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いつも口癖が「えれ~」「疲れたな、オイ」という人がいる

                        ――オッサンだ。


仕事の取引先の人で、プライベートで、週一、パソコンを教えている。
 ――といっても、覚える気があるかどうかは微妙だが。
 そうして教えている代わりに、飯をご馳走になったり、京都へ連れていって
もらったりしている。AFSの話もしているし、岡山支部に参加したことはないが、
京都支部のメンバーには会ったことがあるオッサンだ。
そして、今回、学園祭にいく車の運転を・・・・

 さて、僕の行動は、よく人を驚かす。

他支部の子に、
「今日、二つの高校の学園祭をまわるんだ」と話すと、
「一日で2校ですか?!」
 いや片っぽ行ってもしょうがないし、そんなに離れているわけでもないし、
僕からすれば、普通の発想だったのだが
(これが行ってみたら、へとへとに・・・)

いつものように、オッサンの会社で待ち合わせ、私はオッサンの車に。
僕は、一応、スーツで行くので、ラフな格好のオッサンは戸惑った。
 オッサンの会社から、清心は近い。車であっと言う間に着いた。
いや、着いたとは言え、車がとめらないほどの車の量。こんなに人が
集まっているとは思っていなかった。
 その大勢の群れが、清心の坂を上がっていく。その日は残暑も残暑で
猛暑になっており、オッサンと 30前の僕を襲ってきた。
受付には、国際化担当の先生がおられ、私を導いてくださった。導いて
下さったとは言え、お忙しいものだから、最初だけお世話になって、
あとは私たちは勝手に動いた。

 目的地につく前に、カーンに出会った。
 “モモ、本当にきた”という

          驚いた表情に。
 クラースの話しとかしたが、友達と一緒で、ちょっと急いでいた。

僕らはまた歩いた。
 カーンのいるクラスは、(カーンがいることもあって)タイを紹介する展示を
していた。題して、「タイに行きtaaai」である。先生の話ですぐにクラスがわかった。
よし、入ろう と思ったら、オッサンが後ろの椅子に座っている
            ―― “はあ” “はあ”
 ちょっと疲れた と言うがそれどころではないほどだった。
 そのときは、ちょっと疲れが出たのと、いつもの遠慮かなと思ったが、
よく考えれば、その日の暑さがひびいたみたいである。
 僕もちょっと疲れたし、座ってみた。
 
 しかし、座った場所が悪かった。一年生は、もう大はしゃぎで、その
エネルギーにオッサンは圧倒され、さらにひどくなり・・・・

 ちょっと落ち着いてから、僕らは、「タイに行きtaaaai」に入った。
 中には、タイについて、いろいろな説明があった。生徒たちが調べたよう
である。卵の殻で作った作品など凝ったものまであった。中では、
作品などを解説するビデオが流されていた。

僕がAFSの人間と気づく(ネームをぶら下げていたので)と、

生徒さんは、最初から流してくれた。
オッサンとみたのだが、ずっと生徒さんたちの演技で続き、

肝心のタイ人
つまりカーンが出てこない。


 おいおい、最後まで出ないのか、と思ったが、

最後の最後 おまけで
生徒が引っ張りだして、ほぼ一瞬 写った。


 そうそう、カーンは内輪では明るいけど、本当に明るい人の前だと
ちょっと控えるところがある気がする。そういうところを確信した。
 
 そういえば、クラスにも肝心のタイ人がいない。
 というか、みんな探していた。 友達と いろんなところを回っていた。
 友達と手をつなぎながら、クラスに戻ったと思えば、クラスメートたちに、
「○○、10時半からだよ!」と伝える。
 いやいや、そんなの 日本人生徒が留学生に伝えるセリフだろ、と思いながら、
本当にクラスの一員になっている感じを受けた。
 カーンは一応、モモ君こと僕に気を遣い、
「二人だけで良い?(オッサンと、という意味) 案内しようか」と言う。


