「無用の用」の具体例 | キハのひまつぶし研究室

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今の住処に引っ越してくる際、辞書類は捨ててきてしまったのですが、こうして毎週ブログの記事を書くにあたり、やはり必要だと感じ、国語の辞書を買ってきました。高校入学時に教材として買わされて以来なので、2桁年数ぶりに買ったことになります。


記事を書く際、使いたい単語があったとして、その単語をその用途で使うのが言葉の意味として適切なのか、手元に辞書がないためスマートフォンでググって確認していました。検索結果はそこそこ信用できるものではあると思います。ですが、出版社や学者の先生方が、長年に渡り知識を積み重ねてつくり上げた辞書と比較するとどうなのでしょうか。おそらく一概にどちらがどちらとも言い切れないとは思いますが、私みたいなアナログ人間としては、やはり紙の辞書の方が安心感があります。


これは辞書に限ったことではなく、地図や時刻表などにも同じことが言えますが、やはり電子媒体よりも紙媒体の方が、一覧性に優れています。つまり一目見た時に入ってくる情報量は紙媒体の方が圧倒的に多いです。ピンポイントでその部分だけを調べるのであれば電子媒体の方が優れていますが、私の場合、知識に対しては欲張った方が良いと思っているので、紙媒体の方が好きです。調べたい単語の他に、似たような語感の単語の情報まで入ってきた方が儲けもの感があります。


今回買ってきたのは三省堂の辞書です。私にとっては、地図帳や時刻表と違い、どの出版社から出ているものがどう違って、どれが私に合っているかということがわかりません。今後読み比べてみるようなこともしないと思います。単純にほかよりも一回り小さいサイズのものがあったので、今回はそれにしてみただけです。サイズといい、ほどよい軽量感といい、実際に持つと手に馴染むので気に入りました。


私は一冊の国語辞書を所持することになりましたが、そこに収録されている単語のうち、私が引いて説明書きを読む単語は、果たしてどのくらいあるでしょうか。1%にも満たないかもしれません。この辞書に巻かれている帯によれば、「総収録項目数84,000」なのだそうです。つまり単純に、そのうちの1%なら840。この辞書で840もの単語を調べればやっと1%読んだことになるのですが、そこまで多くの回数をこの辞書で引くかどうかは微妙なところ。あとは言葉というものに対するこだわりや、どれだけ長い間この辞書を使うかどうかによります。


しかしそんなことは大した問題ではありません。以前当ブログで、座右の銘は「無用の用」であると書きました。辞書の大部分は読まれませんし、ページすら開かれもしないでしょう。それでも編集する側は単語とその説明を書き、使用する側は安くないお金を出して買います。たとえ読まれなくとも、いつどんなときでもその単語が引けるように。そうでないと辞書としての価値が下がってしまいます。辞書の存在そのものが、「無用の用」という言葉を表す端的な例かもしれません。


ちなみに書店では、国語辞書の代名詞とも言える、岩波書店の『広辞苑』も販売されていました。値段を見るとほぼ1万円。思ったほど高くありませんでした。ちょっと興味はありましたが、こんなにデカくて重たい本を自宅に持ち帰り、置いておけるか。とても日常で使いそうなものではなく、自分ではその価値を活かしきれないのではないか。そう考えると、そんな大金を出してまでは買えないと思いました。いつか色々な意味で自分のレベルがそこまで上がったら、購入したいと思います。