追悼 The Rolling Stones チャーリー・ワッツ氏 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

残念だが、チャーリーに ”さよなら” を言わなければならない。

初めて ”ザ・ローリング・ストーンズ” の曲を聴いたのは12歳の時だった。

あれから54年間、ずっと聴き続けている。

17歳の時、高校の文化祭でストーンズのコピーバンドを結成、階段教室だった視聴覚教室の通路まで満杯にした。私はボーカルだったが、歌が上手かったからではなく、曲を聴き込んでいたために歌詞を完璧に覚えていたからだった。

8月25日の朝一番に、私のメッセンジャーに2通のメッセージが届いた。

Charlie Watts died yesterday. Very sad news.

 

メッセージをくれたのは、長男と次男。

次男のメッセージには、私のお気に入り「ストリート・ファイティング・マン」のYoutubeのURLが添付されていた。

数ある曲の中で、なぜ次男がその曲を選んだのかは分からない。

 

そう、私は物心ついた息子達を "STONES LICKS WORLD TOUR" に連れて行った。

長男は16歳、次男は14歳になったばかりだった。

コンサート会場は”シドニー・オリンピック・スタジアム”。

座席のカテゴリーは、私はダイアモンド、息子2人はゴールドだった。

あの当時でも高額だったと思うが、それを無駄な散財とは思わなかった。

会場の中央付近にメインステージとは別に小さなステージが設置されていた。

「僕らのシートのすぐそばで演奏したんだよ!」

帰りの道すがら、興奮して話す2人が私を喜ばせた。

チャーリーの死を悼む彼らからのメッセージは、幼い頃から私が聴くのを耳にしてきた蓄積による彼らなりのストーンズへの想い入れに違いないのだ。

 

イギリスの著名な音楽評論家がこんなコメントを出している。

「チャーリーがいなくなれば、ストーンズはもう終わりでしょう。正にチャーリーはストーンズの心臓のような存在だった。心臓が無くなれば人だって生きてはいけない」

私はそうは思わない!

確かにチャーリーの存在はストーンズにとって掛け替えのないものだ。

かつて何度も生じたミックとキースの険悪な関係によるストーンズ解散の危機、その溝を埋めることが出来たのはチャーリーの存在があったからかもしれない。

そう、チャーリーのいないストーンズは、”ダシの無い” 具だけが豪華な味噌汁のようだ。

日本的な例えで申し訳ないが、ストーンズの面々は日本料理の大ファンだと聞いている。

それでも、私は思う!

富も名声も何もかも手に入れた彼らにとって、あの年齢にして欲しいものは ”生きる糧” に違いない。ミックはソロアルバムで「神が全てを与えてくれた!」と歌っている。

そう、”生きる証”、”生きる希望” が、今尚ロックンロールする彼らには必要不可欠なのだ!

A rolling stone gathers no moss.(転がる石に苔は生ぜず)

間違いなく、残されたミックやキース、ロニーはこれからも転がり続けるだろう。

私のipod mini には、ストーンズの曲のほとんどが入っている。

それを聴きながら、私は週3回のトレーニングを続けている。

ipod をシャッフルに設定、曲がランダムに流れるようにし、アップテンポに合わせてジョギング、バラードに合わせてウォーキングやスロージョギング・・・ 

私は自由に色々なことを思い浮かべながら、そんな風に1時間半~2時間を楽しんでいる。

近年のブログネタは、ほとんどがその間に浮かんだものばかりである。

 

つい2、3日前のことである。

ウォーキング中、日本政府への不満を綴ったネットのニュースを思い浮かべていた。 

コロナ禍に対する国の対応、若年層への感染拡大、自宅療養による死者の増加、進まぬワクチン接種、そんな渦中の東京オリパラ開催の強行・・・ 

その時、タイムリーにストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」が流れてきた。

おっと、今、私が考えていた諸々のイメージにピッタリの曲じゃないか!

ipod miniに収録された800分の1、ストーンズだけなら500分の1の確率である。

「くだらない!」 と笑われるかもしれないが・・・

何と言われようと、私はそんなチッポケな偶然にほのかな喜びを感じるタイプなのだ。

 

その数日後、チャーリーの死を知らせる次男のメッセージに、なぜかその曲が添付されていた。

単なる偶然かも知れないが・・・

ただ、ストーンズ全楽曲509曲中の1曲、それもそのYoutubeは、私が50年前に映画「ギミーシェルター」で観た映像であり、fullで曲が流れ、曲の最後にミックがステージから客席にバラの花を投げ入れるのが印象的で、私には最も好きなシーンだった。

”ジャンピング・ジャック・フラッシュ” の大ヒットに隠れ、ストーンズを代表する曲にはならなかった。それでも、ビートルズがラブソングを歌っている頃に、彼らのラディカルさを見せつける最もストーンズらしい曲なのだ。

 

Everywhere I hear the sound of marching, charging feat, boy

どこかしこから、俺には行進する喧噪の音が聞こえる。

夏だ、通りで闘うには最高の時だ!

でも、こんな哀れな俺達に、ロックバンドで歌う以外に何が出来るっていうんだ?

こんな退屈な街ロンドンにはストリート・ファイティング・マンの居場所なんてありゃしない。

 

ヘイ、今が立ち上がる時だって考えてみろよ!

だけど、俺達のやってることは、解決策への妥協でしかないんだ!

でも、こんな哀れな俺達に、ロックバンドで歌う以外に何が出来るっていうんだ?

こんな退屈な街ロンドンにはストリート・ファイティング・マンの居場所なんてありゃしない。

全ての楽曲の底辺を、妥協の無いチャーリーの淡々と正確に刻むドラムのリズムが支える。

あえて私の本音を言えば、ストーンズにはチャーリーのドラムとビル・ワイマンのいぶし銀のベースが欲しいのだ。

30年前にストーンズを脱退したビルは、チャーリーの死に際し、コメントを寄せている。

「チャーリー、あなたはバンドでも人生でも私には兄弟のようだった」

ストーンズや曲に関する話題はこれくらいにしておこう。

 

かつて、ストーンズ・フリークの集まるファンサイトのメンバーに登録したことがあった。

私の他愛もない投稿に排他性の強い日本人ストーンズ・フリークが噛みついた。

ストーンズの元ベーシスト ”ビル・ワイマン” がオーナーであるロンドンの「スティッキー・フィンガーズ」というパブ・レストランを訪ね、その感想を率直に書いただけだった。

「お前なんかに何が解るんだ!」

そこまで言うか? というような私を侮辱する汚いコメントが書き連ねられていた。

私は、即刻そのメンバー登録をキャンセルし、サイトを閉じた。

私はそんなコメントを一切気にはしないが・・・

そういう連中は、決まって「解かる」とか「解からない」を口にする。

私に言わせれば、ストーンズのメンバーが望むのは演奏や曲を楽しんでもらうことだろう。

イギリスでもオーストラリアでも、何度もロックコンサート会場を訪れたが、本物のロックファンは決まってフレンドリーだし、ファンや仲間を大切にする!

私は単にストーンズの曲が好きなだけなのだ!

だから、私は54年間も聴き続けているのだ!

来年、デビュー60周年記念のアルバムがリリースされると聞き、楽しみにしていたが・・・

チャーリー・ワッツの死は本当に残念だ。

彼はデビュー以来、全てのアルバムに参加していたと言われている。

 

Thank you Charlie.
RIP Charlie.