A Happy New Year!

2016年は陰に陽にお世話になりました。

2017年はまた相変わりまして、宜しくお願い申し上げます。

 

いよいよ新時代へ向かい世界が大きく動く、これまでの(どれほどかは分かりませんが)人生で鍛えた体幹を生かし、志のままにこの道を歩み通したいと思います。ますます皆様の心と言葉を糧としてまいりますので、宜しくお願い申し上げます。

 

 「新春」

 

 いつもの日々、昨日から今日へと変わりなく、

 日が暮れて、また日が明ける。

 違うのとすれば、それはわが心身の代謝である。

 そこには心次第で、月々日々に強まる力があり、

 変化のたびに、確かな節を刻みつづける。

 

 大地を染めて昇る陽は変わらずも、

 照らされるこの身は全く違う。

 37兆のわが身にひしめく細胞の一つひとつを

 陽の光は照らし出して静かに温めていく。

 大地の垢穢を浄める水もまた、

 わが身の細部の細部に沁みて潤す。

 大地を塵埃を払う風も血中に入って、

 清新な息吹となって身体を駆けめぐる。

 

 耳を澄ませば、いつと変わらぬ鼓動のなかに、

 わが心身が音を立てて変わりゆく様を観る。

 それはフツフツと沸騰して流れる血潮の叫び。

 流れながら、ぶつかり合いあらゆる方向に跳ねる

 無数の分子と分子とのひしめき動く騒音である。

 

 「流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と

 古の歌人は喝破したが、ただ昨日から今日へ

 今日から明日へと流れいくものではない。

 「日に新たに、日々に新たなり」である。

 賢人・聖人にあらずとも、心身の内に変革は誰にも起る。

 古の歌人のごとく、わが身の内からその騒音は聞こえる。

 

 その沸き立つ変革のエネルギーを結集し、

 コントロールして、思うがままに用いるには、

 始中終捨てずして苦難を貫く志と、言葉とが不可欠だ。

 籠のなかの鳥が泣けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれ集まるという

 鳥には鳥の、魚には魚の、虫にには虫の

 人には人の、わが心身の分子には分子の言葉ある。

 それを知れるのは、わが身と心だけ。 

 

 唯、身と心だけが能く究尽くす。

昨日、儲かる農業の会という、非常にユニークかつエキサイティングな会に参加し、(毎回のことともいえますが)啓発的な出会いがありました。

 

余談ですが、「儲かる農業の会」とは実に怪しげな会に聞こえますが、内実は非常にまじめな、また2008年から毎月欠かすことなく開催し、もう100回を超えています。参加は自由で、「農業」に関わるというよりは「農業」という言葉にピンと来た人が、来れるときに参加するというほどの自由さです。

私自身、途中参加で毎月参加もできませんが、それでも顔なじみの方やまた毎月誰か新しい参加者がおり、業種も多岐にわたっています。老若男女、考え方や経験も多岐で、唯一足りないといえば人種くらいでしょうか。とにかく、どなたも意欲が旺盛で刺激をもらいます。

 

さて本題に戻りますが、そこで昨日歯科医師の方の話を聞くことができました。私自身も平成22年に治療をしてから、良い医師と出会いがあって数か月に1回ほど検診をつづけています。不思議なことに以来、年に数回風邪を引いていたのが、ほぼ引かなくなりました。

そうした経験もあり、医師や関係者に口内衛生と病の関係を聞く機会も増え、それについては多少の知識と実感を得ています。ただ、そうした口内衛生と病の予防についての認知は、あまり広がりが感じられず残念に思っていました。

 

それが昨日、そうした認知を広げる一つの取り組みとして「味覚マイスター」をスタートしたとのことでした。この点については知見がほぼないのですが、医師の話しを要約すれば、口内衛生=味覚となるとのことで、その認知の推進として日本人のミシュラン判定人をつくりたいというこでした。

「うまみ」は今や世界語となりましたが、味覚は経験によるところが大きく、その点では欧米人で「うまみ」の分る人は少ないわけですが、その欧米人が日本の食のミシュラン判定をしているというところに疑問をもっているとのことです。

「公式には判定人の日本人はいない」ということで、そのための基準として「味覚マイスター」を立ち上げたとのことでした。おもしろい考え方であり、日本人ならではの「うまみ」が分るマイスターの誕生は期待したいところです。

 

昨日も他の方との話のなかで、年齢を重ねるごとに楽しみは「食」になるとしみじみと語っていましたが、たぶん多くの人の共通する実感であると思います。言葉を生業としている私が、身近で気になる言葉の一つが「ピンピンコロリ」です。

気持は十分に理解できますが、語感のよいことばではなく、また一見して明るい響きのようで、何か哀愁のような感が拭えません。賛否は置くとして、そうした気持ちを汲みながら、それに変わる言葉として「最後までおいしいと感じたい」といった主旨のものを考え中です。

「おいしい」とは「美味しい」であり、命を美しいと感じる、命を継ぐ、命をいただくことに感謝する心だと思います。人生の最後の最後までそうした食欲を失わず、「おいしい」と感謝できることが幸せなのではないかと思います。

私のフィールドである包装は、その「おいしさ」を包み、感謝の心を人に伝える知恵の生活文化であり、口内衛生の認知や知見もまた自他ともに命という食を慈しむことに通じる道だと思います。「儲かる」との形容詞は「揶揄」であり、そこにユーモアが感じられますが、「農業」には「食」=「命」=「感謝」といった深い根があることは間違いありません。

 

長々となり恐縮です。

先日、町会恒例の餅つき大会が無事に終わりました。町会行事をどう地域に開いていくか、新しい居住者に興味関心をもって参加してもらうか。互いにとって、非常に大事なタイミングのように感じます。

徐々にではありますが、新しい人や若い人、外国人はまだまだですが、町会行事に感心をもって参加してくれる人は増えているように感じます。近年の餅つき大会の懸案であった「つき手」も今回は多く、用意したもち米は全てモチへと変わりました。

ただ衛生上や事故などの懸念から、段々と管理上の制約は増してくるようで、リスクを回避して早々に行事を中止するところもあるようです。安全・安心は大事なことですが、あまり規則規則で縛り始めると、大事なものまで失いかねません。

 

余談ですが、食品の機能表示についても法規制が厳しくなり、なんとあの森永キャラメルの顔ともいえる「滋養豊富、風味絶佳」との表示が危ぶまれているとの話を聞きました。

ちなみに書かれていることは認知していても、どういう意味なのかを知っているでしょうか。漢字をみればおおよそ理解はできますが、それでも世知辛さを感じないわけにはいきません。

その世知辛さに負けず、意地を通して生きること