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ここには書いていないが、最近、いろいろあった。
新見の学校訪問、田植え体験、HFのホームパーティ、
タイ女子の茶道体験参加、そして、笠岡の市民団体
の懇親会・・・・・・。サポート上、大きな山場も
あって、緊張する場面もあった。
 
 仕事もいま、ちょっと力入れているものがあって、
その上、院生としてもちょっとすることがあって、
よくまあ、AFS活動もやっているものだ。自分でも、
驚いている。だいたい、LP(留学生の担当者)でも
ないのに、この木金は二日連続で留学生に会っている。

 正直、ここ数日は、AFSが負担に感じることはあった。
いや、私がAFSでも、afs以外でも、抱えすぎているから
なのだが、“えらいなぁ”とは感じた。
 ちょっとグチをこぼせば、僕なんて、イベントか何か
のとき、声かけれるリストのメンバーであれば良くって、
たま~に顔出す程度のはずで・・・・・こんなに
AFSにかかわるつもりではなかった。
 昔は本当に、AFSに顔出す感覚だったのだ。支部の方か
ら誘いの話があり、「気分転換にいってみようか」くらい
だった。
 それが、何を間違ったのか、支部役員になっている。
――やっぱり何かの間違いだったのだ。

 “じゃあ、辞めればいいのに”と感じる方もおられる
だろう。僕もこれを書きながら、そう思った。
 でも、やっぱり、AFSはやめられない。こうして深く
かかわっていると、それはそれで、見えてくるものもある。
楽しみもある訳で・・・・・。
 
 昨年度は、仕事でもノイローゼ状態で、院生として勉強
にも力を入れていたので、本当に留学生とかかわるように
なったのは、晩秋くらいからだった。
 だからこそ、今年は、出きるだけ会っておきたい。僕が
こいつらと一年を満喫したいと選んだ二人だし。また、
彼・彼女が、日本での、岡山での1年間を満喫できるよう、
黒子として、いろいろしてみたい。そんな気持ちが、30前
の体を鞭打って、仕事でへとへとになった体を栄養ドリンク
で立ち直らせ、留学生に向き合う原動力になっているのだと
思う。

 そろそろ、仕事・勉強・AFSのバランスを考えないといけ
ないのだが。
 この状態、一生続くのだろうか・・・・・。
 
 とにかく、いかにみんなと楽しんでいけるか、それを忘れて
はいけいと、感じている。

 ちなみに、写真は、HFのホームパーティ(40~50人程度)
で行われた マンドリン演奏の場面である。ほんとうに、毎年、
いろいろなホストファミリーに会う。
 
 



今日は笠岡での初会議だ!

仕事を夕方に終え、へとへとの体を
シャワーでシャっきりさせて、笠岡へ向かった。
岡山からだいたい1時間くらいだが、こういう
日に限って、混んでいる・・・・・・。

 12月中頃、外務省の事業で、アジアの高校
留学生が大勢くる。AFSに委託されているのは、
全国に660人で、岡山には10人+引率教員1人
くることが予定されている。去年もあったのだが、
AFSだけで考えても、同じ時期に、いっきに
外国人がくるのは、壮観である。

岡山には、10人+1人来岡したのだが、年間生2名も含めて、
各学校、パーティで“お祭り”状態になった。
 ところが、今回は、完全に学校はテスト期間。
去年は学校と一緒に企画を練れたり、事務手続きや
ホストファミリーを開拓できたりしたが、今回は、
そうはいかない。
 そこで、親しい笠岡の市民団体を通じて、

「笠岡国際交流協会」に打診した。協会として対応して、
AFS岡山との共同事業として行うことになった
(何とかそこまで話しを持っていった)。
 --正直言えば、今年はどこの学校に訪問しても
対応は難しいと言われ、今年、岡山支部は辞退した
方が良いのではないか、との声もあった。ただ、
宣伝効果や地域貢献等々から考えれば、やっぱり
やりたい! 何より、“楽しい”のだ。
 
 笠岡国際交流協会は、きちんとした事務所があり、
定期ミーティングが開かれていた。私が入ったときは
まだ、前の協議が続いていた。話し合っている

皆さんの姿は、AFSおかやまとも同じで、

“どこも一緒なんだな”
と感じた。
 さて、いよいよ僕の番だ。スーツを少し整え、拳を
一度握り締め、すっと立ちあがった。
 
 最初にエイ・エフ・エス日本協会のパンフレットを
配り、AFS自体について説明した。そして、去年の
写真を持ち出して、外務省事業について説明した。
 やはり迫力ある企画なだけに、高く関心をもって
いただけた。何より、高級ホテルでパーティとなれば、
食いつきは違う。
 具体的な話しはこれからだが、前向きな話し合いが
出来た。ホストファミリーや手続き諸々も協会が対応
して下さるので、
 大変な分、AFSボランティアを笠岡で開拓したい!

