県庁さん① | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

「県庁おもてなし課」という映画を観た。

朝ドラを2時間に縮めたような作品で、私の実体験と重なり、ちょっぴり笑える映画だった。

2015年、県庁に勤務するラグビー部の後輩からメールが届いた。

「2019年ラグビーワールドカップ、2020年東京オリンピック開催に向け、オーストラリア代表の事前キャンプ地誘致」に関する協力依頼とそのお伺いだった。

 

端的に用件だけ書かれた文面に、先輩後輩の御無沙汰の意は一切感じられず、その面白みの無い文面からは、長年県庁で働いた男の"遊び心"の無さが感じられた。

ともあれ、長年オーストラリアのスポーツ界に関りを持ってきた私は、後輩からの協力要請をそっけなく断るようなことはしない。

 

セミナー開催のため、私は毎年3月に訪日するが、2016年3月の開催に合わせて県庁を訪問、総合政策部総合企画課を訪ね、部長を筆頭に課長、担当者数名からなるプロジェクト・チームから、事前キャンプ地誘致に関する企画の説明を聴いた。

このプロジェクトを担当する数名の若手職員は選り抜きの精鋭に違いないが、リーダーは大手旅行代理店からの出向職員であり、大きなイベントの開催に向け、抜かりのないタイアップの実態を垣間見ることができた。

私をこの企画に結び付けた後輩も、オブザーバーとしてこのミーティングに参加した。

海の物とも山の物ともつかない案件に、後輩を含め若手職員たちの説明を聴きながら、案の定、ワクワクするような感覚が湧き上がって来ることはなかった。

映画「県庁おもてなし課」は、正にあの日に私が県庁で感じたままを再現する作品だった。

物語には、過去に突拍子も無い企画を提案し、県庁の誰からも相手にされず、結局県庁を去ることになった元県庁職員が登場するが、彼の提案が他県にパクられ、その企画が盗用されてしまうが、その県は大成功を治め、日本中から脚光を浴びることになる。

 

片や、その企画に目を背けたこの県は、その後も可もなく不可も無く、職員には気概も無く、気が付けば、何年も時は過ぎ、そんな企画の提案があったことすら知る職員はいなくなっている。

退庁した元県庁職員は、退庁後に独立、民宿経営の傍ら、観光大使のような仕事を続けていた。

 

突拍子も無い企画の提案者として県庁の誰からも相手にされなかった元職員が持ち続けた信念に私は共感を覚えたが、彼の発する言葉の一言一言は、私にとってあの県庁でのミーティングで私が言いたかった言葉そのものだった。

「自分が感動せんで、誰が感動するんじゃ !?」

「自分が好きにならんで、どうやって好きにさせるんじゃ !?」

任された一定の仕事をこなせば任務の終わる職員が感じる達成感や満足感・・・

「そんなもの、県民置き去りの単なる自己満足じゃ!」と彼なら言うだろうが、波風を立てず、問題を起こさず、退庁の時を迎えるのが "出来る県庁さん" 。

私の親族に役所の職員が多く、以前どこかでそんな言葉を聴いたことがあった。

人生の4分の3を県外で暮らした私に、何の権利も不都合も無いが、言うことだけは言いたい。

「英文の小冊子を作成しました。オーストラリアのスポーツ関係者に配っていただけますか」

私は手渡された小冊子のページを捲った。

精鋭たちが一生懸命作成した小冊子、彼らの並々ならぬ努力は私にも理解できる。

コーチやアスリートたちが最も興味を持つはずのスポーツ関連施設は、「FACILITIES General Sports Zone」として、イラストで未来予想図が掲載されている。

