県庁さん② | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

2015年7月15日~18日、ARU(オーストラリア・ラグビー協会)スタッフによるラグビーW杯2019事前キャンプ地視察が実施された。

視察最終日の18日には、視察出来たことへの感謝の気持ちとして、ARUスタッフによる地元の少年少女向けにコーチング・セミナー(トレーニング講習会)が開催された。

事前キャンプ地に決定すれば、地元の少年少女のために、ワラビーズ・スタッフや選手達によるセミナーや交流会が実現する期待を示唆するデモンストレーションだった。

"県民(特に少年少女)ファースト" を考えた私には、地元の政治家やラグビー関係者ばかりでなく、少年少女やその父母を巻き込んだセミナーの成功に満足感や達成感があった。

 

視察の状況を記しておこう。

現地到着後、県ラグビー協会の心温まる歓迎会が催され、ラグビー仲間のフレンドリーな "おもてなし" に、ARUスタッフたちは招致に前向きな気持ちにさせられたはずだ。

翌朝は知事表敬、表敬の証として、ARUから立派な額に入ったオーストラリア代表メンバー(ワラビーズ)のサイン入り公式ジャージが贈呈された。

 

知事表敬終了後、視察に出発、視察は県北から県南までくまなく行われた。

準備を手掛けた県庁の若手職員(3名)が視察の案内役を務め、実に充実した視察となった。

ARUスタッフたちは "well organized" を連発し、忙しい日程にも関わらず、最後までエンジョイしながら視察日程をこなすことができた。

私に最初に連絡をくれた後輩君、キャンプ地誘致の担当ではなかったが彼も視察に帯同した。

視察は県が用意した専用バスで行われたが、ARUスタッフたちは日本語を理解出来ないため、私は若手職員や後輩君たちと忌憚なく細かい状況まで掘り下げて話すことができた。

「やはり、最終的には、キャンプ地側が何を提供してくれるかが決め手になると思うよ」

ARUスタッフたちは、日本中のどこがキャンプ地になっても、施設は完璧に整備され、リラックスできる環境も整い、ご当地自慢の美味しい食事も用意されるのを知っている。

となれば、結局、彼らの思惑は、何をどれだけサポートしてくれるか?を具体的に引き出すことが最終的に知りたい部分になるはずなのだ。

 

「県としては来るなら面倒を見ますが、金の掛かるサポートは一切できないと思います」

県庁の方針にストレートで杓子定規な管理職である後輩君の言葉に、「おいおい、天下のワラビーズを呼ぼうとしているんじゃないの !?」と喉まで出掛かった。

ただ、私はその言葉を飲み込んだ。

 

彼の言葉がワールドラグビーや日本協会の方針に沿った見解なのかもしれないと考えたからだ。

ただ、そうであっても、キャンプ地招致計画のサポートを私に依頼してきた張本人である後輩君の「来るなら面倒みますよ」という上から目線の言葉に、私のワクワク感は消えた。

その後の視察は、私にはまるで県内の地理や歴史(名所旧跡)の視察のようだった。

もとより、県庁の方針から、この視察自体、県庁側は6名分の交通費や宿泊費を一切負担せず、ARU側が自主的に視察をするという位置付けで行われた視察だった。

だから、私はこうして自由にものが言えるのだが・・・

それでも、後輩君の言葉を、私はARUスタッフたちに伝えることはなかった。


話は視察に戻るが・・・

県内各地を訪問し、その場所場所で市長や担当者と話す内に、私は若手職員たちのキャンプ地招致に対する本気度が増しているのを感じた。

ARUスタッフたちの真剣且つ真摯な態度や真面目な姿勢が影響していたはずだが、そこに若手職員たちの熱意が相まって、同じ目標を目指すチームワーク(友情)が芽生えていた。

主な視察を終えた晩、若手職員たちの所属する総合政策部の部長が、オフィシャルではなくプライベートなパーティー(お疲れさん会)を開いてくれた。

実に楽しく、和やかなパーティーだった。

 

視察最終日には、キャンプ候補地の一つである市の少年少女のために、ARUスタッフたちによるコーチング・セミナーが開催された。

ARUスタッフたちのこの視察が出来たことへの感謝の気持ちは強く、オーストラリアではあり得ない砂や泥のグラウンドにも何の違和感も無く、一生懸命な指導が行われた。

ARUスタッフの泥だらけの膝からは血が流れていたほどだ。

訪問した先々でTVクルーや新聞記者が待ち構え、視察やセミナーの様子が撮影され、新聞記者の取材もあちこちで行われたが、その視察の様子は地方向けのニュース枠や県内向けのケーブルTVで放映され、その記事も大手新聞の県内版や地元の新聞紙面で紹介された。

ただ、残念ながら、映像や新聞記事は私の元に届いていない。

当然、ARUにも届くことはなく、折角のARUへのアピールのチャンスを失ってしまった。

県庁の管理職である後輩君から視察に関する感謝(?)のメールが届いたが・・・

ワラビーズのキャンプ地になるかならないかは別として、テレビや新聞で我々が努力しているのを県民に知ってもらえたことは大きな成果でした。

今後ともご協力のほど、よろしくお願いします。

 

そう書かれたメールを読みながら、私は考えた。

長年 "県庁さん" を続けて来た定年間近の管理職、後輩君にとって 「お!、県庁頑張ってるじゃないか」と県民から評価されること、ややもすると、最初からそんな風に "やってる感" を県民にアピールし、評価されることが目的だったのではないだろうか?  

