オーストラリアからイケメン留学生がやって来た! | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

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オーストラリアの留学生2人を連れて新潟の高校を訪問した。

私はこの留学の双方の間を取り持つ役割を担ったが、彼ら二人が日本で快適な学園生活を送るために、双方の両親や学校側と何度もやり取りをし、しっかりと事前準備を整えた。

共に小学生から日本語を習い、幼い頃から日本に興味を持っていたと言う。

オーストラリアのハイクラスな家庭に育ち、一人はゴールドコースト、もう一人はブリスベンを挟んで更に100km北のサンシャインコーストからやって来た。

 

その内の一人ダニエルには両親と弟が付き添って訪日したが、決して過保護という訳ではなく、折角息子が日本に留学するなら、自分達も一緒に日本旅行を楽しもうと考えたようだ。

サンシャインコーストのカラウンドラという街の総合病院に勤務し、父親は麻酔科医、母親は看護師長という重責を担っている。

息子の留学を理由にして自分達も楽しもうとするのは、いかにもオーストラリア人らしい。


東京では桜が満開だったが、新潟は?

車窓から見える景色は私をも驚かせたが、彼らがどう感じているのか、私は少し心配だった。

オーストラリアの季節は夏の終わり、サンシャインコーストやゴールドコーストからやって来た彼らにとって、この景色はどう映っているのだろう?

彼らはこれからの生活をどう考えるのだろう?

ワクワクしているのだろうか?

それとも不安に思っているのだろうか?

 

2人を高校に送り届けた時点で私の任務は終了し、付き添った家族まで世話する義務はない。

訪日中の仕事に追われながら、彼らの到着を空港で迎え、無事留学先の高校まで送り届けられたことに安堵したが、日本出発の日が迫っている私は、一刻も早くその場を離れたかった。

それでも、彼らはまだ少年であり、その上日本に到着したばかり、2人がどのような反応を示すか読めなかった私は、その晩だけは新潟駅近くにホテルを予約していた。

 

家族と一緒に到着したダニエルは、学校側からその晩は家族と一緒に新潟のホテルに宿泊することを許可されていたが、もう一人の留学生のフレーザーを気遣い、この日から一緒に学校で寮生活を開始することを家族に告げた。

長男を抱き締める母親は、学校を離れる際、長男を見ることができず下を向いたままだった。 
私は、そんなオーストラリアの家族をそのまま放っておくことなど出来ないタイプなのだ。

学校のスタッフから新潟駅構内に「日本酒博物館」があると聞き、私は家族をそこに案内した。

さすが日本一の米どころ新潟! 

117種類の新潟の酒が利き酒出来るというナイススポットだったが、現役ドクターとナースである両親は手を叩いて喜んだ。

1コイン(100円)でお猪口(おちょこ)1杯の利き酒が出来る。

3人でアッと言う間に15枚のコインが無くなった。

息子と別れたばかりで落ち込んでいた母親が元気を取り戻しつつあるのが分かった。

オーストラリアでは、親や大人(例えば教員)の管理下(但し室内に限って)であれば、暗黙の了解で若年層の飲酒が認められ、そのような光景をよく見掛けることがある。

弟が「このフレイバー(香りや味)は・・・」と両親に真面目に聞き、「僕のお気に入りはこれだな」と言っているのが愉快だったが、日本なら絶対にあり得ない光景である。

 

そのまま、階下にある居酒屋風のレストランで夕食をとることになった。

日本滞在中に彼らが絶対に注文することはないだろうと思うようなものばかり注文した。

フレッシュ・オイスター(生ガキ)はオーストラリアでも食べられるが、カキフライを注文したところ、「ビューティフル」を連発、もちろん、もう一皿注文した。

 

日本酒の酔いもあってか、ダニエルの両親と親しくなる良い機会だった。

兄に比べ、2歳下の弟は極端に無口だった。

私を嫌っているのかと思うほど、出逢ってから食事中もほとんど私とは話そうとしなかった。

カメラを向けても、彼は後ろの方からほんの少し顔を出す程度だった。

彼らとの話題が意外な方向に展開するが、それについては次回のブログに描きたいと思う。

 

つづく