名将ロッド・マックイーン | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

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名将ロッド・マックィーン。

彼は、ラグビー・オーストラリア代表 "ワラビーズ" の監督として、輝かしい結果を残した。

99年ラグビー・ワールドカップ優勝

98年~01年のブレディスローカップ(ワラビーズ V オールブラックス)連覇

01年、"赤い旋風" ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ(イギリス4ヶ国代表)オーストラリア遠征では、オーストラリアのラグビー史上初めてワラビーズが勝越した。

 

私のラグビーに関するビジネス・パートナー、ノディー、エディー、リックは、マックイーン氏とワリンガ・クラブのチームメイトであり、現役引退後も同クラブのコーチ仲間だった。

したがって、私のパートナー達はマックイーン氏を師と仰ぎ、コーチングに関する理論やその手法、スタンス、スタイルはマックイーン氏のままであり、全てを受け継いでいる。

 

02年、ラグビー関東代表のオーストラリア遠征の際、選手達はワラビーズ監督を引退したばかりのマックイーン氏の ”夢のコーチング” を受ける機会を得た。

 

彼のコーチング理論やそのスタンス、スタイルは独特である。

ワラビーズの監督時代、選手達にホテルからグラウンドへの移動に自転車を使わせ、その移動の途中で完璧に気持ちを切り替えるようを要求した。

スッタフ・選手以外のグラウンドへの立ち入りを禁じ、その代わり、宿舎へは家族も友人も、恋人でさえ、出入りを自由にし、通常の生活を再現することでリラックス効果を高めると同時に、グラウンドでの集中力を高めようと試みた。

 

指導者にはそれぞれに思想やアイデアがあるが、彼のスタンスは実に新鮮だった。

日本でメジャーなラグビーを経験した私は、緊張感や集中力はグラウンド上はもちろん、普段の生活にもその意識や行動が求められると信じていた。

シーズン中は普段の生活にリラックスできる環境は無かったし、特に合宿などの短期集中の強化期間中には絶対にあり得なかった。

そのような状況下でも疑問や不満は抱かなかった。

 

マックイーン氏のワラビーズ監督時代の考え方は、オーストラリアはもちろん、世界的にも波及し、私もその影響を受けた一人だが、彼の考え方は世界のスタンダートになりつつある。

ただ、長年日本でラグビーのコーチングプログラムを手掛けている私には、根性、努力、忍耐、欲しがりません勝つまでは、の伝統から日本が抜け出すのは容易では無いと考えている。

 

マックイーン氏は監督時代に "人(選手)の集中力の限界" に極力拘った指導者だった。

説明やアドバイスを除き、同じトレーニング3分~7分間以上繰り返さないことを徹底した。
確かにラグビーの試合を考えれば、1つのプレーが3分間以上継続するのは極めて稀であり、それは言わずもがな道理に適っているのだ。

また、リラックス、リフレッシュ、レストをトレーニングの一部と位置付け、それらを積極的に導入することで選手のモチベーションを確実にアップさせた。

一方通行ではない指導のスタンスにより、コーチ陣と選手の風通しを良くし、積極的に選手側の意見を取り入れ ”選手はロボットではない!” が彼の基本方針だったようだ。

 

マックイーン氏を師と仰いだコーチの筆頭はエディー・ジョーンズである。

エディーは日本人の母親を持ち、日本の文化や習慣にも習熟しているはずだが、来年のワールドカップに向けて、マックイーン氏流の指導を用いるのか?連綿と続く日本の慣習に合わせた指導を用いるのか? 実に興味深いところだ。

いずれにしても、頭脳派のエディー、双方をミックスした方策を考えるに違いない。

 

15年以上、遠征チームや日本でのコーチングプログラムに関わり、正直私が目指そうとしたのは、極端に言えば、日本の伝統や慣習をぶち壊すことだった。

レストを勧めるマックイーン氏は、単なるレストではなく、「アクティブレスト」という言葉を用いたが、ダラダラ休息するのではなく、彼は活動的な休息を推奨した。

レクリエーションもその一つと捉えたようだが、英語でRe Createが語源のレクレーションは、確かに再構築や復活を意味しているのだ。

 

なるほど、そう考えてみると、確かに単に厳しさやキツさを基準にトレーニングを重ねるチームが常に良い結果を出しているかと言えば、決してそうではない。

そう言えば、早大時代、スクラムの練習時間は極限られていた。

姿勢や力のベクトルを確認し、集中して2、30回組んだだけだったが、1日1000回も組むという大学チームにスクラムで負けた記憶が私には無い。

もちろん、平均体重が10kg(8人で80kg)も違うチームには苦戦を強いられたが。

 

マックイーン氏は「アドバンテージライン」社の社長で、企業経営者としても成功している。

ノディーやエディー、リックは、履歴書にメンター(助言者)として彼の名前を記している。

エディー・ジョーンズもきっとそうしているに違いない。

そう言えば、あの時の関東代表メンバーから日本代表になった選手がたくさんいた。

マックイーン氏の02年のコーチングは、きっと彼らにとって素晴らしい機会だったはずだ。