「この施設は、いつ頃完成予定ですか?」

「平成31年の完成を目指していますが、たぶん、7年後の国体開催までには確実に・・・」

「では、4年後のラグビーワールドカップには間に合わない可能性があるということですか?」

「・・・」

「そのような不確定な状況で事前キャンプ地誘致を目指されているのですか?」

「・・・」

「サッカーJ2のチームが使っているフィールドがありますので、そこを借りれば・・・」

職員たちの苦し紛れの返答に、正直、私の方がどう対応すれば良いか困ってしまった。

取りあえず、まずは、オリンピックより1年早く開催される "ラグビーW杯のキャンプ地誘致" に絞って考えることにした。

初回ミーティングの結論として、私は「オーストラリアの代表コーチや選手に影響力を持つARU(オーストラリア・ラグビー協会)の然るべきスタッフに現地視察をさせてしまうのが、一番手っ取り速い!」と具体的に提案した。

正直、キャンプ地選定には時期尚早だった上に、ARUに対する何の確証も方策も無かったが、動き出さなければ何も前進しそうもない職員たちを鼓舞するつもりで提案を投げ掛けた。

 

「本当にそんなことが出来るんだったら素晴らしいと思いますが、ただ・・・」

「県庁として出せる予算が限られていると思いますので・・・」

「滞在費も交通費も出せないと思いますが・・・」

思いますが、思いますが、思いますが・・・ のオンパレード。

「キャンプ地誘致」という大きなアドバルーンを揚げたのは良いが、それを進めるのに彼らに欠けているのは、夢であり、それを楽しむ遊び心であり、そして、俺たちが県を動かしてみよう!という気概のようなものだった。

 

「我々は仕事をしています」という証として小冊子を作ったものの、そこに紹介されているのは完成予定も確定していない未来予想図のみ。

それを配って欲しいと言うが、オーストラリアのスポーツ関係者と言うだけで、どのスポーツ関連機関のどのレベルの誰にどれだけ配布するかという計画も下調べも無い。

正に "やってる感" そのものなのだ。

置いておくだけで、また、渡しただけで読んでくれるほど、オーストラリア人は甘くない。

日本人はよく名刺を配る習慣があるが、オーストラリアでは、会議が終わった後に、その多くが机の上に置かれたままになっているのをよく目にする。

中には、昼食後に歯に挟まった食べかすを名刺で取り除こうとする不届き者を見たこともある。

彼らにとって大切なのは、会社でも肩書でもなく、その人本人なのだ。

「予想で描かれた小冊子なんて!」と思ったが・・・

彼らの努力を考え、私はその言葉を飲み込んだ。

 

映画では、元職員の斬新なアイデアや的を得た厳しい言葉に若手職員たちが反応し始め、情勢は少しずつ変わっていく。

実際に現場に立ち、県民と語り合い、試行錯誤を重ねながら、県民の求めるものに目を向けるようになり、そんな若手職員たちの変化に伴い、上司の姿勢や職場の環境も少しずつ変化する。

まあ、それは映画の脚色かもしれないが、私はそんな現実が実際にあって欲しいと願った。

 

何のために誘致するのか?

子供からお年寄りまで、誘致することにより県民が利することは?

それによる県への経済効果は?

まずは原点に立ち戻って動き出すことが大切なのだ!と彼らに理解させることから開始した。

 

動き出した以上、私も真剣にならざるを得なかった。

まずは、ARUを訪ね、W杯日本大会の事前キャンプ地視察について提案、その了承を得た。

それから、予算的な課題を克服するために、ARU主催のセミナー開催の提案/然るべきARUスタッフやコーチの日程確保/通訳やサポート・スタッフの確保/スポンサーの発掘/セミナー・プログラムの作成/日本側の会場やデモンストレーターの確保/セミナー参加者募集/その他にも、テキスト作成や試験の翻訳/フライトやホテルの確保や予約/キャンプ地視察の日程の調整の他、多岐に渡る様々な準備を開始しなければならなかった。

 

画して、ARU National Coach Development Manager "ジェイソン・ブレワー氏" を筆頭に、ARUハイパフォーマンス・コーチ教育部門のスタッフを帯同の上、7月に事前キャンプ地視察を実施する案は無事可決し、その準備も整った。 


つづく