地元のTVや新聞で大きな話題になっていることをARUにアピールしようともしないキャンプ地招致委員会や県庁自体が、その程度の姿勢だったのかもしれない。

 

それでも、県庁の若手職員たちの一生懸命な姿勢に応えるべく、私はオーストラリアに戻ってからも、ARUはもちろん、オーストラリアの全スポーツを取り仕切るキャンベラのASC(スポーツ委員会)やAIS(国立スポーツ研究所)を訪問し、県庁の若手職員たちが作成したパンフレットや視察の際に撮影した写真を基に作成した視察レポートを手渡して来た。

その際、可能な限り、主要な人物を見つけては説明も行った。
因みにシドニー/キャンベラ間は片道300kmである。

視察直後から翌年の年度末ぐらいまで、若手職員とのメールによるやり取りは続いたが・・・

その中で最も熱心だった職員から「担当部署が農政部に変り、今後この仕事には携われなくなりました。残念でなりません」というメールが届いた。

彼は若手職員3名の中で最年少と思われ、ミーティングや視察ではほとんど口を出さず、私が関係者全員に状況報告を送れば、彼だけが必ず近況や彼個人の意見を書いて丁寧な返信をくれた。

正直に言えば、彼の農政部への移動前に彼から送られてきた「ホストタウン構想」が、協力することへの私のモチベーション維持に繋がっていたのだ。

新年度になってからは、誰からも一切経過報告は無かった。

 

2016年12月21日、地元の友人から、突然新聞記事のコピーがSNSで送られて来た。

記事の見出しには「XX県、ラグビーW杯、キャンプ地県内招致断念」と書かれていた。

視察したARUスタッフたちは写真を基に視察のパワーポイントを作成した上でプレゼンを重ねたが、実際の大会は3年先であり、他の候補地も含め、その時点では検討中だった、

 

そんな中、私には何の事前連絡も無く、県は一方的に断念を発表した。

新聞記事にはその断念の理由が書かれていたが、「サッカーJ3チームのトレーニング・スケジュールと重なり、スタジアムが確保できないため」ということだそうだ。

その理由が県や住民にとってどれほど重大なことなのか私には分からないが・・・

ラグビーW杯で2度の優勝経験を持つワラビーズがどのようなチームなのか理解しているのか!と県に向かって叫びたい気持だった。

ともあれ、キャンプ地招致断念は、仕方の無いことだったのだろう。

ただ、ARUスタッフを含む私達は、経費や時間を工面して視察を実施し、その後オーストラリアに戻ってからも、招致に向けた働き掛けのボランティア活動を続けていたのだ。

 

友人から新聞記事の届いた15分後、若手職員のリーダー(大手旅行代理店の出向職員)から8ヶ月ぶりにメールが届いた。

断念に至った簡単な経緯が書かれ、「東京オリンピック・パラリンピックについては、積極的に取り組んで参ります。またお会いできる機会がございましたら、その際は何卒よろしくお願い申し上げます」と締め括られていた。

 

上からの流れに逆らえない彼も悔しいのかもしれないが・・・

突然梯子を外された私は、ずっとオーストラリアで招致に向けたボランティア活動を続けていたのに、それに対する労いの言葉も今後の対処についても何も記されていなかった。

我々が断念した以上、後処理はご自分でどうぞ!

私は、それが "県庁さんの常識" なのかと思うしかなかった。

 

梯子を外され、やり場の無い私は、長期間、何も知らされずに招致に関するボランティア活動を続けていたことへの虚しさや今後のオーストラリア側への対処の難しさなどを書き連ね、招致のサポートを依頼してきた後輩君にメールを送り、何らかの説明を求めようとした。

地元TVや新聞で評価を受けたという "やってる感" のメール以来、後輩君からも一度も連絡は無かったが、直ぐに短い返信が届いた。

 

御無沙汰しておりました。

昨日の新聞に記事があり、「あれ?」と思いましたが、仕方のないところです。

それはさておき、加藤さんに節目ごとに経過報告をしていなかったことは、まったく遺憾です。

身内のことですから、重ね重ねお詫びいたします。

担当には前にも一度注意しておいたのですが、懲りていないようなので、近々上役に「信頼関係が損ねて何ができる」と厳重に抗議しておきます。

以上、取り急ぎ

 

その後、県庁の誰からも連絡はない。

私はこの視察に関係した全員宛に「知事表敬の際に県に寄贈した貴重なワラビーズのサインジャージが、埃を被り、県庁の倉庫に保管されるようなことだけはくれぐれも避けていただきたい」とメールを送った。

 

今年の9月下旬にワラビーズのキャンプ地は小田原市に決定した。

「"ヒルトン小田原リゾート・ホテル" が滞在費を全額負担」「ロマンスカーの車体にワラビーズマーク」という情報をネットで知ったが、それが確かな情報かどうかは分からない。

ただ、視察中の後輩君の言葉「来るなら面倒見ましょう」では、招致が無理なのは明白だった。