12年ぶりに "ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ" の試合を目の当たりにした。
簡単に説明すると、イギリス4国(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)の代表から選抜された選手達でチームが構成され、4年に一度、南半球(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ)への遠征を行っている。
1888年、オーストラリアとNZへの遠征が最初だったが、近年は、南半球3国に4年に1度遠征が行われ、それぞれの国にとっては12年に1度の遠征ということになる。
オーストラリアへの遠征は01年以来である。
89年、01年、私にとって夢に見たスタジア観戦だったが、その記憶は鮮明に残っている。
ライオンズの遠征では3回のテストマッチ(国代表との試合)が行われる。
01年は最初の2戦が1勝1敗であり、シドニーがその決着の場だった。
99年ラグビーワールドカップでオーストラリア代表は2度目の優勝を果たし、絶好調のワラビーズはそのテストマッチでもオーストラリアのラグビー史上初めてライオンズに勝越した。
歴史的瞬間! 私にとって、あのテストマッチが長い観戦歴の中で最も感動した試合だった。
一緒に観戦した当時15歳だった息子は27歳になり、同じことを言う。
今回の遠征では、ブリスベンでの第一戦は2点差の接戦でライオンズの勝利、メルボルンでの第二戦は1点差でワラビーズが勝った。
その決着をつける第三戦はシドニーのANZスタジアム(00年オリンピックのメイン会場)で行われ、公式発表では83,000名以上の観客が押し寄せた。
私は車で出掛けたため、早めにスタジアムに到着した。
オリンピックパークには幾つかの駐車場があるが、観戦終了後に少しでも早く駐車場を離れたいため、少しでも良い場所を確保しておきたかったからだ。
それと、私には一つ "お目当て" があった。
私は、先着順に数量限定でワラビーズの黄色い帽子がもらえるのを知っていたのだ。
妻はそれを "幼稚園児の帽子" と呼ぶ。
幼稚園児が被るような可愛い形に見えるからだ。
探検隊が被る帽子をイメージしているのかもしれないが、その見てくれが何とも可愛いのだ。
ことワラビーズを思えば、私はいつも純粋な少年のような気持ちになってしまうのだ。
さすがに12年ぶりのライオンズとのテストマッチである。
キックオフ3時間前の5時にはスタジアム周辺には大勢の観客が溢れ、その誰もが祭りが始まる前のように上気し、自然に私までワクワク感が増してくる。
これがスタジアムで観戦する醍醐味なのだろう。
ライオンズの赤いジャージやグッズを身に着けたライオンズファンが圧倒的に多い。
3万人のサポーターがライオンズの応援のためにイギリスから訪れているそうだが、驚くことに、その内の多くが会社を辞めて訪れたサポーターのようだ。
スタジアムのあちこちに真っ赤な固まりが見えるが、その中にはオージーも含まれており、いかにオーストラリアにイギリスからの移民が多いかが窺える。
私の座席の周りもそのような真っ赤な集団だった。
そんな固まりの中にポツンと一人だけ、私はワラビーズカラーの黄色い帽子、黄色いマフラー、ジャンパーは紺だったが胸にワラビーマークが付いている。
ただ、周りの連中はフレンドリーで、彼らは間違いなくライオンズファンのオージーだった。
3回行われたのライオンズとのテストマッチ、20万人以上がスタジアムで観戦したようだ。
同時期の週中(水曜)に行われるラグビーリーグの「ステイト・オブ・オリジン」(オールスター試合)にも、3回で20万人以上がスタジアムに押寄せたという。
先日のサッカーW杯予選のイラク戦(代表決定戦)にも82,000人の観客が押し寄せた。
やはり、オーストラリアは世界有数のスポーツ大国なのだ。
2019年、アジアで初の "ラグビー・ワールドカップ" が日本各地で開催される。
協会関係者が世界中のスポーツイベントを視察し、準備は着々と進んでいるに違いない。
ただ、視察するスタッフは一観客として視察しているのだろうか? 協会同士の招待客として、ご接待と受けながら視察が行われてはいないだろうか? ちょっと心配になる。
"観客ファースト" を考えるなら、やはりチケットを購入する難しさを経験し、観客のどよめきの中で観戦してもらいたいものだ、と私は考えてしまう。
ラウンジで豪華な酒や食事をしながらの観戦なら、この興奮は伝わってこないはずだ!
01年のライオンズ戦、03年のオーストラリアW杯、07年のフランスW杯、今回のライオンズ戦を現地のスタジアムで観戦する機会に恵まれたが、観戦の度に、イギリス(特にイングランド)からやって来るサポーターのマナーの悪さにはうんざりさせられる。
ラグビー発祥国のプライドと言うか思い上がりからなのか? イギリスの国民性なのか?
