無関心ではいられない! | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

アメリカのオバマ大統領の訪日、結局これでTPP交渉が最終段階を迎えるのだろうか?

一体、日本の農業はどうなってしまうのだろう?

農民にとっては政府の決定に気が気では無いはずだ。

一消費者として考えれば、関税が撤廃され、世界中から格安な農産物や畜産物が入ってくるのは歓迎かもしれないが、質の高さや安全性、また農民の苦労を考えれば、早計にものは言えない。

 

太平洋戦争後の1946年、アメリカGHQが日本政府に命じて、地主の土地を強制的に安値で買い上げ、それを小作に安価で売り与えた。

いわゆる「農地改革」である。

それにより農地の所有者は激増するが、狭い日本で大規模な機械化は進まず、兼業農家が増え、日本の農業の国際競争力は低下の一途を辿って行った。

丹精込めて一生懸命育てた農作物が台風や津波、大雪の被害を受け、畜産物はBSEや鳥インフルエンザの恐怖にさらされ、その上、放射能の風評被害さえ出ている。 

もう踏んだり蹴ったりの状況、ここに至ってはTPPが何の助けになるのだろう? 

平成11年1月、「ゲインラインまで」という小説で、兄が 「地上文学賞」 を受賞した。
昭和22年(1947年)、農地解放の翌年、農業従事者向けに「農と食の総合誌」として雑誌「地上」が創刊されたが
、農業や農村に光を当てる目的で「文学賞」が開始された。

兄の作品は46回目の受賞作である。

雑誌「地上」は主に農業従事者やJA関係者に読まれているが、最近は若い女性、いわゆる「農業女子」の読者も増えているという。

いずれにしても、67年もの長い年月、発行を続ける稀少な雑誌なのだ。

私の実家は農家では無く、兄は農業の担い手でも無い。

兄は、「農業に生きる人(特に若者)への応援歌」のような気持ちでこの小説を描いたのかもしれないが、今の時代にこそ、読まれるべき内容のように思う。

 

私の父はサラリーマンだったが、実家は農家で、農業をこよなく愛した人だった。

母との結婚直後に農地を購入し、会社勤めの合間を縫って土地を耕し、そして種を撒き、様々な作物を端正に育てることに喜びを感じ、それが父の生き甲斐だった。

91年に他界、兄は父の戒名に "広い空を耕す" という意味を込めて「耕雲」の文字を加えた。

母が父の野菜作りを引き継いだが、勝気な母は、いつも「私の方が上手よ」と言って笑った。

その母も昨年他界、義姉(兄嫁)が父や母が残した肥沃な畑で野菜作りに喜びを感じている。

 

「地上文学賞」は、農業従事者の支持を受けて、長い歴史を持つ文学賞である。

平成11年度の選者は井出孫六、伊藤桂一、長部日出雄、平岩弓枝の4氏で、全員が直木賞受賞作家である。

その選評が「地上」には列記されているが、兄の作品は一様に高く評価されたようだ。

平岩氏は、「主人公のラグビーから花作りへ歩き出す過程に説得力を感じる、さわやかな好作品」と評し、また長部氏は、"農業者への新しい応援歌" と副題を付けた。

平岩氏は、更に「読み進むにつれて、最初は無関係に思えたラグビーと農業の共通性が次第に明らかになってくる。ラグビーの真髄が農業者の姿勢にも通じるものとして興味深く描き出されているところが、この小説の最大の魅力だ」と評した

兄は15年前の受賞の際に、こんな言葉を残している。
農業を取り巻く環境がますます困難になっている。

栃木県の穀倉地帯の縁辺に暮す者として、どうしても農業に無関心ではいられなかった。

この作品の取材のため、フリージアのハウスを訪れた際、母屋の隣の陽のささない選花場で、箱詰めをする奥さんの傍らで、「百姓は食えなくなることは無いが、大きく儲かるなんていうことは、金輪際ないんですよ。ははっ」と笑うご主人の言葉を聞いた時、私は、極端に言えば、日本人に生まれてよかったとさえ思えてしまった。

つつましい生活、労働を惜しまない体、決して小さくまとまろうとはしない精神、喜びや悲しみが直に伝わってくるような人柄に接し、私は何とか自分なりの感動を形にしたいと考えた。

農業に未来がある、などとはとても言えないし、例えば、米を作りながら花作りに励むご夫婦に、確かな安定と繁栄が約束されている訳でも無い。

ただ、彼らの歩んできた歴史を、私なりに辿ってみたかった。

絶望もしないが過度の期待もしない生業の中に花のような小さな真実がある。

「ゲインラインまで」は、地方の農業高校から東京のラグビー強豪大学に進み、企業に就職し、代表クラスのラグビー選手として活躍するが、結局は仕事を辞めて帰郷、経験の浅い花の栽培を始める・・・ というストーリーである。

読み進むうちに、そこに登場する元恩師や昔の仲間、そしてヒロインなど、私自身がかつて実際に出逢った人々と重なるような気持ちになっていく。

 

「地上」 平成11年1月号には、兄の作品の全文が掲載されているが、文章の合間に幾つかの挿絵が添えられている。

その挿絵には、どこかほのぼのとした趣がある。

この挿絵の作者は、”北村 治” という画家である。

大学卒業後に、私はライオン(株)という企業に就職し、企業スポーツとしてラグビーを続けたが、そのライオン・ラグビー部のキャプテンはなんとその北村 治氏だった。

東京芸大でラグビーをプレーし、私が入社した頃、広告制作部でイラストを描いていた。

彼の描くほのぼのとしたイラストは人気を博し、彼はライオン(株)を退社して独立した。

その後、彼を追うように、私も数年後に退社し、オーストラリアに渡った。

 

北村氏の退社後、一度も再会したことは無い。

兄の作品に添えられた挿絵の作者が北村氏だった偶然は、なんと嬉しいことだろう。