「2020東京オリンピック・パラリンピック」開催に向けた
江東区における(地域主体の)スポーツ振興の取り組み案

 幸いにも2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」の開催では、江東地で多くの競技が行われることから、これを一つのエネルギーとして、江東の新たな未来図を描きゆくことは非常に重要だと考えます。
 これまでは、かつての環境汚染をバネとして「水彩都市」として、その環境整備に力を入れてきたこともあり、これからは「人」に焦点を当てるべきことは自然の流れでしょう。その一つとして、「スポーツの江東」を掲げて取り組めば、将来には江東の地からオリンピックで活躍するスポーツ選手を数多く輩出することも夢ではありません。
 すでに江東には多機能なスポーツセンターが各所に整備されており、それらをキーステーションとしてフルに活用して(老若男女の)スポーツ人口の拡充とともに、そのスポーツを通じた交流を推進することで、顔の見える交流の場になってゆくことは間違いない。「とにかくスポーツセンターへ行けば誰かと会える」という場にしていくことが大事ではないでしょうか。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と言われるように、スポーツには現代社会が抱える様々な課題を解決する大事な要素が多く含まれています。いずれも「人づくり」が主となるもので、それだけに、こうした取り組みの主体は地域(町会)でなければなりません。ゆえに政府の掲げる「地方創生」の旗頭として、都として、又は区として、地域主体の取り組みをどう推進できるか、という方策を検討してほしいものです。
 さて、もう一つは別の角度から、オリンピック開催を契機としてどう区として国際化をアピールするか。または地域を開いていくかといった取り組みが必要だと思います。不思議なタイミングで、3年に一度の深川祭りがちょうどオリンピック閉幕とパラリンピック開幕の間に開催されます。
 もちろん伝統は重んじるべきですが、ある一面ではスポーツと連動したイベントとして位置づけることで、より国内外に開かれた祭典となるのではないでしょうか。もちろん伝統行事としてのむずかしさや、当日の警備など安全管理の問題もあろうかと思いますが、これまでも神社と地域、警察・消防、行政などが一体となって運営してきた経緯もあり、けしてできないことではないと思います。

1.スポーツ人口の拡充(若年層の健全化と高齢化対策)
■目的:高齢社会が進むなかで「とにかく歩ける」を合言葉に、明るく元気な街づくりを目指す。(三減三増)
  →高齢者:1)要介護数の減 2)患者数(病院が通い)の減 3)事件・事故の減
  →若年層:1)知人・友人の増 2)心身の健康の増 3)学力の向上

2.スポーツ交流を通じた地域住民(新旧)交流の推進(地域の安全・安心対策)
 ■目的:人口が増加するなかで、「とにかく参加」を合言葉に、新旧住民の交流に止まらず老若男女の重層的な交流により、安全・安心で心の通う街づくりを目指す。
  →1)新旧居住者の交流 2)海外居住者との交流 3)年代性別を超えた交流
  →スポーツセンターを地域住民の交流の拠点とする。(場合によっては設備要)

3.スポーツと伝統行事のコラボレーション(区としての国際化対策)
 ■目的:「2020東京オリンピック・パラリンピック」開催を契機に、「とにかく交わる」を合言葉に世界に開かれた街づくりを目指す。
  →伝統を重んじつつもスポーツ的な要素を取り入れたイベントとして開催する。
→たとえば、1)旧来の神輿に海外からの来場者を公募で参加させる。
2)オリンピック選手、もしくはメダリストたちの臨時神輿をつくる。
3)パラリンピック選手用の臨時神輿をつくる。

 高邁な理想や理念、目標や掛け声は不可欠なことですが、目標が大きいほど、掛け声を大きくすればよいというものではなく、それを成し遂げることは難しい。やはり大事なことほどより具体化し、日常化しなければなりません。
 日々の生活のなかに溶け込む(組み込む)活動ほど、力強いものはありません。ただし、それを政府や行政でやろうとしても、むしろ弊害の方が大きい。その主体となるひとり一人の力を如何に引き出すのは地域や町会でなければなりません。
 政府の掲げる「地方創生」や「一億総活躍社会」「女性が輝く社会」などいずれも、その主眼(焦点)を地域や町会に定めて、いかにその潜在する力を活性化するか、引き出すかにあると思っています。
 つまり主体としてのひとり一人の力を引き出す「場づくり」といえるものです。地域や町会といった既存の「場」の蘇生(活性)であり、もう一つはスポーツという心技体の養成の「場」であります。いずれも山積する課題にはもって来いの特効薬となるでしょう。
 その意味でも、「2020東京オリンピック・パラリンピック」はちょうど良い目標であり、これを山積する課題を一挙に解決するのに活用しない手はない。東京で開催されるもう一つの効果として、先にも触れましたが、伝統と革新との絶妙なつなぎ手ともできるものであると思っています。

恐々謹言。
灯台下暗しで、長く暮らしていても目に入らないことも多く、
確かスマ&スマだったと思いますが、
新木場にある佐野造船所(サノマジック)を訪ねていました。
造船といっても、いわゆる船大工で母校で学んだ商船とは、
少し違う世界ですが、そこで船大工の技術を使った自転車と、
スピーカーをつくっているとのことでした。

