確か手塚治虫さんの「ブッダ」に描かれていたのだと思うが、ブッダがある殺人者に示した許しが記憶に残っている。
それは、数百人殺した殺人者が、あるとき一人の人の命を救う。救うといっても、殺さなかっただけで瞬間的な心変わりよるものだ。
ただ、ブッダは彼に未来の成仏を可能性を示す。それは、その殺さなかった一人に連なる子々孫々が、未来へと広がる命の可能性である。やがて殺した人の数を上回り、無限に広がる可能性があるからだ。
私などは、つい「でも殺した人に連なる子々孫々の未来があったのでは」と考えてしまうが、現実は否定できず、過去は変えられない。つまり、変えられるのは未来だけである。それはブッダの目が現実を直視し、また未来へと向けられている証拠であろう。
以前に観た映画「プライベートライアン」の中で、トムハンクス演じる士官が、教師であったことを知った仲間の一人からデューイの戦争賛美についての質問を受けるシーンがある。それも現実を肯定した上で、あえて戦争から未来の平和の糧を見出したといった答えであったと記憶する。
過去を否定し、現実を悲観することは誰にもできるが、それを直視した上で、いかに思い描く未来を開くかが大事となろう。私は、それこそが真の現実主義だと思っている。一見して言動や行動に矛盾がみられるこもあろうが、ともに未来に心を向けたとき、それらをつなぐ明らかな光がさす。
手塚さんの描いたブッダは、観念の世界に生きる仏ではなく、思い描く未来へ向けて現実をどう変化させてゆくか(人の心を変えてゆくか)に焦点が注がれている。だからこそ、未来における「数」(救う命>殺した命)も大事となる。
目に見えるものでしか考え、判断できないのは、実は何も見ていないのに等しい。世のなかには目に見えないもののことの方が圧倒的に大きい。まして時は常に未来から過去へ流れてゆくのだから、見えないものばかりである。