ディッシュ アポロ11号月面着陸/世紀の瞬間映像の秘話 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

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シドニーから西へ400kmほど内陸にパークスという人口約2万人の田舎町がある。
この町には、「ディッシュ」という愛称で呼ばれる巨大なパラボラアンテナがある。

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2002年に公開された「ディッシュ」(日本名は「月のひつじ」)という映画で脚光を浴び、一躍有名になるはずだったが、日本ではほとんど知られていない。

実は、オーストラリアでも知らない人がほとんどなのだ。

 

その映画の案内にはこんなことが書かれている。

ケネディ大統領の演説で始まった、月着陸有人飛行計画(アポロ計画)。

1969年7月、いよいよ最初の月面着陸へ向けて、アポロ11号が発射された。

当初、NASAでは世紀の瞬間を世界中に生中継するため、カリフォルニア州ゴールドストーンにある設備を利用して、月からの映像を捉えようとしていた。

しかし、打ち上げのスケジュールが遅れたために、アメリカで電波をキャッチすることが出来なくなってしまったのだ。

結果、地球の反対側、オーストラリアの田舎町パークスにそびえ立つ巨大なパラボラアンテナが電波をキャッチするための理想的な位置であることが分かった。

画して、この一大イベントの成否が、”羊しかいない” 小さな町に託されるのだった。

 

私は何度かこのパラボラアンテナを訪ねたことがある。
行けども行けども平原が続く真っ直ぐな道に、突然この巨大なパラボラアンテナが現れる。
制限速度110kmの道路を、羊が群れを成して歩いていたのには驚いた。

パークスというオーストラリアの田舎町は、映画の案内に書かれているように ”羊しかいない” 小さな町というキャッチコピーがピッタリの町なのだ。
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私は随分以前にこの映画を観たが、解説が面白い。

「笑って思わずポロッと涙がこぼれるオーストラリアのドラマが届いた!」

確かにそんな映画だった。

 

人類が初めて月に立ったのは1969年、アポロ11のアームストロング船長だったが、このディッシュが無ければ、あの世紀の第一歩を世界中に生中継することは出来なかったのだ。
私は中学1年生だったが、固唾をのんでこのシーンを見守ったのを今も覚えている。

夏休みの自由研究(宿題)のテーマも「アポロ11号月着陸」だった。

 

オーストラリアの首相が、初めてこのパークスという田舎町にやって来る。

それを聞いて町中が盛り上がり、町を挙げて盛大にパーティーを開催したのは良かったが、ロックバンドの演奏や様々なエンターテインメントを一気に行ったために電力がパンクしてしまう。

 

町中が停電し、ディッシュのコンピューターシステムもストップしてしまう。

当時のコンピューターは部屋を一つ使うような大きさだったが、その停電のためにアポロ11号から送られてくる電波もストップしてしまう。

その電波を見つけるのは大変な作業であり、職員達はとてつもない苦労を強いられる。

 

その間にアメリカ大使がパークスの町を訪問しディッシュを視察に訪れるが、その場を職員達がどう繕うかが見ものであり、思わず笑ってしまう愉快なシーンだった。

そう、まるで乗組員と交信しているフリを装うのだ。

その辺にオーストラリアのいい加減さとユーモアを感じさせるのが何とも笑える。

ただ、コミカルに表現されているが、実際にあった話なのだ。

 

当時、ニュースなどで宇宙との交信を聞いた記憶のある人には懐かしいと思うに違いないが、「ピー」という高い音が交信と交信との間に入る。

その音を鳴らしながら、隣の部屋で2人が会話し、それをアメリカ大使に聞かせるのだ。

アメリカ大使は、「エクセレント、上手く行っているじゃないか」と安心するのである。
それは正にオーストラリアらしいエピソードに思えるのが愉快だ。

 

まだ、この映画を観ていない人もいると思われ、これ以上書くのは控えるが・・・
最後のシーンは実に感動的である。

 

最初のシーンは、とある老人がこのパラボラアンテナを訪れるところから始まる。

その老人は、この生中継を実現させたオーストラリア側のスタッフだった。

突然、降って湧いた事件のため、彼は身も心もズタズタになるほどの努力を強いられるが、その彼の努力も苦労も功績も、また彼の名前や存在すら知る人は既にどこにもいなかった。

 

昨今は凄まじい勢いで科学技術が進歩しているが、新しい技術が以前の技術を追い越せば、その時点で以前の技術はほとんど忘れられてしまう。

そう、1969年の時点で、あの映像がオーストラリアのド田舎パークスにあるパラボラアンテナで受信され、世界中に配信されていたことを知る人が世界中に何人いただろう?

益してや、そこで必死で苦労していた人達が大勢いたことなど認知されるはずもない。

 

人生もそんなものかもしれない。

ただ、本当に自分をサポートしてくれている人や自分の為に苦労してくれた人を知ることは、自分の人生を豊かにする意味で大切なことではないだろうか。

メジャーにならなかった隠れた映画だが、そっとそんなことを教えてくれる秀作である。

多くの日本人に、是非観て欲しい映画である。

もし、もし興味を持つことがあれば、このパークスという田舎町を訪れてみて欲しい。

頼まれれば、私は喜んで案内したい。