思い出の日本人会ソフトボール大会 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

最近、毎週木曜日に我家から15分のゴルフ場で友人達とラウンドすることが多い。

料金は13ドル(1,000円ほど)。

朝の天気を見てから、やるかやらないかを決定し、お互いの連絡が無ければ予定通りという約束なのだが、あまりに気楽なゴルフのため、私は一向に上達しないのだ。

友人の一人水野さんは、大手日本企業の企業戦士として南米や東南アジア(主にベトナム)へのビジネス進出の足掛かりを造った人なのだ。

現地社長を担っていたが、リタイア後は最終赴任先だったシドニーを永住の地と決めた。

企業戦士だった頃の生々しい体験を聴けば、今の温厚な風貌がどこから来るのか分からない。

最近は水野さんに私の仕事(遠征のコーディネート他)を手伝って貰うことがある。

水野さんは私の10歳年上で、教えられることばかりだが、決して上から目線にはならない。

 

日本企業の駐在員は、往々にして私達のような現地在住者に対して、高飛車な姿勢を見せる。

会社の名前を笠に着て、自分が偉いとでも思うのだろうか?今までに何度か嫌な思いをした。

水野さんには一切そういった類の姿勢が感じられなかった。

だから、長い友達なのだ。

 

「先日、シドニー日本人会主催のソフトボール大会があったらしいよ」

ゴルフをラウンドしながら水野さんがそんな話題を切り出した。

「それって随分歴史がありますよね」と私は返事をしながら、古い昔の記憶を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水野さんの話では、日本人会恒例のソフトボール大会に、元ソフトボール日本代表、オリンピック銀メダリストの高山樹里さんが突然助っ人メンバーで出場し、そのチームが優勝したそうだ。

私の長男は樹里さんと親しい友人であり、シドニー滞在中にも一献傾けたようだ。

長男は6年間 ”豊田自動織機ラグビー部” の通訳として勤務したが、同時期に樹里さんも豊田自動織機ソフトボール部に所属していたようで、樹里さんとは飲み友達だったらしい。

長男の話では、日本代表や銀メダリストなどの経歴を気取らないナイスレディのようだ。

 

世界中に ”日本人会” は存在するが、ほとんどが日本企業の駐在員によって運営されて来た。

諸外国で、日本という国や国力、地位を高めるために努力を重ねてきた駐在員とその家族同士が親睦を深めるための会というのがその存在理由のようだ。

近年は駐在員が減る傾向にあり、私達のような現地在住者にも日本人会への門戸が開かれたと聞くが、残念なことに私達は加入の機会に恵まれなかったし、そんな興味も無かった。

 

かつて、ボンダイジャンクションに "ユーカリ堂" という小さなコンビニ&カフェを開店し、日本人会のメンバーへの広がりを期待して、加入を問い合わせたが・・・

資本金は幾らですか?従業員数は?・・・ 

様々な質問事項に答えて書類を提出したが、その後、一切返答は来なかった。

電話に出た女性の見下すような応対に、きっと返答は来ないだろうと暗に想像できた。

90年代初頭、シドニーハーバートンネルが開通した頃で、今ではオーストラリアから撤退してしまった日本の大手ゼネコンなどが全盛の時代だった。

 

私たち家族がシドニーに住んで数年経った頃だったが、私は開店したユーカリ堂に集まる留学生やワーホリの若者たちを大切にした。

私は、そんな日本の若者たちを巻込んで一緒に愉しめる何かイベントがないか考えていた。

日本語情報誌の草分け的存在の「日豪プレス」が "軟式野球/日豪プレス杯" を開始することを決めたと知り、彼らを誘って参加を決めた。

 

チーム名は「ストロベリーボーイズ」。

アメリカに移住した農民の苦労や喜怒哀楽を描いた石川 好の著作「ストロベリーロード」から採ったものだったが、メンバーが足りない時には幼かった息子たちも駆り出した。

さて、水野さんのソフトボール大会の話題から思い出した "古い昔の記憶" ・・・ 

日本人会恒例のソフトボール大会に、親しくしていたある正会員の名前を借りてエントリーし、我々ストロベリーボーイズが参戦してしまったたことがあった。

 

この大会には、"会員以外の出場はチーム3名まで" というルールがあった。

我々のチームに日本人会会員はゼロ、明らかに日本人会が決めたルールに反していた。

もちろん、”道場破り” でも ”殴り込み” でも無く、たくさんの日本人が集う日本人会恒例のソフトボール大会に腕試しも兼ねて純粋に出場したかっただけなのだ。

 

10チーム以上が参加し、予選を経て決勝リーグが行われる予定だったが、あの頃、いかに多くの日本人駐在員がシドニーに駐在していたかが窺える。

予選1回戦は、慶応大学の卒業生で組織されたチーム ”シドニー三田会” が相手だった。

悪い予感がした。

 

予選は表裏5回で終了するが、ストベリーボーイズが20-0の勝利、ラグビースコアだった。

"プライド軍団" の三田会メンバー達は、会合等で顔も見たことの無い正体不明の我々に翻弄されたことが余程悔しかったのだろう、試合の途中から騒ぎ始めたのだ。

「こいつら日本人じゃねーぞ

「日本人会の会員じゃないぞ」と言いたかったのだと信じたいが、彼らの姿勢や言動には悪意すら感じられ、何度もそう怒鳴続ける始末だった。

 

結局、我々ストロベリーボーイズは失格となり、翌日、名前を借りた正会員から連絡があり、私は日本人会役員の事務所まで始末書を携えて謝罪に出掛けた。

それでも、その数日後にストロベリーボーイズ独自の表彰式を行った。

その際、ソフトボール大会の顛末も若者たちに伝えた。

「ルールを守らなかったことは率直に反省しようぜただ、どんなに偉くなっても、ビッグになっても、あの日俺たちが浴びせられたような言葉を人に浴びせるような人間には絶対にならないで欲しい」と私は彼ら一人一人の心に残した。