仕事としてオーストラリア遠征のコーディネートを開始してから17年になる。
私のプライオリティ(優先順位)は何をおいても選手の安全である。
遠征を受け入れる場合、まずは私なりの綿密なプランニングを実施する。
まず、トレーニングや親善試合、国際交流など外せない事項を、オーストラリア側のカレンダーに合わせ、それを骨組みにして日程案を作成、提案事項として日本側に送る。
更に日本側からの要望に沿って、手直しを加え、再度日本側に送り返す。
それを何度も繰り返えし、互いに合意した上で、オーストラリア側の準備を開始する。
オーストラリア人はラブリーでフレンドリーだが、彼らの言葉を信じ切れば必ず失敗する。
私は、彼らの ”ノープロブレム” を絶対に信じない。
何度も何度も何度も確認して日程を確定し、その当日になって何も準備されていなかったというのは序の口で、確認や約束したことさえ、すっかり忘れていることさえあるのだ。
そんな場面にある時でさえ、彼らはノープロブレムを繰り返し、こちらが強く出れば「ドンパニック!」という言葉を吐き出すように返してくる。
17年間この仕事を繰り返しても、私は "慣れや油断は禁物!" と自分に言い聞かせている。
トレーニングのセッション内容やプログラムに関してはコーチに全てを託している。
私の自慢のコーチ陣は、長年培ったコーチングの知識を余すことなく発揮するが、私はそれを完璧に信頼出来るコーチを選んで全てのセッションを任せているのだ。
私が彼らを完璧に信頼しているのと同じく、彼らも私を信頼し、互いに絶対信頼を裏切らない。
彼らはコーチとしてのプライドを持っているし、日本人の気質も理解できるようになった。
遠征が開始されれば、グラウンドでの私の役割は。もっぱらハード面の充実に在り、施設や用具の確保、飲料水や氷の補充等に集中する。
もちろん、選手達の安全には気を配りながら進める。
トレーニングでも試合でも、例えホテルに居ても、病院がどこにあり、ケガや急病の場合、どのように対応するかをしっかり頭の中にマニュアル化しているのだ。
ラグビーの海外遠征には、ワールドラグビー(世界のラグビーを統括する本部)が決めたルールがあり、双方の国の協会が発行するアプルーバル(認可)が必要になる。
それが無ければ試合を組むことさえ出来ないのだ。
オーストラリアのほぼ全てのグラウンドは市役所が管理し、使用に関する契約も重要である。
もちろん有料だが、許可無く使用してダメージを与えれば、多額の賠償金を払うことになる。
私はこの17年間、そのようなルールを忠実に守り、この仕事を続けて来た。
よく、視察させて欲しいという依頼を受ける。
包み隠すことは何もなく、私は快くそのリクエストに応えるようにしている。
準備の段階は企業秘密の部分もあるために明かさないこともあるが、準備万端に仕事をこなす私達スタッフの表面だけを観て、「こんな仕事なら簡単だ」と考える連中もいるようだ。
そして、視察させて欲しいと訪れた連中が、突然仕事上の競争相手になる。
ただ、私は「やれるものならやってみな!」と考えるようにしている。
もちろん、不愉快極まりないが、私はそう心掛けて来たのだ。
こんなことがあった。
有名大学出身を鼻にかけ、オーストラリアやニュージーランドを頻繁に訪れている男がいた。
まだ若く、聞いてみれば、起業を目指していると言う。
私の大学時代の先輩と親しくしているらしく、先輩の紹介で、ある遠征チームの視察に訪れた。
私は留学生にアルバイトとしてアシスタントを任せることがあるが、視察の訪れた男は、その留学生から留学生の母校が海外遠征を計画していることを聞き出したようだ。
しばらくして、その高校がNZ遠征を実施するという情報が私の元に届いた。
留学生を受け入れる際に、指導者からはオーストラリア遠征の話があったのだ。
高校を直接訪問し、美味しい話や安価な費用などで話をまとめたに違いない。
知人のいるNZのラグビークラブ、世話をするスタッフは彼一人・・・
結果、試合で首を痛めた選手をそのまま放置し、後日、病院で頸椎捻挫と診断されたようだ。
その後、彼が何らかの詐欺事件で逮捕されたと、彼を紹介した大学の先輩から聞いた。
私の仕事を視察し、アルバイトを申し出てコピーしようとした者も数名いたが、中には私の名前を使ってまで、私の仕事を横取りしようとする強者も現れる始末だった。
まあ、バブル崩壊が生んだ申し子だったと思うが、その全てがどこかに消えてしまった。
もちろん、誰もが生きるため、家族を守るために一生懸命なのは理解出来る。
私も「あっちの水は甘いぞ!」と考え、新しい事業に手を出そうとしたことも何度かある。
ただ、私は人の領域に足を踏み入れたり、仕事の舞台裏が見えない仕事には手を出さなかった。
遠征の後片付けをしながら、私はいつも満足感や達成感を感じるのだ。
それが感じられる間は、私はこの仕事をずっと続けていこうと考えている。