私は彼らのラグビーを愛する気持ちや母国愛を否定するつもりはないが、それでも、度を越したマナー違反には毅然たる態度を持って対応する必要があるだろう。
私は今までの実体験から客観的に感じているのだ。
私は上階から観戦したが、最前列の赤いジャージの連中が取付けたイングランドやウェールズの旗が他の観客の視界を遮断し、セキュリティ・スタッフと危うく掴み合いになる寸前だった。
セキュリティ・スタッフがどこからか大挙して集まり、「外さないなら退場させるぞ!」と毅然たる態度で彼らに迫り、最終的に外す結果となった。
泥酔している赤いジャージの連中は、スタッフに対し汚い言葉を履き散らしていた。
07年にパリで行われたW杯準決勝・決勝を観戦した際にも、私はある意味貴重な体験をした。
私はパリのオペラ座に近いサンラザールという街のホテルに宿泊していた。
試合当日は、サンラザール駅から列車に乗り、サンドニという街にあるスタジアムに向かう。
準決勝の日は、「イングランドVフランス」、「南アVアルゼンチン」の2試合だったが、サンラザール駅で列車に乗れずに、何台かの列車をやり過ごさなければならなかった。
よく見ると列車の中間は空いており、入口付近で白いジャージの連中がブロックしているのだ。
日本の朝のラッシュよろしく、ホームから押し込もうとすると中から押し返してくる。
白いジャージの連中はまるでそれを楽しんでいるかのようだった。
数台見送ったが、「押してもダメなら引いてみよう」と私は考えた。
私はドアの部分に立ちブロックしている奴の襟首を掴んで引きずり出そうとした。
驚いた仲間が、そいつを逆にひっぱり込もうとし、その勢いに乗じて乗車した。
私は毅然としていたため、彼らは何も言わなかった。
決勝戦は、「イングランドV南ア」だったが、列車の中はほとんどが白いジャージだった。
サンラザール駅からの乗車は、準決勝とは比べものにならないほど最悪の状態だった。
それでも、私は準決勝と同じ手を使い何とか乗車出来た。
私の横から黒人女性が乗ろうとしたのを白いジャージの連中がホームに押し返そうとした。
私が空けた狭い隙間に彼女は何とか乗車したが、もの凄い剣幕で連中と言い争いを始めた。
英語とフランス語が入り乱れ、凄い事になってしまった。
彼女が一般市民であり、ラグビー観戦者で無いのは明らかだったが、白いジャージの連中が差別的な言葉を彼女に投げ掛けているのは明らかで、それには私も不快感を感じた。
スタジアムのあるサンドニ地区は、黒人が多く、治安があまり良くないと聞いていた。
彼女はおもむろに携帯電話を取り出し、英語で話し始めた。
「殺して欲しい連中がいるから、仲間を集めてサンドニ駅で待ってて!」
サンドニまでは30分ほどだったが・・・
白いジャージの数名が次の駅で突然下車した。
連中が下車した後、彼女は私に小さくウィンクした。
信じる信じないは勝手だが、これは本当にあった話なのだ。
フランスはアフリカに多くの植民地を持ち、その国の住民にフランスへの入国ビザを発給したため、アフリカ系移民が多く、特にサンドニやモンマルトル周辺には多く住んでいるようだ。
日本で開催されるラグビーW杯、視察団には一般の市内も視察して欲しいものだ。
多くのボランティアがサポートすると思うが、毅然とした態度やしっかりした英語で対応出来なければ、浮かれた海外からの連中のやりたい放題になってしまうかもしれない。
さて、シドニーでのライオンズ戦の結果は41-16でライオンズの圧勝だった。
シドニー・セントラル駅とオリンピックパーク駅を結ぶ列車の往復も、きっと赤い軍団(ライオンズ・サポーター)に占領されているはずだった。
とりわけ帰りの列車には、勝った勢いと呑み続けた赤いジャージの連中ばかりが溢れ、もの凄いことになっていたことが予想される。
ああ、2019年の日本は大丈夫だろうか?
英語のDJポリス要請も必要かもしれない。
64年の東京五輪、女子水泳100mで金メダリスト、ドン・フレーザー(オーストラリア)が、皇居周辺に掲げられていた五輪旗を持ち帰ろうとして警察官数名に追われ、お堀に飛び込んだ顛末は有名なエピソードである。
安心安全な日本、それを当たり前と思っている「平和ボケ」の国民、そんな日本を想像もしないような事態が襲うかもしれない。
くれぐれも、ラグビーが一般市民から嫌われるような事態だけは避けてもらいたいものだ。