私が学生の頃には、ラグビー部に短いシーズンオフがあった。
確か6月半ばから菅平の夏合宿までだった。
学生の本分は「学問」と言われ、真面目に高田馬場まで通ったものの、余分な金は無く、アルバイトを探すにも期間が短く、授業が終われば時間を持て余すことが多かった。
とにかく、ラグビーを基準に日々時間が回っており、オフになると一気に学生らしい気持ちにはなったが、私は一般の大学生の楽しみ方を知らなかった。
田舎の出身である私は、ひたすらブラブラ歩くのが好きというか、そうする以外に無かった。
授業が終わると、高田馬場駅方向に向かうが、途中明治通りを左に折れ、新宿方面に歩く。
伊勢丹本店を右斜め前に見て靖国通りの信号を渡ると、新宿三丁目、細い路地裏に熊本ラーメン「桂花」があり、それを食べるのが唯一の贅沢であり楽しみだった。
あの頃の味が忘れられず、社会人になってからも新宿界隈で呑んだ後には、新宿駅東口近くの系列店、狭い「桂花」に立ち寄ることが多かった。
訪日の際、新宿に用事があれば、必ず立ち寄る思い出深い店なのだ。
新宿三丁目、「桂花」の目の前には「末廣亭」がある。
子供の頃、日曜日の夕方にはなぜか必ず「笑点」がTVに点いていた。
正直、子供心に愉しんだという記憶は無く、きっと父が好んで点けていたのだろう。
物心ついた学生時代、東京出身の先輩に誘われ新宿末廣亭に行ったことがあった。
正直あまり気乗りがしなかったが、先輩の誘いだし、おごってくれるという先輩の厚意に甘え、私はのこのこと先輩の後について行ったのだ。
もちろん、本物の寄席を目の当たりにするのは初めてだった。
田舎者の私にとって、ある意味でショックだった。
TVで観たことのある漫才師が登壇し、その後には知ってる落語家が私の目の前で喋っている。
ああ、これが東京なんだ!都会なんだ!と感動を覚えた瞬間だった。
そう、ラグビーだって、スタジアムに出掛け、現場で観戦すれば、迫力やスピード、臨場感が直に感じられ、それは間違いなくTVで観るのとは雲泥の差なのだ。
正に、落語もラグビーをスタジアムで観戦するのと同じだった。
落語は古くから日本人の心に深く根差した伝統文化だが、今にしてそんな文化に直に触れるチャンスは限られており、私は先輩の粋な誘いに感謝するばかりだ。
あの時以来、私はすっかり落語の虜になってしまった。
扉を開けて場内に入ると、いつも決まって古い映画館のような臭いがするのがいい。
場内は椅子席と左右は畳の桟敷席になっているが、一人の時は椅子席に座り、誰かと一緒の時にはいつも桟敷席に陣取り、足を投げ出し、くつろぎながら肩を叩き合って大笑いをしたが、なぜかいつも男だけの世界だった。
ここで演じられるのは「落語」ばかりでなく、落語家の他にも、入れ代わり立ち代わり漫才師や曲芸師、物まね師などが登場し、各々が15分ほどの持ち時間で洗練された芸を披露する。
高座にはいつも、客を飽きさせない、客を愉しませるプロ意識のようなものが溢れている。
昨日のNHK衛星放送で、外国人初の落語家が紹介されていた。
カナダのトロントで生まれ、トロント大学で古典演劇を専攻した青年だ。
日本の能に興味を持ち来日したそうだが、結果、落語の世界に入門することになったようだ。
桂三枝師匠に弟子入りし、名前は「桂三輝」と書いて「かつらサンシャイン」と読むそうだ。
トロントで生まれ育った彼は、英語、フランス語が堪能で、それぞれの言葉で落語に挑戦しようとしているというが、もちろん、日本語も流暢に操り、落語の本質への探究心は旺盛なのだ。
外国の客を前に、それぞれの言語を使い演じる映像が流れていたが、それを聴いた客が大笑いし、愉しむ様子がとても印象的だった。
インタビューに応じた外国人客は、言葉の面白さや裏に隠れた意味の深さをしっかり感じ取っているようで、日本の伝統文化への理解も深まるに違いない。
「落語」が日本の伝統芸術(文化)として世界から認められる日は近いかもしれない。
伝統やしきたりにうるさい落語の世界に飛び込んだ「かつらサンシャイン」の勇気や努力を称えたいが、私自身、日本と異なるオーストラリアの仕事やスポーツ文化に飛び込んだ訳で、彼にはこれから先も益々頑張って欲しい。
いつか、高座に上がった「桂三輝」(かつらサンシャイン)の落語を愉しみたいものだ。