「唐突に連絡を入れて申し訳ありません」
3月にそんな書き出しのメールが届いた。
送り主を見ると、2016年のオーストラリア遠征の際に、入院という貴重な(?)体験を経験した選手のM君からだった。
父親とはメールのやり取りがあり、その文面にはM君が大学に進学したことやラグビー部に入部したことなどが書かれ、M君が元気にキャンパスライフをエンジョイしている様子が窺えた。
M君から届いたメールの内容は、短期留学のため再びオーストラリアを訪れるという報告であり、「今回は怪我などしないよう気を付けながら、頑張りたいと思います。加藤さんにお会い出来たら嬉しいです」と書き添えられていた。
M君が大学進学後にもラグビーを続けていることや、彼にとってきっと辛い思い出の残るオーストラリアを再び訪れようとしていることが私には嬉しかった。
遠征中の彼の入院は、トレーニングや試合での怪我ではなく、日本で害虫に刺され、化膿したまま遠征に参加し、それが日本と異なる環境で更に悪化した結果だった。
病院に付き添ったが、両足に無数の虫刺されの傷が残り、足全体が腫れあがっていた。
遠征中は、オーストラリアのコーチ陣がコーチングを担当し、完璧にプログラムされたセッションが繰り返されるが、通訳を介してコーチ陣や選手たちに理解を促し、その上でプレーの精度を高めながら、個人スキルやチームスキルを高めていく。
日本側(高校)のコーチ陣は、選手以上に熱心にメモを取る。
海外遠征の目的は国際交流など盛りだくさんだが、ことフィールドでは、選手もコーチも、限られた期間(時間)に最大限にスキルアップを図るべく、誰もが真剣にそのものである。
私の役割は、多岐に渡る事前準備や問題点を見つけて素早く改善することであるが、取り分け私が気にするのは選手の安全である。
トレーニング前のフィールドで、まず私が心掛けるのは、選手一人一人を見渡すことだ。
そして、少しでも気になれば必ず選手本人に声を掛け、体調や身体の状態を確認をする。
その朝、トレーニング開始前のM君とトレーナーとのやり取りが気になった。
結局、M君は朝のトレーニングには参加せず、水補給などのサポート要員に回ることになった。
私の学生時代、「三味線を弾くな!」という言葉がよく使われた。
大した怪我でもないのに、大げさに痛がり、練習を抜けるような選手に向けて発せられる言葉だったが、M君がどのような類の選手なのか?私には分からない。
その手の選手なら決まってコーチ陣の目を気にするため、私はM君の背中を追った。
M君はサポート役の仕事をこなしていたが、彼にコーチ陣の目を気にする余裕など無く、時折かがんでは足をさすり、その仕草は見るからに辛そうだった。
顔は赤く、熱もあるようだった。
「病院に行こう!」
私は声を掛けたが、M君は明らかにコーチ陣を気にしていた。
何を言われても盲目的に従わざるを得ない空気が感じられたが、私は無理やりM君を車に乗せ、コーチ陣には一方的に「病院に連れて行きます!」とだけ伝え、フィールドを離れた。
医師の診断は・・・
この地域では症例がなく、検査が必要ということだった。
取りあえず、知り合いのベテラン看護師に彼の面倒を依頼し、私はフィールドに戻った。
知り合いの看護師は看護師長で、前年の4月に私の紹介で新潟の高校に留学したオーストラリア人選手の母親であり、父親もその病院の麻酔科の医師だった。
私の稚拙な語学力で、医師の診断や指示を間違えて解釈するのを避けなければならず、トレーニング終了後に通訳(私の息子30歳/3歳からシドニーで育ち、日本のトップリーグで6年間の通訳経験を持つ)も帯同させ、再度病院に向かった。
その際、私の方からコーチ(教員)に病院への同行を依頼した。
選手の安全が最優先のオーストラリアのスポーツ界に慣れた私は、トレーニング開始前のトレーナーのM君に対する心無い言葉や、病院から戻った私に、スタッフ4人の誰一人、M君の診察結果を聞くことさえしなかったことに驚きを感じるばかりだった。
日本の部活の実態が私がプレーした頃(40年前)と何ら変わっていないのを感じた。
病院は、この地域で最も設備の整った総合病院であり、通訳である長男の聴き取りから、医師や看護師は、とりあえず症例についてあちこちに確認を取ってくれていた。
いずれにしても、余談を許さない状況であり、M君は即刻入院を余儀なくされた。
専門医から、もし診断がもう少し遅れていたら、最悪の事態も招き兼ねなかったと言われ、M君を無理やり病院に連れて行ったことで、私は胸を撫で降ろす思いだった。
その後の詳細は省略するが・・・
本隊は、彼を残したまま遠征終了後に日程通り日本に向けて出発した。
日本から彼の両親が駆け付け、彼の症状に落ち着きが見えた頃に、その病院から30km程離れたこの地域最大の総合病院に転院した。
私に出来ることは限定的だったが、午前・午後のセッションの前後に病院に向かい、特別のキャップ、マスク、防護服、ゴム手袋を装着して病室に入り、彼を励ますことを欠かさなかった。