でも、別に友達といるなら、それを満喫してもらいたかったので、いいよ、と告げた。
 本当はその後、ホストファミリーの妹さんや カーンのAFSでの友達なども来たが
会えず仕舞いだった。
 女子高の若いエネルギーに圧倒されたオッサンは、車に戻った。
 僕は、せっかく来たので、華道部、茶道部をまわり、ぶっかけうどんを食べた。
 一応、カキ氷とマドレーヌを買い、車に戻った。
 マドレーヌがまた、高校時代、広島支部の槇原が学祭で

作っていたような感じだったので、
懐かしい感じがした。
 
 オッサンはひどく疲れをあらわしていた。
 確かに、すごいエネルギーだった。

   暑かった以上に、すごいものがあった。
 男子も(彼氏たちも含まれるだろう)きて、カオスになっていた。

 オッサンは、「金光までは行くけど、外には出れないと思うぞ」
 「学校へは一人で行った方が良いじゃないか」と言っていた。

 まあ、とりあえず、金光へ。

 金光に着くと、ここもまたたくさんの人で。
 でも雰囲気がちょっと違う。ちょうどブラスがはじまって、みんなブラスを聴きに
体育館に集まっていたから、というのも大きいが、やっぱり雰囲気が違う。
ちょうど、気温も下がっており(地域的なこともあるだろうが)、すごしやすい。
さっきのことが違う日の出来事とも思えた。
 
 受付で、国際化担当の先生を呼んでもらった。

4月から担当の先生がかわり、新しい
先生にお会いするのは、はじめてだった。名刺交換をし、ちょっと話しをした。
 留学生のトリムに会おうかとも思ったが、ブラスを聞いているようである。
 とりあえず、先生におすすめを伺うと、自分のクラスを紹介された。
いやいや、なかなか凝った展示だった。和をテーマにして、春夏秋冬を空間分けし、
最後、春をもう一度出し、黒板いっぱいに花をつけていた。
   そして、つい、写真を・・・・

 職員室で、副校長と 仕事の話をした後、茶道部の抹茶を頂戴した。
 ゆっくりとした時間を感じた。
  オッサンも「毎日、一日に、こんな時間があれば・・」とぼそり。

 学祭も一段落したとき、会議室で、トリムと会った。
 折角来たので、ちょっと会いたかっただけなのだが、会議室を用意して
いただいた。
 少し近況の話とかいろいろしていた。
 
 何より、僕を驚かしたのは、オッサンの興奮具合である。
「ノルウェーって○○が有名だよね」「日本にきて△△をどう思った?」など
だんだん、質問ぜめになってきた。
 さっきまで熱中症になりかけていた人とは思えない。
 トリムもいろいろな話しが出来る機会と思ったのか、なんだか楽しそうに
歓談をはじめていた。オッサンがだんだんとハイになっていくのを感じた。


 オッサンはもともと、外国人と話すことに興味があった。
 若いころは、英語がしゃべりたくて、港にいって、乗組員とかに飛び込みで
話しをしたりしていた、という。今ではなかなか躊躇するようになった
ようだが、思いはあるようである。
 また、トリムが良い子なだけに、オッサンは満足だった。
 数分で終わらして帰るつもりだったのが、いよいよ一時間以上である。
  
 帰りの車中、
「彼と良い話しができた。」
    そして、  「若い頃に戻れた気がする」と語っていた。
 でも、
 若い頃に戻れたといっても、清心で目の当たりにしたような
エネルギーにはかなわない、とも。

 
 そして、熱射病じゃ、過労じゃ、
   と言っていたおっさんは、翌日、三瓶山の方までドライブしたらしい。



  何か、火をつけたのだろうか・・・・・


※トリムのクラスは、遊園地の展示をしていた。
 聞けば、ノルウェーをテーマにしたものと決戦投票で決めたそうだが、
 トリム本人が、“遊園地が良い”といったらしい
 

「え?! もう説明会するんですか?」
 大阪事務所長は、私に問い返した。
 いや、ホストファミリーの書類締め切りを
9月末と言っていたのは、大阪事務所長である。
そんな驚かれても、こっちが戸惑う。


