完全に廃墟と化した学校(旧・東の川小中学校)の跡を過ぎ、暫く走った所で、少し視界が開け、道が二股に分かれた。

 右に行けば、坂を登っていくようだが、少し進むと急カーブがあり、何度も切り返さないと車は曲がれなそうである。

 さて、と思い、周囲を見渡すと、それらしき建物があるのを発見。

 背後の高台というか、山の斜面上のような所に、簡易局らしい建物があったのである。

 どうやら、右手の坂を登って行けば、その前に通じているようではあるが、切り返して車で登っても、下りる時にまた切り返す羽目になる。そこで、切り返した時点で車を停め、歩いて登ることにした。

 

 見た目では近そうに見えたが、歩いてみると結構あるように感じたのは、登り坂だったからだろうか。それとも、嫌でも高まる期待からだったのかも知れない。

 近付いてみると、それは紛れもなく、あの伝説の「東の川簡易郵便局」であった。

 

 局の表には、何度か書き直しをしたらしいが、現在は「取扱時間:午前8時30分から午後2時30分まで」とある。

 時に14時17分、遂にここまで来たのであった……。

 

 いざ局内に入る。民家の土間のようなスペースの横に窓口を造った、個人受託の簡易局によくあるタイプの造作である。

 局にいたのは、かなりの御高齢と思われる老局長(局長ではないかも知れないが、これについては後述)であった。

 もうすぐ終了時刻の14時30分になろうというのに、我々の貯金、振替、消印などの注文を手際良くこなしていく。それでもオフラインのため、かなりの時間がかかった。

 筆者は、丁度、通算4,180局目として、4,180円の貯金と、和文黒括、和文ローラー印を依頼する。

 これで、吉野郡上北山村のAJAをゲット、遂に45703:東の川簡易局訪問を果たした。

 老局長は、見事な手つきで手押し機(乙号日附印や金額器)を操り、綺麗に通帳の1行中に収めて印字した。

 

 郵ちゃん。氏は、振替まで頼んでいたので少々時間がかかっていたが、その間、筆者は酷道氏と周辺の探索をしてみた。

 付近には、数軒の民家のような建物もあるが、全て廃屋のようである。森林協同組合設立準備事務所の看板を掲げた建物もあったが、設立準備中に頓挫したのか、建物の中はガランとしており、ここにも人の気配はない。

 つまり、この集落にいるのは、東の川簡易局の老局長だけなのである。

 

 どうしてこんな所に、簡易局とはいえ郵便局があるのだろうか。

 奈良県吉野郡上北山村は、北山川と池原ダム、坂本ダム、そして東ノ川によって東西に分断されており、前述した林道を通る以外に、村内だけでの行き来ができない。一旦、下北山村を経由しなければならないのだ。

 東の川簡易局よりも奥には、持参の地図などにも“宮ノ平”という地名が書かれているものの、この分では集落があっても人が住んでいるかどうか怪しい。そう考えると、川などで分断された村の東側半分の人口は、限りなくゼロに近いのではなかろうか。

 このままでは、東の川簡易局がいつまで続くのか、非常に微妙である。場合によっては、今年度限りで廃止、あるいは一時閉鎖もあり得るのではないか、と思うほどである。いや、あっても全く不思議ではない。

 

 しかし、今回対応してくれた老局長は、局長ではないかも知れない(編註:実際には恐らくこの人が「局長」のF氏だと思われる)

 というのも、事前情報との食い違いが少なくなかったからだ。そう、マニア客を快く思っていないという話があったが、老局長はそんな素振りも見せず、「道が悪いから気を付けて帰りなさい」とまで言ってくれたのである。

 そうすると、事前情報をくれたJ氏は、この老局長ではない誰かに取り扱われたのか。

 

 2つの仮説が考えられる。

 J氏が訪問した時には、老局長は何かの事情で休んでおり、ピンチヒッターで村役場の職員が来て、極めて「お役所的な」対応をしたのか。

 或いは、我々が来た時にいた、この「老局長」(だと思っている人)が、実はピンチヒッターで、普段は村役場の職員がいるのか。

 後者だとすると、この局は村が諦めない限り続くだろう。しかし、前者だとすると、老局長が引退(リタイア)した時点で廃止されてしまうのではないか、と危惧される。

 

 さて、非常に名残惜しくはあるが、東の川簡易局を後にする。

 郵ちゃん。氏は、前年の3月17日にも東北のオフライン局巡りをしていたそうで、「3月17日はオフラインの日だ」などと言っている。

 

 それにしても、色々な人から伝説のように聞かされた簡易局を訪問した感想は、「先人の言っていることが“誇張”ではなかった。そして自分には、この凄さを言葉で完全に表現することはできない。この凄さは、実際に行った人にしか解らない」である。

 もし、この局にもう一度行け、あるいは連れて行ってくれ、と言われたとしたら、多分断るだろう。

 正直言って、かなりハードなテーリングなのである。ここまでの4,180局の中に、こういう局はここしかない。

 強いて言うなら、「土日などの郵便局が休みの日に、様子見のドライブくらいなら何とか。でも、すぐには辛い。何年かしたら、にしてくれ」となるだろう。

 この点、JD1(小笠原)に近いものがあるようだが、ある意味ではJD1を遥かに超越している。JD1なら、年に一度くらいなら、喜んで行くだろう。ただし一週間連続の休暇が取れるのなら、である。一週間連続の休暇を貰っても、東の川再訪を考えるとは思えない。

 

 (つづく)

 

 【追記】

 東の川簡易郵便局は、この5年ほど後の、2005(平成17)年3月末限りで廃止された(廃止日は4月1日付)。郵政民営化まで、あと2年半、という時期である。

 この前年だったと思われるが、某全国紙の郵政民営化に関する「連載」の中で、無人集落に残る郵便局として紹介された記事を読んだ記憶がある。話題にならずに、そっとしておいていれば、もう少し持ったような気もしないでもないが、郵政民営化直前に、多くの簡易郵便局が一時閉鎖となり、その後、閉鎖のまま廃止という流れを辿っただけに、民営化を越えることは難しかったのではないかと思う。

 なお、文中に登場する「老局長」は、正確には受託者である上北山村からの再委託ないし委嘱によって業務を行っていた「局長代行」だったらしい。

 いずれにしろ、未だにこの局を超えるような難儀な局に行ったことはなく、物理的には「最難関」と言っていい郵便局の代表格だったと言えるが、今となっては、文字通り「伝説」の郵便局になってしまったことは衆目の一致するところと言えよう。

 訪問から20年近くが経ち、「平成」も終わろうとしているが、鮮烈な記憶として残っている。