つれづれに想う。
平成以降の殺人事件では死者数は最多となった「相模原市の障害者施設での殺傷事件」。あまりにも多くの問題を孕みんでいるようで、非常に痛ましい。不幸にも亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。また何らかの傷を負われた方々には一日も早く傷が癒えることを祈ります。
事情は異なれども、何か他人事には思えない。この事件についてはどう考えればよいのか。どう自身のなかで消化していくべきか。事件の全容が少しずつ明らかになるにつれて、ますます闇は深くなっていくようで答えはみつからない。
また答えをみつける必要もないのかもしれないが、それでも目を閉じて通り過ぎることはできない。そこに他人事ではない、自身の心にも通じる何かがあるような気がする。「テロ」というレッテルを外してみれば、世界で今起きている痛ましい事件もまた、どこか深い闇の底で根を同じくしているようにも感じられる。
自分だけが、その闇の外に生きていけるわけでもなく、気づかぬうちに引きづり込まれないように、しっかりとその闇の奥を凝視していたいとも思う。仏典には「毒気深入 失本心故」との言葉があるようだが、「毒気」とは何も薬物を指すのではないだろう。
こうした事件への反応や対応は様々で、それは必要なことには違いないが、それで闇が晴れるわけではなかろう。やはり根本的な解決はひとり一人の心にあるはずだ。
「パンドラの箱」ではないが、毒気はすでに世界に充満し、その深入を防いで本心を失わないためには何が必要か。自身の胸に手を当てて考えている。簡単な問題ではないが、だからこそ時間をかけて忍耐強く、自らを信じて問い掛けつづけてゆくしかない。
「正」という字は「一」を「止める」と書くが、この「一」が心に止めていることが、毒気の深入を防ぎ、本心を失わないことになるのではなかろうか。自身の心と世界に通底する闇の根を凝視しつつ、今「その『一』とは何か?」を考えている。
合掌