 確かに、短期でも、ホストファミリー探しには
苦労するこのご時勢に、9月の中旬には、もう
ファミリーを確保しているのは、珍しいだろう。
 
 外務省主導の企画で10人のアジア生徒と、
1人の引率教員 の計 11人を迎えるのだが、
短期とは言え、ホームステイとれなば、11家庭が
必要になる。それを、9月末までにそろえてほしいと
日本協会本部は言ってきた。
 確かに、その時期にとりまとめられれば、向こうに
どんな家庭がホストファミリーになるかも、早く紹介
出来る。
 
 この取りまとめに、笠岡国際交流協会が動いてくれた。
一人事務局で大変な山田さんが、尽力して下さり、

今回、
ほぼ全員を取りまとめることが出来た。
 私が時々状況を電話で聞いていたのが、プレッシャーに
なったのではないか、とも思われるが・・・・。

 さて、今日は、うち9家庭への説明会である。最初は、
7家庭と聞いていたが、なんと一気に9家庭への説明となった。
正直・・・・・不安はある――“僕のような若造で大丈夫だろうか”
 仕事が終わり、笠岡に着いたとき、協会事務所ではスタッフ会議が
続いていた。
 私は、近くに席を頂戴し、待たせてもらった。

そのうち、AFSおかやま スタッフの
稲垣さんが到着。

ホストファミリー予定者の皆様も揃ってきた。
笠岡国際交流協会のスタッフの方も、ファミリーとして協力してくれる
ことを知り、本当に嬉しかった。
 
 時間もいよいよ7時になり、山田さんより、促された。
 
 気づかれないように、ちょっと深呼吸して、・・・・

 あとは勢いだった・・・・

 AFSの場で、説明なり何なりの場はいろいろあったが、やっぱり
これから関係を作っていくところの、

最初の説明会となると、気持ちも違う。
 やっぱり、稲垣さんがいてくれたのは、ちょっと安心した。 

 ファミリーの顔ぶれは、本当にさまざまだった。老若男女、そして、
初ファミリーもあれば、短期等々を何度もされておられる方も。
でも全体的には、笠岡市民らしい、和やかさが感じられた。
 皆さん、お忙しいなか、本当に心から迎えてくださる様子で、
嬉しく思った。

 この事業は、5年間あり、今年度が2年目だが、昨年度は、ギリギリまで
ホストファミリー探しに翻弄させられた。その不安を一番に感じていたのが
支部長であり、今回、パスしようか、との話しもあったほどだ。

笠岡国際交流協会ならば、という安心感があったとしても、

やっぱり不安なものは
不安なもので・・・
 でも、こうして揃うと、ホッとする。いよいよ本格的に始動したことを
実感した一晩だった。
 
 その後、皆さんを見送ったあと、私と事務局の山田さんとで話しをした。
いつも会議だけで、すっと岡山に帰るので、ゆっくりとお話できたのは、
はじめてだった。
 一人事務局として奔走されていること、晩 事務所に変な人がきたこと、
休日のこと、そして、今回、僕がとにかく説明会を今日開くと言っていたので、
山田さん ゴリ押しで、ファミリーを確保してきたことなど、
いろんな話しを・・・ 
 本当に、感謝しても感謝仕切れないほどである。
 
 さて、腹の空いた私と山田さんは、とりあえず、笠岡ラーメン(?)を食べた。
 
 AFSという団体に10年以上絡んでいれば、

多少、市町村などの国際交流関係者と会うことはあった。

しかし、今回は、これから一緒に ひとつの企画を行う。
 AFS岡山支部だけじゃないことを、こうして強い仲間が出来たことを実感した。
 
 本当に心強い。
   ラーメンを食べながら――これからどんな楽しい時間が生まれていく
のだろうかと思って、ワクワクしはじめていた。
 


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微妙だ・・・。
 会議が16時に終わるというのに、会社を出たのが、15時。
 間に合わない時間になれば、諦めもつくのだが、15時。
 頑張れば間に合う。