 さて、会議は予想より早く終わった。そこで、私は、
久しぶりに笠岡にいる留学生を訪ねることにした。
ホストファミリーは突然の訪問を快く迎えてくれた。
しっかし、道が分からない。山の上にあるお寺である。
 何とか見つけ、訪問すると、丁度、ご飯時であった。
恐縮ながら、私もご一緒させていただいた。
 
 岡山支部には年間留学生が2人いるのだが、ここのと
ころ、(近いこともあって)岡山市にいる留学生に会う
ことが多く、笠岡の留学生には、あまり会うことがなかっ
たので、気にはなっていた。

 食事を待つ間、二人で話しをすることもできた。

だいたい、ベテランの方に、彼の担当者に就いてもらって

いるので、平生から対応してもらっているので、

不安はないのだが……やっぱり
報告だけでは見えないことは、--現場に行かないと、
たまには直接見えないもので……。
 彼は、ホストブラザー(その家庭の中2の長男)と
ザリガニをとっていた。ザリガニを入れたバケツが縁側に
あり、家族みんなでそれを見つめた。後ろからは、中世
ヨーロッパのオルゴールがながれ、本当にお寺なのか?!
と思わせる時間になった。

 それから、近くにホタルをみに行った。家の近くの
小川に、ホタルが集まっていた。実家を思い出した。
留学生とともに行って、なんか和んだ時間を過ごすこと
が出来た。
 彼は勉強や部活でも努力をしていた。また何度か
訪問したりして、彼と語り合いたい、と思った。

 むしろ、問題はホストファミリーのお母さんで、
今から、彼が帰国した後を心配していた。

・・・確かに、
こんなに和んでいると、本当に寂しくなるだろうな、と
感じた。  
 

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今日、直島へ行ってきた。
ほんとうは、6月から会社で幾人か配置調整があり、私も
配置が新しい部署になった――今までとちょっとやり方の
異なるところなので、身の動かし方がわからない。
気疲れもあるのか、疲労感は格段に大きい・・・・・・。
 そんな第1週を何とか乗り越え、迎えた休日。
昨日の晩は、知り合いに「もう体が動かない。直島にいけるのか・・・・・」
ともらしていたが、朝、這いつくばって、港へ向い、フェリーにのった。

 フェリーは気持ちよく、気分転換になったのは、確かだった。
 波を、諸島を、空を感じているうちに、赤かぼちゃ(草間 2006)が
見えてきた。いよいよ直島だ。秋以来である――秋以来といっても
私の感覚からすれば、憧れだった場所に、一年もたたないうちに、また来てし
まった、ように感じた。
 今回は、京都支部との異地域交換――支部間で一週間だけ留学生を交換する
試み――のためにきた。文化財に埋もれるように生活している京都の留学生
たちに、どう違う日本をみせれるだろうか、と考え、私は直島を思い立った。
 現代アートの島として世界的観光地であるばかりでなく、古い民家や町並みが
のこる漁村である。その町並みを邪魔しないように現代アートがあるから、
違う日本の魅力を気づかせてくれるのだ。
 
 島につき、すぐバスにのり、本村地区へ。私は会いたい面々がいたのだが、
すぐに会うのをやめ、ちょっと神社で過ごしてから、港で・・・・ひなたぼっこ。
さすがに、体が悲鳴をあげていた。海の風が気持ちよく、そんななか、小さな
ベンチでひなたぼっこ――なんだか、贅沢な気がした。
 少し、疲れがとれ、いよいよ彼らのもとへ。

 彼らとは、香川大学経済学部の直島地域活性化プロジェクト(直島P)である。
 彼らは、実際の経済活動として、古民家をかり、カフェをやっている。
その名前が、「ぐぅ」である。秋きたときは分からなかったが、よく地図をみて
みると、今回は見つけることができた。でも、小さな道の先に見える「ぐぅ」の文字。
 “どんなところにあるんだよ”と最初は思った。

 店に入り、食事をしてから、素性を話した。電話番号が分からなかったので、
アポ無しで行ったのである。
 私としては、京都の留学生たちを直島に連れて行くにあたって、現地での案内等
サポートをお願いしたかったのである。
 対応してくれた副代表は、快諾してくれた。なにより彼は倉敷市出身だったので、
岡山で会議する際でも、来てくれる、とまで行ってくれた。ほか、いろいろ話し
もでき、秋の異地域交換については、道が開けてきた。

 熱い彼らの情熱と、薫りの良い古民家と、若者らしい味付けのランチ
  ・・・・・・ミーティングといいながら、また何度か行ってみたい、と思った。