通訳(息子)を連れて、医師や看護師から症状について確認することも怠らなかった。
この遠征をホストとして受け入れてくれたラグビークラブの責任者も、何度も病院に顔を出し、チョコレートなどを差し入れ、ジョークを交えてM君を励ましてくれた。
それは選手の不安を緩和させるためのオーストラリア流の心遣いに違いなかった。
監督は日本側(学校長や保険会社、父母)との電話連絡に忙しく、時折私に話す言葉には、学校という組織の一員としての責任の重さ、それに対するストレスも感じられた。
トラブルは重なるもので、日程最後の交流試合で2人の選手が怪我をし、病院に搬送した。
私が付き添ったが、午後6時半頃に病院に向かい、検査や応急処置を終えてホテルの戻ったのは午前0時を回っていた。
出発前の空港で、膝を怪我した選手のために、航空会社の地上スタッフに頼み込んで、ウィルチェア(車椅子)の手配や足を伸ばせる非常口前の座席を確保してもらった。
フライト・チェックイン後、私は選手一人一人に励ましの言葉を添え、握手をして空港内の手荷物検査場へと送り出すことを恒例にしている。
十分にコミュニケーションが取れなかったこの遠征でも、同じように選手達を送り出した。
監督やコーチ陣は、このような事態になったのは私の責任とでも言いたそうに、何の労いの言葉も無く、挨拶も握手もせずに手荷物検査場へと向かった。
私は寂しく彼らの背中を見送るしかなかった。
怪我人続出、入院した選手を現地に残して出発、帰国後に待つ学校側や父母への報告・・・
あれやこれやでパニック状態だったのかもしれない。
空港で本体の出発を見送った後、私は200km離れた転院先の病院に向かい、退院できる目安の立たないM君と両親を見舞った。
すでに日本の保険会社がサポートを開始してくれていたが、そのまま彼らを病院に残し、日本からその朝到着したジュニアチームのサポートを手掛ける気持ちにはなれなかった。
ジュニアチームが全日程を終了し、出発した後にも再度病院を見舞った。
病室のTVでリオ・オリンピックを楽しむM君を見て、私は心からホッとすることが出来た。
M君からメールをもらい、私は2年前の遠征のファイルやメールのやり取りを全て読み返した。
「加藤さんには、余裕がありませんでしたね」と書かれた監督から届いたメール・・・
私にはその言葉をどう捉えれば良いか分からなかった。
私自身、遠征に集中したかったし、余裕があれば空いた時間には共にラグビーの新しい流れなどをゆっくり語り合いたかった。
ただ、M君から始まり、他にも怪我をした複数の選手のために休む間も無く走り回わらなければならず、そんな余裕はどこにもなかったのだ。
「もう一人、全体を管理できる現地スタッフが欲しかったですね」
監督から届いたメールにはお気楽な言葉が書かれていた。
「これ以上なら断念します」と自分で値切っておいて、人一人を10日間近く拘束すればどれだけの経費がプラスされると思っているんだ!と叫びたかった。
経費全般が値上がりする中、どこを削るか悩みに悩んで全行程を決定するが、最優先事項はオーストラリア側のコーチの質や食事の質を落としたくないということだった。
私は怪我人や入院する選手まで出ることを想定しておらず、入院を余儀なくされた原因は日本側での管理の杜撰さが起因したもので、私には何の責任もないのだ。
海外留学の経験を持ち、多少英語の話せるスタッフ2名はただ傍観しているだけで、何のサポートもせず、病院にも一度も顔を出さなかった。
限られた予算の中で、スタッフを増やすなど土台無理な話であり、だから、私自身が夜の夜中まで無我夢中で走り回ったのだ!
何事も無く無難に進めば、結果オーライで終わっていたのかもしれない。
いずれにしても、私には色々な意味で学ぶことの多かった遠征であり、忘れ難い機会だった。
その後、チームは押しも押されもせぬ強豪チームに成長し、結果も出している。
長年コーチングを手掛けて来たオーストラリアのコーチ達は、与えられるものは全て与え尽くしたから、結果が出るのは当然だぜ!と自らのコーチングに自信を覗かせる。
私達のサポートがその発展の一助になっているとすれば、それはそれでこの上ない喜びである。
何はともあれ、2年前にチームメイトの出発後も長期間入院しなければならなかったM君が、再び留学のためにオーストラリアを戻って来てくれることが何より嬉しい。
M君が連絡をくれたことは、私には思わぬプレゼントのようなもので、手放しで嬉しかった。
これからも彼の応援軍団でいたいものだ!
日本では、「日大アメフト部問題」が社会問題化している。
新進気鋭の日本人ジャーナリストと話す機会があり、「日本のスポーツ界の悪しき伝統や習慣」について語り合ったが、実に有意義な時間だった。
日本で現実に起こったパワハラや暴力の実態も知ることが出来た。
日本のスポーツ界には、至る所に似たような問題が噴出しそうな火種が隠れているようだ。