さよなら国立競技場 !! | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

東京国立競技場が「新東京国立競技場」に生まれ変わる。

5月25日(日)、東京国立競技場で、最後の公式スポーツ大会として「日本代表V香港」戦(アジア五か国対抗戦/ラグビーW杯アジア予選決勝)が開催された。

結果、日本代表は8大会連続でW杯出場を決めた。

 

その日は、併せて「さよなら国立競技場」と題した幾つかのイベントが行われたようだ。

東京国立競技場は1964年東京オリンピックのメイン会場として誕生した。

この50年以上の歳月に数々の感動的なスポーツイベントやコンサート等が開催され、数え切れない人々に感動を与え続けて来た。

私にとってもこの東京国立競技場は「青春の1ページ」だった。

早明戦で2回、大学選手権準決勝(同志社戦)で1回、私はこの競技場でプレーした。

残念だったが、この競技場で私は一度も勝てなかった。

当時の明大メンバーを振り返れば、フォワードに、木村、藤田、瀬川、瀬下、河瀬、川地、岸・・・ バックスには、砂村、金谷、渡邊、橋詰・・・ そのほとんどが全日本(日本代表)で活躍した選手ばかり、言ってみれば "明治黄金時代" の始まりの時代だった。

同大も、私の対面は、 "ダイマル" こと林敏之、SHは萩本だったが、平尾や大八木の加入で、その数年後に黄金時代へと突き進む兆しを予感させた時代だった。

 

私の当時の公式記録は、身長183cm、体重83kg、体重は早大メンバーで最も重かった。

明大も同大もFWの平均体重が10kg以上重く、8人でスクラムを組めば体重差は80kg以上、1人分足りなかった計算なのだ。

それでも一方的に押された記憶は一度も無い。

新聞の下馬評は早稲田完敗が大方の予想だった。

結果は、早明戦が17-6、16-6、早同戦は16-12だった。

そのような下馬評を覆し勝利するのが早大ラグビー部の真骨頂だったが、勝てなかった。

東京国立競技場での試合には様々な思い出が残っている。

私が早大の1年生だった頃、1年生には試合の日に様々な役割があった。

入場券を管理する者、用具を管理する者、飲料水や医療品を管理する者・・・ 

私は校旗掲揚を管理する役割だった。

 

早明戦当日には、両校の校旗が電光掲示板の上に立つポールに掲揚される。

真ん中に日本ラグビー協会の旗、その両側に早稲田大学と明治大学の校旗が掲揚されるのだ。

早大ラグビー部には向かって左側に揚げるという暗黙の伝統(ジンクス)があった。

その伝統を守るために私は必死だった。

 

その情報がどこから洩れたのかは知らないが、明大の1年生が左側に校旗を揚げると言って引かず、電光掲示板の中で口論となり、私と他2名の1年生はポールと紐をしっかりと握り締め必死にどこまでも食い下がった。

「絶対に揚げさせないぞ

キックオフ寸前まで校旗が掲揚されないのを不審に思い協会関係者と上級生がスッとんで来た。

 

結局、協会が仲裁し、その日に当番校だった(当時は準備や後片付をするチームが決まっていた)明大に優先権ありと判断し、明治大学の校旗が左側に掲揚された。

関係者以外が聴けば、馬鹿馬鹿しいと一笑に付されそうだが、私達は必至だったのだ。

 

結果は前年まで13年間続いた早明戦の連勝記録がストップ、10-10の引分けだった。

ジンクスの影響は思えないが・・・

私や他2名の1年生は自分達が任務を遂行できなかったことに本気で責任を感じた。

試合に出場しない1年生までピリピリしていたことを物語るエピソードだった。 

定かではないが、いつの間にか校旗は掲揚されなくなってしまったようだ。

選手は、観客が大勢たむろする代々木門から入場し、観客席へと続く階段を上がらずに、競技場内部へと向かうが、プライドや責任感、緊張感が入り混じり、例えば代々木門で待っていた高校時代のラグビー仲間に励まされても黙って通り過ぎるだけで笑顔さえ返せなかった。

ロッカールームへの通路を通り抜けると、協会関係者やTV局関係者、そして下級生が準備のために忙しく動き回っている。もちろん、私には気持ちに余裕など無かったが、それでも、歴史や伝統を直に肌身に感じながら、自分がその場にいることは幸せだった。

 

涙と共に肩を組んで部歌を歌い、ロッカールームからピッチに向かう。

暫しスタンド下のスペースで心を落ち着け、階段を数段駆け上りピッチに飛び出す瞬間の気持ちは今も鮮明に私の脳裏に残っている。

競技場に詰めかけた6万人の観衆の拍手やどよめきが、その瞬間に集中し、すり鉢型のスタジアムで渦まき、他の会場とは違う一種独特の凄さがあった。

今も、スタジアムで観戦する時には、選手が飛び出す瞬間に鳥肌が立つ。

かつて、ラグビーの聖地イングランドの ”トゥッケナム・ラグビー場” を訪ねた時に、私は選手達がピッチに飛び出すゲートの写真を撮った。

その時、私の脳裏には、あの国立競技場に飛び出す瞬間が浮かんでいた。

さよなら東京国立競技場! そして、ありがとう東京国立競技場