日本の学校は夏休み。
友人が家族を連れてシドニーにやって来た。
友人は3人の子供達の将来に彼なりの夢を描いているが、奥さんの献身無くしてその実現はあり得ないと感じており、奥さんへの感謝の気持ちから、この "シドニーへの旅" を決めた。
そんな裏話を聞けば、私は心から後方支援がしたくなるのだ。
3人の子供達はまだ幼い、長男11歳を筆頭に8歳の長女、5歳の次男。
シドニーでこの年代を対象としたアクティビティと言えば、コアラやカンガルーのいるワイルドライフ動物園やルナパークやワンダーランドぐらいしか思い浮かばない。
日本ならどの年代でも楽しめるようなテーマパークやアミューズメントパークが揃っており、シドニーで日本の子供達を楽しませるとなれば? 私はちょっと不安だった。
彼らを空港で迎え、まずはシドニーの名所と言われる定番の観光スポットに向かった。
その美しい光景に感動する両親(特に母親)だったが、それは私の想定内。
最初の内は感動する親の言葉に影響されるまま、母親が「本当に綺麗ね」と言えば、「うん、そうだね」と相槌を打ちながらも、何かスッキリしない笑顔を見せていた。
ところが、シドニーならどこにでも見られる美しいビーチや広大な芝生の公園に連れて行くと、子供達は景色などそっちのけでビーチや芝生の上を走り始めた。
日本のような凝った遊具は何も無いはずなのに、そんなことにはお構い無し、どこに連れて行っても、三人三様、何か遊びを見つけては無我夢中になってハシャぎまくった。
そんな彼らを見るのは、私にとって実に愉快で、また感動的でさえあった。
親と一緒に日本から訪れる子供達の多くが、ゲーム機等に夢中になる姿をよく目にしていたこともあり、今回の3人は案内を引き受けた私を心から喜ばせてくれた。
オーストラリア東海岸沿いに位置するシドニーには、至る所に美しいビーチがある。
市内から至近距離なのに海の青さやクリーンな海水は驚くばかりで、そのほとんどのビーチにはまばゆいばかりの真っ白な砂浜が広がっている。
真っ青な空や海、白くサラサラな砂浜、その周りには緑の芝生が広がっている。
そのコントラストの美しさに、日本から到着したばかりの大半(特に大人)は、日本の黒い砂(火山国特有の砂)や海の色との違いを感じるようだ。
案内人の私は、そんな日本からのお客様に出会うと、「しめた!」と思う。
そんなシドニーの顔であるビーチ、毎朝清掃され、真っ白な砂浜にはゴミひとつ落ちていない。
ただ、今回の子供達3人にそんな説明は不要だった。
靴を脱ぎ棄て、ズボンを捲り、寄せては返す波を追い駆ける。
暫くすると、今度は芝生の広場を走り出し、備え付けの簡単な遊具で遊び始める。
オーストラリアの遊具は走ったり押したり引いたり、フィジカル的なものが多いのだ。
3人のハシャグ姿を見ながら、なるほど、こんな遊びを繰り返しながら成長すれば、将来はきっと素晴らしいアスリートになるかもしれないと両親は感じたかもしれない。
子供の原点は遊びにあり!
そして、一生懸命遊ぶ子供は一生懸命食べる!
私は一生懸命食べる人と一緒に食べる時に喜びを感じるタイプなのだ。
大食漢という意味ではなく、食べることに喜びを感じて一生懸命に食べる人に悪い人はいないし、成功している人のほとんどが一生懸命食べる人であると私は信じているのだ。
どのレストランでも、親子揃って「美味しいね」「美味しいね」と笑顔で一生懸命食べるこの家族に、私は私達家族のシドニーで暮らした25年を重ね合わせた。
その意味もあって、食事は私達家族が長年大切にして来たレストランばかりを選んだ。
決して豪華とは言えないB級グルメばかりだったが、長年営業を続ける理由のある店なのだ。
滅多に外食はしないが、それでも20年以上通い続けた裏切らない店ばかりなのだ。
2人のBOYSは、日本でラグビースクールに通っていると言う。
「息子達をオーストラリアでトレーニングに参加させることができませんかね?」
レジストレーション(登録)や保険の問題で難色を示すクラブが多く、難しかったが、友人を介して2人をトレーニングに参加させることが出来た。
2人はもちろん、両親も手放しで喜んだ。
一般に日本の少年はシャイで、積極的に仲間に入っていくのをためらいがちだが、誰一人知る者がいない、言葉も通じない中、2人は実にポジティブだった。
そんな2人にオージーは極めて寛容で、大人達も2人を歓迎し、そこに言葉の壁は無かった。
トレーニング開始直後は、2人共少し不安そうだったが、OZの少年達が彼らをサポートする。
トレーニング中、そんなシーンを何度も見ることが出来た。
コーチは一つのプレー毎に、少年達を集め、少年達と同じ目線で真面目に説明をする。
「息子を助けてくれようとするオーストラリアの少年達を見て、思わず涙が出そうでした」
「オーストラリアのコーチと少年達の真剣な眼差しは驚きです。息子達があの中に居て、もっと言葉が分かったらなぁと思ってくれたら最高なんですがねぇ」
遠巻きにトレーニングを観ながら、母親として、父親としての本音が聞けて嬉しかった。
練習後に嬉しそうに戻って来た長男は、「何を言ってるか全然分からなかったよ!」と言う。
「僕が分からないを知って、僕を引っ張って教えてくれた子がいたんだよ!」と次男が続く。
自分が感じたままを興奮して話す2人、それを純粋に受け止める両親・・・
私は今回の案内役のミッションを果たせたような気がした。