つれづれに思う。
「ひたむきに生きる青き友よ/さあ! こちらへきたまえ/君の
ために半座を分かとう」とは、好きな詩の一節である。
つい先日、釈尊のエピソードを読んだ。悩みを抱えて森をさまよう青年と出会った釈尊は、「若者よ、ここに悩みはないのだ。さあ、ここに来て、座りなさい」と声を掛けて、座っていた敷物の半座を分けて青年に座らせた、という内容だった。
好きな詩の一節は、この釈尊のエピソードが元になっているのかもしれない。知り合いか、偶々か、シチュエーションは色々とあろうが、高齢社会とはいえ誰の隣にも青年はいるものだ。
爛漫と咲き薫った桜花もすでにハラハラと静心なく散りゆくが、その花見の下で自らの半座を分かちて、「悩みのない」話ができたであろうか。その人は幸せである。若き日に、そんな経験を何度となく持てた僕は幸せである。
ただそんな幸せに安住することなく、僕も半座を分かてる人にならなければと思う。全ての苦しみを引き受ける覚悟ができれば「ここに悩みはない」と、半座を分けて心ゆく話ができるであろう。