祈り | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

先日のホイール磨きの後に、本日は3本目と4本目のホイールの洗浄を行いました。

 

またもや動画編集をしてチルタイム風な環境動画を作ってみました。

 

 

 

 

そして、朝のことです。

 

いや~久々に後頭部痛を感じたのです。

 

 

そうこうしているうちに、気弱になった為か?

 

いきなりくしゃみも連発するようになり

 

今度は、めったに感じない肩こりまで感じ始め

 

自分で肩を揉んでみたり、額の熱の確認をしてみたり

 

もしかして、先日コロナに感染したという方がお越しになったので

 

それをもらってしまったのか?

 

とか・・・いやいや、もしかして

 

最近はもっぱら寒い中、外作業をしていたから風邪でもひいてしまったか?

 

それなら葛根湯を買いに行かなければ・・・・

 

いや頭痛もあるし、まずは鎮痛剤のバファリンが先か?

 

などと思ったり

 

とにかく免疫力を高めるためには、食べて早めに寝るのが一番。

 

という結論に至り、起床後はのんびり朝風呂にでも入ろうと思い

 

入浴しましたが、また突然、後頭部に頭痛を感じ始めたのでした。

 

 

あれーーー最近・・・作業中に後頭部とかぶつけたっけかなぁー

 

偏頭痛になるきっかけって何かあったかなぁーなど振り返ってみましたが・・・

 

たくさん理由が見つかりました。

 

 

まずはそう云えば、今週はチョコレートをたくさん食べたよなぁー。

 

結構、コーヒーは飲んだよなぁー。

 

過食気味に腹いっぱい3食食べたよなぁー。

 

読書のために睡眠不足が続いていたよなぁー。

 

毎日、暇無しに何らかの作業をやって忙しかったので、

 

自律神経が高ぶったままだった可能性もあるよねー。

 

そんな事で、もう少し、のんびり一日を過ごす必要があるとは思っていたのですが

 

そんなタイミングで頭痛が発生し、

 

強制的に動かないようにさせられたような気がしています。

 

 

さて、そんな中で殺人事件の書籍ばかりを読んで知識を蓄えていても仕方ないので

 

視点をずらす為に、DVDを購入して鑑賞していました。

 

ハロルド・フライのまさかの旅立ち

 

ユーチューブ予告編

 

 

 

 

 

この映画のテーマは、「信念」です。

 

執念とか信念とか・・・私は半ば馬鹿にしているフシがありました。

 

だって、間違ったことや、それだけを信じているのって云うのは、

 

なんだかおかしいじゃないですか?

 

 

でも、

 

朝の入浴中の湯船の中で偏頭痛が発生し、イテテテてーと

 

どうしようもなくなったときに

 

ついぞ、頭を垂れて両手を合わせて祈りのポーズになっているのに気が付きました。

 

 

ふと一瞬、頭痛が楽になるのを感じて

 

目をつぶったまま、祈りのポーズで頭を下げ続けていると

 

さっきよりも楽な位置があることに気が付き、

 

頭を上げたり下げたりしながら、頭痛が収まる位置を探し始めるのです。

 

 

あーこれは確実に僧帽筋のストレッチや脊柱起立筋のストレッチに繋がっているなぁー

 

と心で思いながら、最近登山に行っていないし、あちらこちらの筋肉が固まっているせいで

 

頭部の血管が収縮して緊張性頭痛や血管拡張性の頭痛が発生したんだわ。

 

と思いながら、

 

頭痛が落ち着くまで・・・祈りのポーズをしながら湯船に浸かって、

 

どのくらいすると楽になるのかなぁーなどとくつろいでいたら

 

あっという間に30分近くも経ってて、

 

その後、頭痛が楽になったタイミングで出てきました。

 

このブログを書いている段階でも頭痛はせず、

 

祈りのポーズが効いたことに驚きを感じています。

 

 

 

さて、祈りとは、と考えてみた時に、私は宗教の信者ではありません。

 

キリスト教会に通っているわけでも、仏教信者でもありませんが、

 

クリスマスを祝い、寺の墓にお世話になっていますので、

 

一般的な無宗教論者を語る日本人だと思っていますので

 

そもそも祈りの仕方をも知りません。

 

どうやって祈るのでしょうか?

 

 

多くの皆様は「お願い」をしているのではないでしょうか?

 

宝くじが1億円当たりますように・・・とか

 

高校進学、大学進学の合格判定がでますように・・・とか

 

がんの再発をしませんように・・・とか

 

こうでありますようにと・・・

 

お願いをすることが多いと思います。

 

それで良いのでしょうか?

 

これに関しては、当たりハズレは無いように思いますが、

 

一つには共通する事があるように思います。

 

 

パニック状態にある時、意識が散漫になり判断能力が欠如し、その結果として

 

悪い方向を選択してしまう場合があるということ。

 

それを正常な状態に戻す方法としては、一つに集中していくことによって

 

散漫が解消されて、地に足をつけることが出来るということです。

 

その代表的な行為の一つに、「祈る」という行為があるように思います。

 

ですから、お願いというこちらからの一方的な主張に集中するということも

 

あながち間違ってはいないような気がします。

 

そして、祈りで思い起こすのが、

 

キューブラーロスさんが書いた書籍、「死ぬ瞬間」

 

 

 

の中での、祈りについてです。

 

生きるために、お願いするパターンと段階が記されています。

 

でもしかし、祈りというのはそれだけではないような気もしています。

 

例えば、感謝をするという形を表すのにも手を合わせる行為があります。

 

そして、感謝ということに関しても、過去の行為に対する感謝と

 

未来を先取って感謝するという行為にも違いがあるような気がします。

 

過去に対する感謝というは、誰もが知るところでもあります。

 

しかし、未来を先取って感謝するとはイメージが沸かないかもしれません。

 

1分後の安全や健康に感謝することから始まり、

 

1年後の不変な健康である自分に対しての感謝。

 

もしくは、自分は癌になってしまうかもしれないが、

 

子供や家族が健康でいてくれるという感謝などは

 

未来を先取った感謝とも、ビジョンとも言えるかもしれません。

 

屁理屈かもしれませんが、

 

祈りとは思考を広げていくと様々な意味があるように思います。

 

ハロルド・フライのまさかの旅立ちにある

 

一般的には間違ったと云える「信念」も

 

本人にとっては、それしか救う道はないのだと云う信じる心によって

 

行動が開始され、人生がより良い事柄に変わる転機となった訳であり

 

こういった間違った信念でも、人生を大きく変えることが出来るというものに

 

祈りとか、信念などという目には見えない・・・けれども

 

明らかに人生を左右する行為というのはあるのだろうと思うのです。

 

 

そんな事で、今日は[祈りとはなんぞや!?]ということが気になり始めて

 

早速アマゾンを覗いてみました。

 

なるべく宗教色の無い、純粋な祈り方とは、いったいどういうものなのか?

 

と物色して2冊購入してみました。

 

ひとつには、あまぞんおすすめとして出てきた、祈りの力。

そしてもう一つは、作家の短編を集めた信念、放浪小説傑作選というものです。

 

そういう事で、ハロルド・フライのまさかの旅立ち・・・ならぬ

 

頭痛からのまさかの書籍購入に至りました。

 

という、何処かパクったような行動になったことには自分でも驚きです。

 

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今日も、最後まで御覧いただきましてありがとうございました。

 

バイバイ