戦国時代の1586年、秀吉の命で国主となった金森長近により街づくりが行われた高山。
その町人地が、現在の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)として残されています。
 
ふたつある重伝建地区の内、
三町地区は、高山観光の中心地区。
多くの建物が店舗に転用され、GWに訪問した際には、多くの観光客であふれていました。

下二之町大新町地区は、三町地区に比べ店舗となっている建物が少なく、静かな雰囲気で生活感のある町並みで、それぞれ町の表情があります。


■町家の特徴
町家の特徴は、
屋根の軒が深く道路側に出たせがい造り。
妻籠宿(岐阜)や大平宿(長野)などの積雪が多い地域にみられるつくりです。(※)
屋根から落ちた雨水がちょうど水路に落ちる工夫もされているようです。
前側の屋根の軒桁の高さ(屋根高)は4~4.5m少しと低く抑えられています。

これは、江戸時代商人町は反映をつづけ、富と財産を築きあげましたが、身分制度から豪華な町家をつくることはできませんでした。このため軒高さも低くされ、独特の景観となっています。

当時は、屋根の軒先がきれいに揃っていたそうすが、現在では建て替えや改修などにより、軒先位置はでこぼこになっています。

敷地間口は3間から4間(5.4m~7.2m)と狭く、奥行長い敷地は京都と似ています。

道路側から奥に、母屋、中庭、土蔵が配置されています。
奥の土蔵は防火の役割を果たしていて、連続する土蔵の列は延焼をくい止める防火帯としての効果もあげてきたそうです。
 
重伝建地区では、
景観を維持するために電線を地中配線が、道路溝にグレーチングには木のカバーがされるなど工夫が行われています。


■伝統ある町並みが残された背景
高山駅がこの地域から外れたところにつくられ、商業中心地は別の町内に移り商業ベースでの建替えが行われなかったことが要因のひとつのようです。

■重伝建地区について
2地区に分かれて指定。
・三町地区(昭和54年に指定、平成9年に拡張して指定)
・下二之町大新町地区(平成16年に指定)
 
昭和30年代後半には観光客が目立ち始め、汚くなりつつあった宮川や町を、美しくしようという気運が高まったそうです。
川に鯉が泳いでいれば、大人は川にゴミを捨てないだろうと考え、子どもたちが宮川に鯉を放流し、それが市民運動へと発展していったそうです。
  
■金森長近の町づくりについて
商業経済を重視した城下町として形成され、城を取り囲む高台を武家屋敷、1段低いところを町人の町としています。
この町人地の1部が現在の重伝建地区。
町人地は武家地の1.2倍あり、
全国城下町の平均が武家地7割、町人地3割であることから考えても町人地の割合が大きく、商人の経済力を重視した長近の考えが数字でも現れています。
 
※妻籠宿