98年にオーストラリアへのスポーツチームの受入れを開始して、今年で20年になる。
海外で暮らしていく私達家族の礎となったが、当初は手探りだったし、資金繰りなどを考えても、正直、これだけ長く続けられるとは考えていなかった。
この20年間で受入れたスポーツチームは80を超える。
その内の90%以上がラグビー関係、残りは、プロ野球選手の自主トレ、高校体操競技部、女子柔道日本代表、サッカークラブ・・・
ラグビーに関しては、日本代表、関東代表、TL、社会人、大学、高校、ジュニア(ラグビースクール)など多種多様で、それぞれの遠征に忘れられない思い出が詰まっている。
*写真/03年ヤマハ発動機・ラグビー部の遠征
遠征の企画は「私ならどんな遠征を望むだろう?」と考えるところから準備を開始する。
それでも、私独自の思考に固執せず、時にはオーストラリアで育った息子達の体験や彼らの意見、またオーストラリア人の意見も取り入れながら準備するよう心掛けてきた。
85年にニュージーランド遠征に参加し、私は南半球への移住の決意をした。
私達はマオリ・コミュニティ・センターに宿泊し、正直言ってしまえば、宿舎も食事も普通以下だったが、そのホスピタリティへの私の感動は筆舌に尽くしがたいもので、本質を前面に出した飾らない心のおもてなしの大切さを知った。
時に海外遠征に参加した若者たちに、私と同じような影響を与えることがあるのだ。
遠征を切っ掛けに、留学やワーホリで戻って来る若者も多く、それを私は手放しで歓迎したい。
*写真/ランドウィック・クラブのキャンピージーと現ワラビーズ監督マイケル・チェイカ
遠征の仕事を始めた頃、コーチや選手たちは、クラブの試合を観戦するだけで喜んだ。
当時はワラビーズの選手達がクラブの試合に出場し、例えばランドウィック・クラブのグラウンドではキャンピージーが疾風のごとく駆け抜けるのが目の当たりにできた。
巨大マーケットであるワールドカップの影響でプロ化が進み、近年、クラブレベルの試合では国や州代表クラスの選手を観ることはなくなってしまった。
その結果、代表レベルの選手達は、プロとして、諸外国でプレーするケースがどんどん増え、企業がビッグマネーを用意する日本も受入れ先の巨大市場になっている。
将来的に、間違いなく日本は世界最大のビッグネームのプレー先になるに違いない。
その問題は別の機会にするとして、そのような状況がラグビー先進国としてのダムを崩壊させ、例えばNZや豪州を訪れる魅力を無くしてしまうのは間違いない。
必死に頑張って来たが、私達は時代の流れとして諦めるしかないのかもしれない。
ただ、ここ数年、遠征に訪れるチームに新たな流れや可能性を感じている。
決して強豪とは言えない、部員数も多くない、カリスマ指導者もいないようなチームの遠征受入れが続いており、その多くは、指導者が海外遠征を教育や体験の場と捉えていることだ。
そのようなチームは、ほとんどが進んだコーチング等を本格的に経験したことが無く、反面どんな局面でも感動できる器を持ち、遠征本来の素晴らしさや喜びを感じてくれるのだ。
また、強化だけを考える勝利至上主義の指導者と比べ、無理な要求がなく、そんな指導者や選手達と一緒の時間は、私達受け入れ側のストレスも少なく、至福の時間なのだ。
それは、ある意味、私達が考える本来のオーストラリアのスポーツ文化を紹介したり体験させたりするチャンスであり、私の新たな進む道なのかもしれない。
遠征を受け入れてから20年、今、私には原点に戻ろうという気持ちが湧き上がっている。
現在、たった4名(男子部員2名/女子部員1名/引率教師1名)の遠征依頼が届いている。
「私がそのメンバーの一人なら、どんな遠征を望むだろう?」
私はその遠征の準備を開始している。