 今日は、中四国地域会議である。いつも岡山で開かれる。
土曜日になったので、勤務日の私は欠席したのが、

終わり際、間に合うならば、とは思っていた。
 14時には出るつもりだったが、いろいろあって、15時になって
しまった。
 だいたい、会議後の居酒屋に参加するくらいの気持ちでいたので、
別に、遅れて合流すればよいのだが、間に合うのならば、急いでみた
かった――僕が個人的に「ミスターAFS」と呼んでいる大山守雄氏が
来岡しているからだ。
 日本協会の 前 事務局長で、いまは、名古屋事務所長である。

 経験豊富で、関係機関との交渉には表も裏もよく熟知されており、
何より、考えることが大きい。AFSブランティングにも力を入れて
おられた。
 私は個人的に、AFSの歴史やLP制度についてなど、

メールで
議論をさせていただいてた。
 会議後は予定があると伺っていたので、お会いできるなら、お会いしたい
と思っていた。

 車を飛ばし、一晩置いていても安い駐車場におき、とにかく岡山駅を
走った。旧西口側に出たものの、会場のオルガホールはまだ遠い。
時間は15:55――微妙だ。
 それでも、気持ちを持ち直して、走った。
 スーツはしわしわ、汗は止まらない。

 会場につくと、まだ終わった雰囲気はない。

一応、ちょっと身なりを
整えて、会場に入った。
 16時を過ぎているというのに、会議の内容は、まだ4分の1は残っていた。
 聞けば、会議が白熱して、長引いたのだという。確かに、議題は少ないが、
難しい問題もあるため、そう簡単には終わらなかっただろう。

 会議後、私は周辺の支部役員の方々と話しをした。

この情報交換の機会が
やっぱり大事だ。
 そして、ミスターAFSのところへ。
大山「久しぶり」


狩野「ご無沙汰しています」
大山「最近、あのメールもやってないね」
狩野「私も忙しくしてまして。またしないといけないですが」
 私はちょっと感動していた。

 会場を片付け、私と槇原地域代表(高校のクラスメート)、岡山支部長、
大阪事務所2人、そして、大山氏のメンバーで、居酒屋へ。
私たちがいくいつもの安い居酒屋で恐縮だが、大阪事務所の吉田さんが、
「眺めがいいですね」と言ってくれたのが救いである。

 みんなでいろいろ突きながら、歓談していた。
 小幡 大阪所長はお好きなイカの丸焼きを突きながら、私とハイペースに
飲んでいた。なんだか、最近、AFSどっぷりなせいか、こうしたコアメンバー
だと、うれしくなって、酒がどんどん入ってしまう。一杯目の生中も、
一気してしまうのではないか、と思われた。
 私は、大山氏とホッケをつつきながら、LP制度について話しを
していた――LPは積極的にあるべきか、などなど。熱い話しをしながらも、
ホッケを隅まできれいに召し上がる大山氏が印象的だった。


 貫禄、話しの説得力等々、改めてミスターAFSだと思った。この方の
おかげで、協会も大きな展開をみせ、また、私個人的にも、いろいろな
勉強をさせていただいた。私が研修や説明会などの場で、堂々と話しが
出来るのも、やはり、大山氏のおかげである。
 なにより、こんな若造の話しをきちんと対応していただけることを
うれしく思う。

帰り際、ちゃっかり、ブログ用に写真まで撮らせていただいた。

 大山氏と大阪事務所組が去った後も、私と槇原は残って飲んでいた。
仕事で疲れているというのに、悪酔いせず、気持ちいいお酒を頂戴した。
 山陽フレッシュ組として、互いの支部のこと、プライベート、
高校の同窓会のことなど、話しは尽きなかった。
 同じ高校を卒業して10年。気持ち悪いことに、こうしてまだ一緒に
飲んだりする機会があるもんだ。

 そして、二人、二軒目へ・・・・