妻籠宿。
江戸時代中山道の宿場町で、現代にそのすがたを目にできる貴重な町です。
 
江戸の町並みがまとまって残っていて、
日暮れ後、早朝などの人のいない時間帯を歩くと、時間が止まったような感覚を覚えます。

 

江戸の町並みがまとまって残っていて、

日暮れ後、早朝などの人のいない時間帯を歩くと、時間が止まったような感覚を覚えます。

 

昭和51年(1986年)に、
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の選定され、それは重伝建第一号、4つのひとつ。
その後、重伝建地区は全国に100を超えて広がっています。
 
地元の妻籠を愛する会の理事長さんに、お話しを伺う機会がありました。
並々なるご苦労を超えて、今に至っておられます。
 
明治以降、JR、国道の開通により、
交通拠点からはずれ、宿場機能を失った妻籠は、
開発の波を受けず、結果として江戸時代からの町並みが残っていた。
しかし、昭和40年代には町は過疎となり、それを打開するため残った町並みの保存を考えた。
地域が苦境にあったため、保存の合意もスムーズだった。
また、ネットない時代だったため、情報もなかったことが合意の点では、逆に幸いだった。
 
このような、きっかけからのスタートだったそうです。
重伝建地区指定のために、住民合意にご苦労されている現在の他地域と、ここが違うようです。
 
町並みを維持するために「売らない、貸さない、壊さない」の他、強い規制がかかっています。
お店の販売商品の制限、自販機を設置しないなど、
土産物店が建ち並ぶような観光地化としない決意が、本物を残しています。
 
課題もあります。
50件あった宿泊施設が、今は13件。
観光客はたくさん来て、宿泊需要があるにも関わらず、跡取りなく廃業していることが理由。
「売らない、貸さない」があり、外部からの参入できないことがその理由のようです。
妻籠宿の課題と見受けました。
 
■寺下地区
江戸時代の妻籠は平屋建てで、大名を見下さないため2階建ては禁止だったそうです。
その時代の建物も残された町並みです。
大半の建物には、今も住宅としてお住まいでおられます。

■本陣、脇本陣地区
明治以降、大名行列が来なくなったため、2階建てがOKとなり、
この地域独自の、せがい造りにて建て替えられています。
江戸時代と明治以降の2つの違った町並みがあることも、妻籠の魅力です。
 
■脇本陣
明治10年に建て替えられた3階建て。
明治天皇も立ち寄られ、その部屋と使用された机が残されています。
梁柱の構造体も重厚なもので、まさに重要文化財の存在です。
■本陣
宿場町として終焉とともに明治中期になくなった本陣を、
平成になって、復元再建されています。
築20年ほどになり、建物としても落ち着きが出てきています。
 
町の方々は気さくな方々が多く、初対面にも関わらず、いろいろとなお話しをしてくださいます。

歴史ある町並みを後世に残していくためにも、
時代にうまく合わた保存のしくみづくりがこれからの課題のように思いました。