山岡鉄舟が愛読し、秘蔵したとも伝えられている
「佚斎樗山(いっさいちょざん)」の名著、
『猫之妙術(ねこのみょうじゅつ)』
を、乗馬のお話としてアレンジしてみました。
かなり無理矢理な感じですし(笑)、観念的な空理空論と感じる部分も多いかと思いますが、
ひとつの読み物としてお楽しみ頂ければ幸いです。
『イントラの妙術』
ある所に、「勝軒(しょうけん)」という男が経営する乗馬クラブがありました。
『イントラの妙術』
ある所に、「勝軒(しょうけん)」という男が経営する乗馬クラブがありました。
そこに最近新しく入厩してきた馬というのが、とんでもなく怪物めいた暴れ馬で、どうにも手に負えず困っていました。
まず、クラブのスタッフに調教させようとしましたが、逆に振り落とされ、喰い付かれ、蹴られ、と散々な目に会い、逃げ出してしまいました。
それではと調教が出来るという人を募集しては次々とこの馬に向かわせましたが、どの人もこの馬には敵いません。
その夜のこと。
「まず、皆さんのご経験の程を聞かせて頂きましょう。」
老人の言葉に、最初に進み出た「色黒の男」が答えました。
「なるほど。
古人が型を教えてきたのは、ただ技を覚え、身体を丈夫にして速く強く動けるようにするというだけではなく、
それが後世になって、力のつけ方や、細かく分析した上手い人の動きの形ばかりを覚えようとし、
まず、クラブのスタッフに調教させようとしましたが、逆に振り落とされ、喰い付かれ、蹴られ、と散々な目に会い、逃げ出してしまいました。
それではと調教が出来るという人を募集しては次々とこの馬に向かわせましたが、どの人もこの馬には敵いません。
そこで勝軒は仕方なく、ネットで「無類の逸物」として噂になっていた、遠く離れた町にいるというある老人を下働きの研修生に命じて探し出させ、手を借してくれるように頼んだのでした。
その老人は、暇さえあれば寝ているような、何ともぼんやりした感じの人でしたが、
いざ、くだんの馬に向かわせてみると、
なんと、いとも簡単に乗りこなし、手馴づけてしまったのです。
その夜のこと。
調教に失敗したインストラクターたちが集まり、この老人を上座に据えて教えを乞いました。
「まず、皆さんのご経験の程を聞かせて頂きましょう。」
老人の言葉に、最初に進み出た「色黒の男」が答えました。
「なるほど。
しかし、君の修めてきたのは、競技で勝つためのテクニックと、運動能力を高める方法だけです。
だから、勝ちをねらう『気配』を消すことができないのです。
古人が型を教えてきたのは、ただ技を覚え、身体を丈夫にして速く強く動けるようにするというだけではなく、
理に適った自然な身体の使い方や、それをいつでもできるような意識の持ち方を知らしめるためです。
それが後世になって、力のつけ方や、細かく分析した上手い人の動きの形ばかりを覚えようとし、
こうなればこうすると色々なパターンに応じた攻略方法を一つでも多く覚えることを専らとするようになり、
それに従って、古人の教えを不足とするようになった。
知識や体力を頼んで勝とうとしても、行き着くところは持って生まれた身体能力や小賢しいテクニックの勝負となり、
それらが限界まで達してしまえば、やることも尽きて如何ともすることができなくなるでしょう。
自然の道に基づかない知識や力の強さ、速さを求めることを専らとすることは、
ニセモノの上達、即ち『下達』の発端となり、かえって害に成る事が多いものです。」
老人は、馬術を含めた現代のスポーツにしばしばみられる、「科学的」な理論に基づいて鍛えた筋力やスピード、簡単に説明できる程度の器用なテクニック、派手なパフォーマンス、といった表層的な技術に溺れることの視野の狭さを指摘し、
古人が型などを通して具体的な動きを教えたのは、その過程において「本質」を悟らせるためであり、その動きは簡単に見えても、そこには深い道理が含まれているのだ、ということを諭したのでした。
色黒の男は、これまで自分が覚えてきた技術というものは結局、体力に任せたテクニックによって馬に力ずくで言うことをきかせながら人より上手く乗ってやろうというようなことばかりで、
そのために馬に拒絶され、敵わなかったのだと初めて気づいたのでした…
つづく
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2017年07月02日 17:52
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