つれづれに思う。
ある映画で、小説を書くための訓練の一つとして「見えないものを見つづけなさい」と言っていた。見えないからといって存在しないことはない。
空のコップのなかには何もないわけではない。空気で満たされているから、仮に水を並々と入れれば空気は全て押し出されてしまう。何かが入れば何かが押し出されるわけで、「無」という状態ではない。
その映画でもう一つ人生訓として「扉が閉じれば別の扉が開く」ともいっていたが、作用があれば反作用があるのが自然の道理であろう。ちなみに仏典に説かれる「空」も「無」の意味ではない。インド的にいえば「ゼロ」である。
「無」から「有」が生じることはなく、有が生じるということは「無」に見えても、そこには何かが存在しているということであろう。人もまた同じく無能な人はいない。誰の目にもそう見えたとしても、必ず人それぞれに能は有る。
小説家にならずとも、見えないものを見つづける努力は大切である。たとえ目の前の扉が閉じて、自身を嫌いに思えるようなときも、けして「無」になろうとはせず、みえない自らの「能」への慈しみで心を満たせば必ず、能は姿を現してくるに違いない。
見えない心のままに「無」を求めれば、得たいの知れないもので心が満たされることになり兼ねない。しっかりとみないままに受け入れて、善いものが入ってくるためしはない。
みえない自身の「能」を慈しみ、みつづけようとすることは同じく、他のみえない「能」を慈しみ、みつづけようとすることである。
そうすれば、どこか思わぬところで別の扉が開くものである。