言葉によって傷つけば、言葉によって救われる。
たかが言葉だが、心から発する以上、心に至る力がある。

楽しいところに、人々は集う。
明るい集いに、歓喜がわく。
喜びの心に、福徳はいや増す。
勢いの強いところに、勝利もある。
ゆえに、朗らかに、また仲良く。

真剣と深刻とは違う。
勇敢と悲壮とは違う。
大勇の人は、明るい。
確信の人は、冷静である。
知性の人には笑顔の余裕がある。

楽しいときは、自然に明るいところに足が向くものだが、
不思議なもので、苦しいときには、それがおっくうになる。
むしろ苦しいときほど、意識して明るいところに足を向け、
明るい人たちと会うことだ。

表情からはわからないことも、言葉にはちゃんと表われる。
言葉に表れた心は、ちゃんとこちらの心に響く。
だから、大事なときの大事な言葉はちゃんと心で聴くことだ。

今年は、そんなちゃんと聴ける心をつくりたい。
言葉にするのはいつもむずかしいが、
何があっても清浄な心で、温もりのある言葉を発したい。
何となくすっくりとしないニュースが多い。
さほど関心があるわけでもないのだが、
妙にスマップの解散報道が心にかかる。
周りがいくら思いを巡らせても、また騒いだとしても結局、
真相を知るのは本人と事務所であり、
両者の間で決断するしかないことである。

ただ自らを振り返っても思うことだが、
40代を前後する時期には色々なことがあり、
また色々と思いを巡らせるときでもある。
いわゆる「不惑」の年代であるが、その言葉はむしろ戒めで、
惑いの渦中のあるのではなかろうか。
それだけに、以後に人生にとって非常に大事な時期でもあり、
「正しい選択(答え)」というのはないにしても、
惑い抜いて、惑いの厚雲を突き抜けて、
未来の光を仰がなければならない時期ではないか。

確かにファンは大事である。また事務所も仲間も大事である。
さらに家族も大事だが、忘れてならないのことは
「自らの人生である」ということだ。
周りの声を聞くことも大事だが、
それ以上に今は自らの心の声を聞くことではなかろうか。
ここがひとり一人の人生の正念場であるような気がする。

くり返すが「正しい答え」などあるわけがない。
自らの心の声にしたがい、自らの信じる道を歩むことである。
大なり小なり、誰もがこうした人生の選択をしてきたはずだ。
私もまだぎりぎり40代だが、むしろ50代に心は移りつつある。
だから、惑いながら道を選ぶ40代前後の人たちに、
少しでもエールを贈りたい気持である。

メンバーの一人が「これからの自分たちをみていただき」と、
会見でいっていたが、それ以外にないを私も思う。
これからの歩みのみが心を表わすものであろう。
松陰の座右「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」のごとくである。

つれづれなる思いの一端、悪しからず。
あのジブリ映画「千と千尋の神隠し」のシーンを憶えているだろうか。ストリーの最初の方で、千尋のお父さんとお母さんがブタになるシーンである。あれを見たときは非常にショッキングだった。

母 あきれた。これ全部 食べ物屋よ。
千尋 誰もいないねー。
父 ん?あそこだ!
おーい、おーい。
はぁー。うん、わぁ。
こっちこっち。
母 わぁー、すごいわねー。
父 すみませーん、どなたかいませんかー?
母 千尋もおいで、おいしそうよ。
父 すいませーん!!
母 いいわよ、そのうち来たらお金払えばいいんだから。
父 そうだな。そっちにいいやつが……
母 これなんていう鳥かしら。……おいしい!千尋、すっごくおいしいよ!
千尋 いらない!ねぇ帰ろ、お店の人に怒られるよ。
父 大丈夫、お父さんがついてるんだから。カードも財布も持ってるし。
母 千尋も食べな。骨まで柔らかいよ。
父 辛子。
母 ありがと。
千尋 おかぁさん、おとぅさん!!

「お金払えばいいんだから」「カードも財布も持ってるし」とは、何と心がおごった言葉かと思った。こういえばブタに失礼になるが、まさしく心はブタだと。ブタにはなりたくないと思った。

「魚は水に住む。水を宝とす。木は地の上にをいて候。地を財とす。人は食によつて生あり食を財とす、命と申すものは一切の財の中に第一の財なり」という。
 ただ食べることが「財とす」ことではない、食をもたらす全てに感謝があり、その大事さを知り、大切に食することである。宮崎さんの描いた心を忘れず、ブタにはなるまい。