今宵の松陰の名言。

「だから戦うんですか?」との文さんの問いもすばらしいが、
その妹の問いに真摯に答える松陰の姿も言葉がいい。

 「戦いとはただ戦のことを言うのではない、
  屈しない心を持つ事を言うのじゃ!
  お前も戦うたではないか、
  キクに文字を教え送り出した。
  戦いを教えたんじゃ、あの子が生きる為に」と。

「花燃ゆ」を観ていない人には分からないところもあろうが、
一人の少女が最愛の母を失い生きていく上で、
読み書きを教えることがどれほどの力となるのか。
しかも幕末であれば、生活の糧となるとは到底思いえないが、
読み書きを知るということが、一人の少女の心の糧となるに違いない。
つまり、逆境と戦う心を教えたというこであろう。
これほどの良き例えはない。

読み書き一つの武器ではあるが、
今ほどわれわれは何かで、この「戦う心」を持つが大事ではなかろうか。
つまり「屈しない心を」である。
世界中で痛ましい事件・事故がつづきます。
ふと思うことは、どんなに不思議な(想像を超えた)ものであっても、
どこかに真実の欠片があり、「完全に」とはいかなくても、
真実に迫る何かがあちこちに散らばっているものです。
その一つひとつを慎重に、丁寧に拾い上げていけば
必ず真実に至るものではないでしょうか。
その真実に至ることが、事件・事故の被害者、加害者、
関係者の心を救うことになろうと思います。
「災い転じて福となる」といえば、語弊があるかもしれませんが、
未来に希望の光の欠片を見つけることにもなるのではないでしょうか。
人の心は見えないもので、
また自分の心でさえ見えているとは言いがたい。
人は目に見えるものにばかり心をとらわれて、
どうしても目に見えない心には関心が薄れる傾向にあります。
さらにいえば心の「光」は様々に表れやすいものですが、
「闇」は深まる一方で、なかなか表れにくいものではないでしょうか。
ゆえに一度、何らかのカタチで表われるときは、
想像もつかないようなことを引き起こしてしまうものではないか。
これは古くて新しい、人としての永遠の課題ではありますが、
一つの解決を生みやすい事故・事件の表層のみを追った対処で終われば、
心の深い闇を光で照らすことはできないでしょう。
一見、問題の解決には迂遠なようでも、
また直接的な対処、解決には至らなくても、
人類である以上、この心の問題を避けては通れません。
心の「光」といい「闇」といっても、
けして当事者の心のみに止まるものではなく、
私は(想像でしかありませんが)人の心というものは
深い次元で共有している、つながっている(通底)ものと思います。
けして並立できる問題ではありませんが、たとえばテロも含め、
「一を以て万を知れ」で、一つのことを丁寧に掘り下げ
真実の光に至れば、必ずそれは様々に波及していくものと思います。
多くの尊い命が失われたことに、心よりご冥福をお祈り致します。
もちろん専門的なことは分からない。
だが、国民年金・厚生年金を株式投資で運用するということが、
ほとんど理解できない。
人から預かった財をどうして安々と投資運用できるのだろうか。
どこか「他人の財」といった思いがあるのではないのか。

そもそも年金制度にはある種の理念があり、
それは若い人たちがシニア世代の老後を支えるということであろう。
もちろん人口動態は変化しつつある今となっては、
仕組みを見直さなければならないことは当然だが、
それでも心(理念)まで捨てることはなかろう。

投資運用にどんな理念があるのだろう。
国会討論を見ていても、いかにも
「運用益がこれプラスなんだからいいだろう」と言った風に聞こえる。
投資運用はハイリスク・ハイリターンなのは誰もが知るところで、
それなら、もし運用益が極端なマイナスとなったときも想像できよう。
そのときには、どんな言い訳ができるだろうか。
最悪を考えずとも、謝罪して逃げるのが山である。
誰であっても、責任をとることなど到底不可能である。

人のやることだから、成功もあれば失敗もある。
だから成功は称え、失敗を責めることはしたくはない。
ゆえにどんなことであれ、その運用にあっては誠実であってほしい。
心のあるものであってほしい。そう願う。

人の行為の順序にはまず理念があるべきだ。
理念があって、それがカタチなる。
自然だけがそれを同時でき、人にはできえないことである。
最悪の場合は、理念とカタチがバラバラで相反しているということだ。
それでは けして長続きはしない。早晩にも破綻するのがオチである。

国会での討議にしろ、実際の運用にしろ、
成否はともあれ、まず心ある、誠実な運用を考えてほしい。
少々荒い言い方となって非常に恐縮だが、
「金が入ればいい」というのは、あまりにも悲しく情けない有様である。
それでは子息に顔向けができない。
「目的は手段を正当化しない」というのがガンジーの遺言である。

少々乱言となったが、乱心ではない。悪しからず。