情熱は決意を簡単に忘れさせるということについて | ここは東京のまんなか

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思ったことを書いていきます。

アンナカレーニナというトルストイの小説がありますが、
そのなかにこんな場面がでてきました。

レーヴィンという青年(といっても30代前半)がキチイというとってもかわいらしい
女性にプロポーズをするのだけれども、断られてしまうんです。
それに絶望して、レーヴィンは田舎貴族として農業に打ち込むんですね。

それで、労働するってすばらしいことだなって
農民たちをみて思う。
そして、一晩中眠らずに、空を見ながら考えていて、
結局、明け方、一つのきれいな雲をみながら、
自分も農村の中で、労働をしながら働いていこうって決意するんです。
もう恋に悩むのなんてやめるんだって
ふっきれたわけです。


そんな決意にあふれて、家に帰ろうとした帰り道に
偶然、馬車に乗ったキチイと一瞬すれちがいます。


キチイは長旅に疲れて、おそらくさっき起きたばっかりの様子で
レーヴィンには気づかず
ぼんやり馬車の窓から外の風景を見ていました。


一瞬だけだけれども、
そんな彼女をひさしぶりにみたら、
さっき、まるで啓示をうけたみたいにふっきれたと思えた
さっきの決意なんてまるでなかったみたいに、
あの象徴的に思えた空の雲も何の意味もなかったかのように、

もう彼女のことしか考えられず、

あぁ、やっぱり自分はいまでも彼女に恋をしているんだ、
って思わされるんです。

そしてあんな決意なんてすぐに忘れてしまうんです。



っていうシーンがあって。
憶えてたんだけど、

私も、先日、同じような経験をしました。


やっぱり、忘れようと思っていても、その人の姿をみるだけで
すぐに色々今まで考えていたことなんて、まるで何の意味もないみたいに
気持ちが戻って、自分の心を満たしてしまうような・・w


結局、情熱(トルストイ風にいうと)の前では決意なんて何の意味もないんですね。


さて、戻った気持ちをどう扱えばいいか・・