーって起きて、
久し振りにAさんと待ち合わせ。




大手町のカフェで小一時間おしゃべりしてから、


外にあがると、もう真っ暗。




新丸ビルのうらの通りがきれいにライトアップされていて、素敵でした。




そのまま有楽町まで歩いて


マロニエゲートでひつまぶしを食し、


四丁目交差点のドトールカフェでニンゲンウォッチング。





やっぱり彼といると落ち着くわー000



なんでこの人とつきあわないんだろ。


でも、なにかが違うんだよねー



何かってのはいろいろあるんだけど。


やっぱり、恋愛に発展するかっていうのは、

ビビっていうか、なんていうか。。


そういうインスピレーションみたいなものが必要なんですね。



もったいない。

0時に解散した後、

みんなと離れて、2人でぶらぶらぶら。

人通りのない大きい道は開けていてすごく素敵。

中央通りから国際フォーラムへ、

誰もいない、国際フォーラム。

タクシーと、道路工事の明かりと、街は静まり返っていて、

まるで、昼間とはうってかわって、

気分はWE HAVE THE WORLD !!


ww(痛い)



寒かったなー


でも、楽しかったなー


深夜に街をぶらつくってとっても素敵


それが誰かと一緒だとなお良い


さらに、それが好きな人だと気分は天国



だけど、この人は迷いの森にいて

きっと当分、迷って、結局答えは同じなんだろうな。




ゼルダか!!!
アンナカレーニナというトルストイの小説がありますが、
そのなかにこんな場面がでてきました。

レーヴィンという青年(といっても30代前半)がキチイというとってもかわいらしい
女性にプロポーズをするのだけれども、断られてしまうんです。
それに絶望して、レーヴィンは田舎貴族として農業に打ち込むんですね。

それで、労働するってすばらしいことだなって
農民たちをみて思う。
そして、一晩中眠らずに、空を見ながら考えていて、
結局、明け方、一つのきれいな雲をみながら、
自分も農村の中で、労働をしながら働いていこうって決意するんです。
もう恋に悩むのなんてやめるんだって
ふっきれたわけです。


そんな決意にあふれて、家に帰ろうとした帰り道に
偶然、馬車に乗ったキチイと一瞬すれちがいます。


キチイは長旅に疲れて、おそらくさっき起きたばっかりの様子で
レーヴィンには気づかず
ぼんやり馬車の窓から外の風景を見ていました。


一瞬だけだけれども、
そんな彼女をひさしぶりにみたら、
さっき、まるで啓示をうけたみたいにふっきれたと思えた
さっきの決意なんてまるでなかったみたいに、
あの象徴的に思えた空の雲も何の意味もなかったかのように、

もう彼女のことしか考えられず、

あぁ、やっぱり自分はいまでも彼女に恋をしているんだ、
って思わされるんです。

そしてあんな決意なんてすぐに忘れてしまうんです。



っていうシーンがあって。
憶えてたんだけど、

私も、先日、同じような経験をしました。


やっぱり、忘れようと思っていても、その人の姿をみるだけで
すぐに色々今まで考えていたことなんて、まるで何の意味もないみたいに
気持ちが戻って、自分の心を満たしてしまうような・・w


結局、情熱(トルストイ風にいうと)の前では決意なんて何の意味もないんですね。


さて、戻った気持ちをどう扱えばいいか・・

さいきん、19世紀のロシア小説を読んでると落ち着く、、、
という変な癖がつきまして

ドストエフスキーとかトルストイばかり読んでいました。

罪と罰

カラマーゾフ

白痴

アンナカレーニナ


と読んで、
やっとロシア風の長ったらしい名前にもなれてきたのですが、

っここへきて、

ジュリアン・ソレルを投入です。





・・しょうじき、あんまりおもしろくない。。。



やっぱり、悪霊を読むべきだったのかしら。




今日は、気持ちのままに行動しない(?w)と決めてから初日の
出勤日です。
やっぱり、目で追っちゃうなーーー

でも、もう自分の気持ち爆弾をぶつけないと決めたからには、
あまり彼のことを気にしないようにした方がいいのでしょうね。
仲良くしたら、気持ちが高まりそうだし、
高まったら、また爆弾ぶつけちゃいそうだし。


あーーー、
NO MORE 爆弾。。。


しかも、金曜に彼と同じ飲み会に参加するんだよなー
なんか、やだな。
いろいろ、フラストレーションたまりそう。。。


まあ、いいや。