アフターファンクション ”友からの嬉しいメッセージ” | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

ちょうど2年前、ラグビーW杯で日本が盛り上がっていた。

更なる日本でのラグビー人気や普及という点で、「鉄は熱いうちに打て!」ということわざからすれば、コロナ禍の2年間は大きな機会損失となってしまったに違いない。

 

更に残念なのは、ラグビーを語り合う酒宴の機会が長らく断たれていることだ。

サッカーも野球も、室内競技でさえ、あらゆるスポーツの置かれた状況はきっと同じだろう。

ただ、私の勝手な思い込みではあるが、ラグビー関係者にとって試合後の酒宴、いわゆる "アフターファンクション" は極めて重要な儀式のようなものと考える。

試合やトレーニング後に、また試合観戦後に、時には皆で大いに笑い、時には真剣に議論を重ね、時には喧嘩にまで及ぶこともある。

 

そんな彼らに共通するのは、心からラグビーを愛し、プレーはもちろん、ラグビーに関する知識やその面白さ、時には思い出を語り合い、そしてラグビーへの夢を共有することだ。

それは日本ばかりでなく、私が生活するオーストラリアでも感じることであり、私はラグビーの発展にアフターファンクションは絶対に欠かせないと考える一人である。

シドニーではロックダウンが続き、前を向くよりもどうしても後ろを振り返ってしまう。

2年前の9月20日、ゴールドコーストにあるTSS(ザ・サウスポート・スクール)RUGBY Club一行(スタッフ・選手50名)が日本遠征に出発した。

遠征中には要所要所でアフターファンクションの機会に恵まれた。

 

単に酒を酌み交わし、日本食を楽しむだけの機会ではなく、彼らはその日に体験したことはもちろん、それまでに感じた日本の文化や習慣、オーストラリアや世界と比較した日本のラグビーの現状やコーチング等々について感じたままをユーモアを交えながら実に愉快に語り合う。

その会話には忖度や気遣いは無く、「なるほど・・・」と思えるようなアイデアは数知れない。

仕事として考えれば気は抜けないが、それでも私には至福のひと時なのだ。

 

本来、試合後にチーム同士がお互いを称え合うために行われる交流会を "アフター(マッチ)ファンクション" と呼ぶのかもしれないが、私は個人や大小グループにまで拡大して考えたい。

数多い体験の中で、私には忘れられないアフターファンクションが幾つかある。

その一つが2012年に日本で開催した「オーストラリア・コーチングコース」終了後のアフターファンクションである。

このコースには100名近くが参加したが、レクチャー終了後に誰が誘うともなく20名ほどが残り、私の親友 "辰野氏" の馴染みの蕎麦屋に押しかけ、無理やり貸切りとなった店内でアフターファンクションが開催された。

その日は酷暑とも言えるような真夏日で、人工芝上のセミナーで誰もがバテバテの状況だったが、あのアフターファンクションのお陰で、それが "達成感" に替わった。

 

TSSの日本遠征やアフターファンクションのことを考えながらブログを書き始めたが・・・

そんな矢先に、友人のマシュー・ウィルキーからメッセージが届いた。
*写真、左から4人目の最前列

 

その年、マシューはARU(豪州ラグビー協会) コーチ育成部門のリーダーとして参加した。

コース終了後にARUから派遣された他のコーチ達はトップリーグに所属するコーチや選手に会うために三々五々新宿方面に向かったが、マシューは残り、我々と共にアフターファンクションに参加した。マシューの地元が他のコーチと違うQLDだったためだろう。

共に信頼し合う私の日本のコーチ仲間をマシューに紹介出来、とても有意義な機会だった。

マシューにとっても初めての日本であり、あのアフターファンクションは忘れられないはずだ。

 

マシューのARUでの立場は、若くしてプロコーチを育成するセクションのトップだった。

コーチングコース開催に有能なリーダーの存在は極めて重要であり、写真やプログラムを今振り返ってみても、そのプログラムや運営は極めて充実した質の高い内容である。

レベル2コースを東海大学(平塚)で、レベル1コースを早稲田大学(上井草)で開催したが、彼を覚えているコースに参加した日本人コーチも多いのではないだろうか。

2013—2015年、マシューは地元QLD(クイーンズランド)に戻り、コーチ育成とスーパーラグビー "レッズ" のコーチングをサポート、その間にマシューは、2013年に大阪東海大仰星高校ラグビー部や慶應義塾大学蹴球部の豪州遠征のスポットコーチ、2014年にはアドバンストセミナー(桐蔭学園にて開催)の講師を担ってくれた。

日本からオーストラリアを訪れた熱心なコーチ達の研修の機会として、マシューはQLDレッズのトレーニング・セッションを見学する機会も作っってくれた。

ゲニアやクーパーを擁し、レッズは2011年のスーパーラグビー優勝の結果を残したチームだったが、日本から訪れたコーチ達にとって最高の学びの機会になったはずだ。

日本のコーチ達は、間近に接したクーパーの復活をきっと喜んだことだろう。

2016—2020年に、マシューは家族を伴いアイルランドに渡り、IRFU(アイルランド・ラグビーフットボール協会)Head of Coach Development (コーチ育成部門のトップ)の重責を担った。

時あたかも、アイルランドがワールドラグビーの世界ランキングでトップに輝いた時期である。

私はまだ彼と2年前のW杯でジャパンがアイルランドを撃破したことを話していない。

さて、マシューから届いたメッセージ・・・

アイルランドから戻ったマシューは、この7月から新しい仕事に就いた。

彼の新しい仕事は、何とTSS(The Southport School) "Director of Coaching" である !!

当初、私は "TSS RUGBY" のコーチやコーチングのトップと考えたが、彼の役割はTSS全スポーツのコーチングのトップということなのだ。

彼からのメッセージには、「TSSのラグビーコーチ達から日本ツアーが素晴らしかったことを聞いているよ」と書かれていた。また、「今回、TSSの仕事を任され、あなたと共にコーチやコーチングの交流や遠征等も考えてみたいなぁ」と書かれていた。

TSSは学問も然ることながら、スポーツに関してはオーストラリア屈指のハイスクールであり、ワラビーズはもちろん、オリンピック豪州代表も数多く輩出している名門校である。

 

コロナ禍の2年間、前進は出来なかったが、将来に光が見えるようなメッセージだった。

マシューが講師として参加したコーチングコースには、私の息子2人が通訳等のサポーターとして参加したが、マシューのメッセージには「Toshi、あなたの息子2人も結婚して子供も生まれ、とても幸せそうだね!」と言葉が添えられていた。

そんな心遣いがいかにもマシューらしい。

 

「5年間、オーストラリア国外でコーチングに関われたことは私にとって最高の学びの機会だった。妻や幼い息子達にとっても素晴らしい機会だった」

コーチをコーチするマシュー。

コーチとしても人としても更に厚さや深さを増しているに違いない。

それでも、彼のフレンドリーさは何一つ変わらない。