ストーンズを50年聴き続けて | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

誕生日に息子達からプレゼントされたザ・ローリングストーンズ「GRRR!」。

最近はその3枚組のアルバムにはまっている。

1962の結成当時から2012までの曲を集約したアルバムである。

新しい曲は3曲しか含まれていないが、古い曲には一曲一曲にその時代時代の思い出がある。

私がローリングストーンズを聞き始めたのは1967年(小学5年生)だった。

多感な中学~高校時代、立て続けにストーンズの代表曲と言われる曲がリリースされた。
オーストラリアから
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は ”カギッ子” だった。

小学校の授業を終えて家に帰っても、誰も家には居なかった。

カギッ子とは、昭和30年代後半、高度成長期における共稼ぎ家庭の子供をそう呼んだのだ。

"家に入るのに鍵が必要な子" という意味でそう呼ばれたが、当時はそんな子ばかりだった。

 

母は夕方5時に仕事を終え、買い物をして6時頃に帰宅する。 

私は学校から帰宅して、その時間まで勉強をするような子供では決して無かった。

同じ境遇の子供達が集まって "忍者部隊月光ごっこ" をよくしたが、”吉展ちゃん事件” を契機に集団登下校が始まり、学校帰りに寄り道しながら遊ぶことが出来なくなった。

そろばん塾に通うようになり、塾に向かうまではTVを見て過ごしていた。

 

当時、午後2時以降の番組は乏しく、古い外国映画が毎日のように放映されていた。

「鉄道員」「自転車泥棒」「禁じられた遊び」・・・ 

古いイタリア映画、それも貧しい時代を描いた作品が多く、いつも観ながら悲しくなった。

それでも、「シネマパラダイス」という映画のストーリーのように、映画が子供時代の私の心に何かを訴えるようで、私の感受性を豊かにした要因と思えなくもない。

カギッ子として育ったことは、悪いことではなかったのだ。

 

久しぶりで「自転車泥棒」(DVD)を観た。

大不況時代のイタリアをシリアスに描いたフェデリコ・フェリーニの名作である。 

不況で仕事が無かった時代、自転車持参が条件で仕事を得るが、仕事の初日に自転車を盗まれ、その盗まれた自転車を父親と幼い息子が探し歩くストーリーだ。

 

歩き疲れ、空腹な父と子が街のレストランで食事をするシーンは何度観ても涙が出そうになる。

家計の苦しさと裏腹に、父親が息子に一生懸命「父親の顔や威厳」を見せようとする。

隣の席では、裕福そうな家族が、幸せそうに贅沢な食事をし、そこには同年代の少年もいる。

私の世代、一般庶民なら、きっと誰もが似たような記憶を思い出すシーンかもしれない。

クライマックスは、思い出すだけで涙がこみ上げてくる。

私は息子2人にこの映画を見せたことがあった。

息子達は小学生だったが、私がカギッ子時代にこの映画を観た頃と同じ年代だった。

「え! これで終わっちゃうの?」 

最後まで静かに観ていた2人が、半ば泣きべそをかきながら私にそう聞いた。

"蛙の子は蛙" 私も鼻をすすりながら、なぜか息子達の言葉が嬉しかった。

 

私の兄が中学生の頃、ラジオの深夜放送と共にあったが、兄はストーンズに夢中だった。

よくあるケースだが、兄の影響で私はストーンズを聞くようになった。

1967年頃、確か土曜日と記憶しているが、「ビートポップス」というTV番組があった。

2~3年しか続かなかったようだが、大橋巨泉が司会で、ロックファンにとっては偉大な音楽TV番組であり、60~70年代のロック・ファンなら、誰もが楽しみにだったはずだ。

未知の世界だったイギリスやアメリカのロックシーンが映し出され、それは当時のロック・ファンにとって、まるで幕末の志士が黒船にときめいたのと同じだったに違いない。

 

当時の正統派はビートルズ、アウトロー的なストーンズはあまり画面には登場せず、それが更に好奇心を煽り、そのカリスマ性が心をくすぐるようだった。

”ベガーズバンケット”、”レットイットブリード”、”スティキーフィンガーズ” ・・・ 

大ヒットアルバムを立て続けにリリースし、名実ともに世界を代表するロックバンドとなる中で、ジャンピング・ジャック・フラッシュの画像には言葉を失うほど感動した。

 

1969年のアメリカツアーを描いた映画「ギミー・シェルター」が71年に製作され、日本封切りは72年1月だったが、極限られた東京や大阪の映画館のみでの上映された。

私はその映画を観るためだけに、宇都宮から上野までの鈍行に乗った。

1982年、私は社会人2年目であり、仕事にマンネリ感を感じていた時期があった。

その頃、81年のアメリカツアーを描いた映画「Let's spend a night together」が82年に封切られ、1週間、私は毎日会社帰りに同じ映画館に通い、その映画を観た。

 

シドニーに移住してからは、95年と03年と06年に実際のコンサートでライブを観た。

95年は友人と徹夜で並びチケットを手に入れたが、チケット販売がオンラインではなかった時代で、それはそれで貴重な経験だった。

ギターとミニボンゴでストーンズの曲を演奏する連中、それが実に様になっていて、チケットの販売開始まで徹夜で待ったにも関わらず、ファン同士、誰もがフレンドリーで最高だった。

Aカテゴリーを手に入れ、正直、私はそれだけで満足だった。

そして、03年と06年のコンサートには息子達を連れて行った。

 

先日、なんとTVの子供番組でストーンズの結成50年が話題になっていた。

ストーンズにはキース・リチャーズとロニー・ウッドというギタリストがいるが、そのTV番組で純粋な子供たちが彼らに質問をした。

「ギターはどっちが上手なの?」

すかさず、ロニーが言った。

「俺に決まってるぜ!」

キースがニヤッと笑って言った。

「両方とも下手くそさ!」

それに続けてキースは言った。

「それでも、2人揃うと世界一カッコいいんだぜ!」

今年70歳になるキース、独特の風貌や演奏、そして彼独特のサウンド・・・ 

彼の言葉は、まさに "いぶし銀” の回答だった。

キースの言葉は音楽の世界ばかりでなく、スポーツや様々な仕事の世界にも通じる言葉だ。

 

曲を聴きながら、私は結成50年の重みと"Rolling stone gathers no moss"(転がる石にコケはつかない)という "ことわざ" を考えている。

その "ことわざ" には2つの意味があるという。

「落ち着きなく動いていると、コケも生えない」

「活発に動いていなければ、コケが生えてしまう」

いずれにせよ、転がり続ける70代のオッサン達から、私は勇気や元気を貰っているのだ。