つれづれに想う。

 

浅田真央ちゃんの会見のニュースで一杯です、知人とその様子について話をしていてあらためて気づかされたことがある。

 

あるニュースキャスターが「真央ちゃんがいった人生とは『一生』のことですね」といったコメントをした。いつもなら「何をこのキャスターは言ってんだろうね」と一笑にふす悪い癖が出るところだったが、これを聞いて「あぁ一生かなるほどね」と思った。

それは、あらためて人生は一所懸命に燃え尽きることができれば、何度でも生きられるんだ、と思ったことだった。もちろん、第二の人生を同じく生きるのもそう容易くはないかもしれないが。

 

そのことを話していると、知人が「だから真央ちゃんは白い上着に黒いスカートをはいてたんだ」といった。確かに、燃え尽きたといえば「白」で、「白秋」というが白は秋だ。

「黒」は「玄冬」といい冬である。

冬は大地が栄養をためて春に備える、スタートの色といえる。北海道の肥沃な大地は黒い。全ての色の要素を抱え込んで外に出さない色の宝庫でもある。白黒は催事色だが、それは死と生とを表わしているのだろうか。

世間で騒がれていることを静かに聴いていると「そんなにみんな誤りなく、正しく生きているのかな」と思ったりもする。

思い込みが強く働き、ある現実を誤認して記憶することもあろうし、あまりの酷い出来事を記憶から消し去ることもあろうし、特殊な環境に置かれ過ぎて、世間とは違ったところで心が動くこともあろうし、また売り言葉に買い言葉となることもあろう。

もちろん公の場やシチュエーションなどにより、あえて正論でおさなければならいこともあろうが、「そういうこともあるな」と受け流すことはできないものか。完璧な人などなく、誰もが幾ばくかはスネに傷をもつものであろう。

それをムリクリとおしまくっても、今も昔も「記憶にありません」とした答えが返ってくるだけである。孫子の兵法ではないが、真に得たいものを得るには「敵を知り己を知れば百戦危うべからず」である。

「嘘や悪行を許せ!」というのではなく、「悪を憎んで人を憎まず」というではないか。どんな相手でもまずは心に受け入れてみれば、案外に攻めの糸口が見えてくるのではなかろうか。

「正義は我にあり!」と攻めまくってみても、周囲の目は攻められる側に情が湧く場合もある。また攻め手に心を見透かされ、堂々と受け答えれては正義も糞もない。かえって人を責めることに終始すれば、大事な問題からはどんどんと遠のいていくことになる。

向き合うべき、攻めるべきは人ではなく問題の根っこにある悪である。「悪」となれば抽象的だが、それを具体的に浮き彫りにできるのが人の知恵ではなかろうか。

問題を見つけて糾弾することは誰にもできるが、それをどう上手に収拾し、片付けるかは誰にでもできることではない。人物としての器と力が試されている。

若き日の

  学びの道に 悔いはなし

 あの友この友 

     輝く春(とき)かな

 

学生時代に、「新しき朝は/青年のものである。/朝霜鮮やかに/青き麦畑に似て・・・」と何度、音読したかわからない詩がある。あれから29年が経つのか。

今年の新たな挑戦として、ある企業トップと編集アドとの三人で今の時代変化を捉えながら、自由なブストを月に一回行っている。

誰が主導というのではなく、全く経験や年齢、立場とは関係なく自由に進めている。最初は少しぎこちないところもあったが、まるで旧知の間のように、肝を外さず自由自在に話が話が巡るようになってきた。

そうなると楽しいとともに心地よくなるから不思議である。文字通り、人は人との関係でしか心の成長も充足ないのであろう。ありがたい機会となった。

 

先日は「時代(今)感」といったことから「若さ」の話となった。はやり学生時代に「若さとはノンキャリのキャリア」といっていた大先輩がいたが、経験や実績のない分、過去にとらわれないばかりか、未来にもとらわれることはない。

だからこそ、今を生きることに真摯であり、真剣であるといえよう。また今を生きているからこそ、時代の呼吸といったものを鋭敏に感じているに違いない。

まして変化の激しく速い現代では、その時代の呼吸と自らの呼吸とは図らずも一致していることが大事なのでないだろうか。われわれはともすれば過去や未来に引きずられ、身を固め、考えすぎて呼吸困難になりがちである。

何も考えずに時代の呼吸と同じ呼吸をして、衒いなく今を生きていくのが若さの強みである。果たして、若さとは年齢によるものか。また自身は若いといえるのか。関心を寄せるところでもあるので、有名なサミエルウルマンの詩を最後に載せておくとする。

 

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,

こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、

こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、

精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、

その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、

事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く

人は自信と共に若く

希望ある限り若く    

疑惑と共に老ゆる

恐怖と共に老ゆる

失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、

偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば

この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。