『木鶏』と、ホースマンシップ | 馬術稽古研究会

馬術稽古研究会

従来の競技馬術にとらわれない、オルタナティブな乗馬の楽しみ方として、身体の動きそのものに着目した「馬術の稽古法」を研究しています。

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江戸時代の剣術書・『猫之妙術』に登場する「鼠取り名人の古猫」が語る話の中の

「木にて作りたる猫のごとし」

という表現の元となったとも考えられる、

中国の寓話を一つ、紹介したいと思います。



~昔、闘鶏作りの名人がいた。

その国の王が、その名人に一羽の闘鶏を養成するよう依頼した。

十日ほどして、
「鶏、已(すで)によきか」
(もう使えるか)
と王が尋ねると、名人は答えた。

「未だし、方に虚憍して気を恃(たの)む」
(まだ空威張りで自分の気勢に酔っています。)

また十日して、王が同じように尋ねると名人は答えた。
「未だし、猶ほ嚮景に応ず」
(まだ、他の鶏の声や影にも反応しています。)

さらに十日して、王がまた問うと、名人は答えた。
「未だし、猶ほ疾視して気を盛んにす」
(まだ、相手を睨みつけ、闘志を湧き立たせています。)

そしてさらに十日経って王が尋ねると、名人が答えた。
「幾(つ)くせり。鶏の鳴く者有りと雖も、已に変に応ずること無し。
之を望むに木鶏に似たり。 其の徳全し。異鶏の敢えて応ふるものなく、
反(に)げ走らん。」
(出来ました。他の鶏が鳴いても、もう殺気立つこともなく、見たところ木でできた鶏のようです。その徳は完全に働き、他の鶏の敵うところではなく、皆逃げてしまうでしょう。)~





  大相撲の伝説の大横綱・双葉山がよくこの木鶏の話をしていたということで、現代の横綱・白鵬関もその境地を目指していたといいますが、
最近の横綱の取り口をみると、変に荒々しかったりして、少し余裕がなくなってきているのかな?とも感じます。



  乗馬の世界でも、

競技場などへ行くと、見慣れない景色や雰囲気に緊張してしまって普段の動きが全く出来ない、というような馬は少なくありませんし、

また人間の方でも、

馬のちょっとした動作に過敏に反応してはやたらと「チチチッ」と舌鼓を連発し、「オラァ!」などと大声で馬を威嚇していたり、

周りの人に「音を立てるな!」「近くに来ないで!」などと文句ばかり言っているような姿をしばしば見かけます。


  オリンピックや世界選手権といった、
世界最高峰の馬術家と言われる人たちが集まって いるとされる場でさえ、

そうした大きな大会ゆえの観客の歓声や、照明や音響の機材といったものに馬が怯えてしまって、全く思うようなパフォーマンスが出来ないということも珍しくありません。

  競技のTV中継などでそうした場面になると、馬術の専門家とされる解説者によって「馬は大変デリケートな動物で」というような説明がされ、観る人もなんとなく納得させられているわけですが、

それも別の見方をすれば、体操や陸上の選手が、本番で緊張して全然ダメだった、と言っているのと同じようなもので、「そうならないようにするための技術」がない、ということを認めているようなもので、

馬術家がその技術を競う場としては何か寂しいような感じがしなくもありませんし、「そもそも、馬術ってなんだろう?」というような疑問も浮かんできます。



  そうした競技を価値観の中心においたような、一部の狭い世界に埋没していると、

馬という生き物が、いかに繊細で危険なものかということを知っているとか、そうした馬たちをまるで腫れ物に触るかのようにして扱う技術を持っていること自体を誇りとして、

人のやることを見ては、「あれは危ない」「そんなことも知らないのか」と蔭からケチばかりつけている、というような精神状態に陥ったりしがちですが、


 そうした知識や技術というのは、馬を上手に扱えない中でいわば必要悪として生まれた、「徒花」みたいなもので、ある程度有効なものではあっても、それをまるで馬術の基礎のように扱うのは、本末転倒のような気がします。



本当に必要なのは、そうした特殊な技術や神経質な気遣いが「なくても良いように」していくことではないかと思うのです。



  最近では競走馬の初期調教などにも取り入れられているという「ホースマンシップ」の理論によれば、

馬の性質や調教方法をよく理解した人間によって上手に扱われてほどよく「馴化」の進んだ馬は、
リーダーとなる人間がそばにいれば、大きな物音や見たことのない物に対しても、それこそ「木鶏」のごとく、落ち着いて対応してくれるようになるものだと言います。



 もちろん、馬の個性によってそこまでは難しいこともあるでしょうが、少なくとも我々人間の側はそういう境地を目指して、木鶏のように落ち着いた態度で馬を扱うようににしたいものだと思います。


『インストラクターの妙術』