ただ、業界の賀詞交歓会で草創の功労者が車椅子を使われているのを見て、ふっと「自転車ができるなら車イスも?」と思い立ち、
さっそく佐野さんに(図々しくも)メールをしてみました。
そうしたら「車イスをつくろうと思ったこともなく、つくろうとも思わない」と、あっさりとしたご返事をいただきました。
そこで「一度、お訪ねしたい」というと、「土曜日の午後ならどうぞ!」とこれまたあっさりとしたご返事でした。

それで、また図々しくも訪ねた次第で、すでに数人の方が訪れており、ごあいさつをすると「あっ~そうでしたか」と、またまたあっさりとしたご対応で工房を見学させていただき、少しお話を聞こうと控えめに質問をすると、一つ一つの質問に丁寧に答えていただきました。

スマ&スマ以降、知らない人の来訪が増えたことや、おじいちゃんとお父さんのこと、また弟子をとったことや、音楽業界のことなど、どれも職人らしい目線の切れ味鋭い話ばかり。ただ興味はないといっていた車イスについても縁がないわけでなく、業界の話をしてくれました。

やはり本業は船大工であり、ヨットの話を聞きました。目下は、FRP(繊維強化プラスチック)が主流のようですが、それぞれの素材にはそれぞれの良さがあり、木製の良さの一端について、船室が夏は涼しく、冬は温かいと話てくれました。
とくに夏はPRP製ではクラーが欠かせないようですが、これまで木製の船でクラーをつけたことがないと。また幼少のころ、夏の暑い日の工房では、よく製作中の船のなかで涼んでいたとの思い出を話してくれました。

「船に比べれば」との前置きはありましたが、自転車にしても、スピーカーにしても(いいものを造ることの)思い入れは強く、
ずっとスピーカーから音楽を流していました。素人目にも、ギターやバイオリン、又はピアノがそうであるように、木の箱自体が振動することで音に奥ゆきが出てくるようです。
佐野さんいわく「ある位置で聴けば、目の前で演奏しているような感覚になります」と。今年の4月に長崎に復活する「ホーランドビレッジ(オランダ村)」のガラスの博物館に、佐野さんのマホガニースピーカーが展示されて音楽を奏でるということなので、もし興味がある人は聴きに行かれるといいですよ。

ある意味で、木製スピーカーから流れてくる音楽を聴きながら、佐野さんにお話を聞けたことは幸せです。そのお話の言葉といい、しゃべり方といい、「てっやんでぇ~」という言いまわしを(時代劇以外で)聞いたのは初めての経験かもしれません。
長く東京で暮らしていますが、本当に江戸っ子っているんだなぁ~。ちなみに「し」と「ひ」が使い分けられない人は一人知っています。その方は「わたひが歌います。美空しばり」といいます。
大学のころに、西岡常一さん著作の「木に学ぶ」を読んで感動した覚えがありますが、「木」は奥深い。その奥深い生き物とともに生きることは楽しい。人工に囲まれたわれわれは、いつしかそのおもしろさを忘れているのかもしれません。
そういえば、幼少のころはよく木で船をつくって浮かばせたなぁ~。あのワクワク感がにわかによみがえりました。佐野さんも、幼少からそうしたおもしろさに魅せられた一人なのだと思います。
唐突だが、「とどめ置く」との言葉が気にかかる。
その使い方は様々あろうが、私は「ここにとどめ置く思い」といった、「生きる」といった意味での「とどめ置く」である。

その「とどめ置く」とは、どういう意味になるかと考えると、
一つは思いを現実につなぐということであり、
もう一つは過去と未来とをつなぐということである。
もちろんそれらは元々つながっているものだが、
理由はともあれ、ともすればバラバラに離れてゆこうとする
ものを強い思いで再び一つにつなぐ、つなぎとどめることだ。

幼少のころに雨で増水した川に流され、一瞬パニックに落ち入りもがくほどにドンドンと流された。ついに流れに強いられて大きな岩に背中をしたたかにぶつけ、「これで終わった」と急に
力が抜けていくと、不思議に恐怖が薄れて力が抜けた。
そのときに「これは泳げる」と流れに沿いながら岸辺にたどり着いた経験がある。

心がとどまり、心と身体とが一つになったことで泳ぐ力と道がみえてきたのだろう。思わぬ事態と流れの早さに惑わされ、恐怖心から、大事なときほど一つとなるべきものが、分散されてゆく。
「正念場」とはよく言ったものだ。

ある意味で、一日の生活でバラバラになりそうな心身を、
再び呼び集めて一つに有機的につなげてゆく。その要となるのが「心」であって、その力を得るのが「祈り」ではないかと思う。

元日からそのことをぼんやりと考えつづけて一つ歳を重ねた。

 祈るほど 降り積む徳の 銀世界

 祈るほど 輝く命の 慧光照

 祈るほど 威光は増しなん 天の理(みち)