OZスピリット | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

カンタス航空の機内に「スピリット」という日本語の機内誌が置かれていた。

オーストラリアのホットな情報はもちろん、トレンディーなレストランやオージーライフを端正なグラビアを交えて紹介、オーストラリアに向かう旅行者をワクワクさせ、日本への帰国者にはちょっと寂しさを与える素敵な情報誌だった。

「カンタス航空は搭乗したその場からオーストラリア」は、営業本部長福田さんの口癖だった。

英文の機内誌「Qantas Spirit of Ausyralia」は、今も続いているようだ。

部屋の本棚を片付けていたら、「スピリット」2000年(11月‐12月号)と2001年(7月‐8月号)が出て来た。

"For the game of rugby"「熱い男たち」と題し、「現在、世界ナンバーワンの実力を誇るオーストラリアのラグビー、その背景にしっかり根付いたラグビーという一つの文化がある。シドニーに住む加藤俊久氏はそんなオーストラリアン・ラグビーの世界にのめり込んだ一人だ」と、太文字で書かれた見出しが続く。

 

ワオ! 何かカッコいい!

99年のラグビー・ワールドカップでオーストラリア(ワラビーズ)は2度目の優勝を果たし、文字通り世界No.1を誇っていた時代だ。

読み返してみると、あの時代が昨日のことのように蘇るが、今でさえそのまま当て嵌まる内容に、"ブレていない自分" を確認できるのは嬉しいことだ。

 

「オーストラリアのラグビーを知ってから、本当にラグビーが好きになりました」と加藤氏は言う、そんな書き出しで本文は始まる。

93年の起業から7年が過ぎたあの頃、やっと仕事に灯りが見えてきた頃だった。

そして、「本気でラグビーで食べていこう!」という決意も固まっていた。

そんな私にオーストラリアを代表するカンタス航空が手を差し伸べてくれたのだ。

 

私は日本で一生懸命にラグビーをしたが、ラグビーをエンジョイすることを知らなかった。

100人以上の部員の中でチームの代表になり、日本一を目指そうとしたが叶わなかった。

では、私は全てを出し切ったのかと自問自答すれば、「はい!」と言えない自分がいる。

日本とオーストラリアのラグビーの違いを聞かれ、「文化の違い」と私は答える。

非常に抽象的な回答だが、私が日本からオーストラリアに移住した頃、世界のラグビー界でのオーストラリアの立ち位置や国民のラグビー熱は史上最高の時期だった。

ラグビーそのものが文化として生活の中に存在し、ラグビーが人格や信頼関係を築くアイテムとして確立されているようにも思え、私自身、スンナリ生活に溶け込めたような気がする。

 

もちろん、日本でラグビーを経験したことが私の誇りであり自信になっているのは間違いない。

ただ、上手く言えないが、日本で感じたラグビーとオーストラリア到着後に感じたラグビーの相違は、スキルレベルは元より、選手達のラグビーへのアプローチやファンの熱や温かさ、メディアの対応に至るまで、何もかもが私には違って見えたのだ。

 

そして、深く知れば知るほど、その違いに関する意識は大きくなるばかりだった。

整備されたコーチ資格やコーチング理論、そして、それらを政府や協会、国民が後押しし、一つの学問としての地位を確立しているのを見ても、文化の違いは明らかだった。

ただ、それはあくまでも、私のオーストラリア移住当時の話であるのを書き添えておく。

息子2人のラグビー開始に伴い、私はコーチとしてラグビーを続けることを決めた。

98年に正式にオーストラリアのコーチ資格を取得、その理念やシステムの充実に感動した。

コーチの最重要事項「選手の安全対策とその知識」「コード・オブ・コンダクト(品行規約)」「マナーの順守」 まず、そう指導された。

 

「選手を集めて話す時、コーチは必ず自分の顔を太陽に向けて話す」 

ほんの些細なことだが、選手達が眩しく感じることなく、コーチの顔や目を見て聞かせるのがコーチの話に集中させるための基本だと指導された。

また、ジュニア選手を指導する場合に、「コーチも同じ目線で話す」「ホイッスルは最小限に」「コーチは選手より偉くは無い」「上から目線は選手へのリスペクト(尊敬)に欠ける」「罵声や怒鳴るのは論外」と指導された。

「フィードバックの重要性」、「明確に、明瞭に、建設的に、即時、即刻、肯定的に」 

肯定的に捉えるのは大切だが、ダメなものダメとキッパリ話すことも大切で、回りくどい話し方や中途半端な言葉は選手に疑心暗鬼を与える可能性があると指導された。

 

それらを今読み返しても違和感は無く、それがラグビーばかりでなく全てのスポーツや学問、社会生活に通じるのは、不変の文化として根付いているからだろう。

次男は教員をしているが、ラグビークラブの無かった小学校にクラブを起ち上げた。

元ラグビーリーグやワラビーズのレジェンド達の息子が選手としてプレーしているそうだが、そのレジェンド達が強力なサポーターとして応援してくれるという。

それも文化に違いない。

今年9月、チームをシドニー地区で優勝に導いた。

息子のファイスブックの投稿に、レジェンド達のたくさんの「いいね」が確認できた。

オーストラリアの素晴らしいスポーツ文化を日本に伝えようとした私の草の根の努力、それをカンタス航空は機内誌「スピリット」で紹介しようとしてくれた。

そして、更にカンタス航空は日本人コーチ向けの「オーストラリア・コーチングコース」や「オーストラリア・アドバンストセミナー」の一部スポンサーにもなってくれた。

お陰で、この16年間に30回以上のコーチングコースやセミナーを開催することができた。

 

2019年ラグビーワールドカップを前に、日本にコーチングの文化を根付かせることが出来たことを私は誇りに思うと共に、今も「スピリット」が存在していたなら、カンタス航空、そして間を取り持ってくれた本部長の福田さんへの感謝の気持ちを書いてみたかった。