真実とは何か?という問いについて
ChatGPTに聞いてみました。![]()
一言で表すならば、
「現実・認識・意味が交差するところにあるもの」とAIは答えました。![]()
また、AI ジェミニに聞いてみると
「第1に客観的真実、個人の感情・信念・解釈などという偏見を排除した、
誰が見ても否定できない事実をいい、
第2に主観的真実、
つまりはその人が経験した経験、感情、価値観に基づく他人からはそう見えないが、
本人にとっての現実を表し、
そして第3に社会的真実、つまりは特定の文化や社会に於いての法律や倫理、
宗教的教義などの共通認識の正しいという認識である」と![]()
そして、AIはこうも提案しました。
もしよければ、人生に於ける真実を検索してみませんか?と
それならばと、人生に於ける真実とはなんぞや
と・・・
するとAIはこう返答しました。
コピペ![]()
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人生における真実は、数式のように一つの正解として与えられるものではありません。
むしろ、生きる中で少しずつ見えてくるものです。
ただ、多くの思想家や文学者が繰り返し触れてきた「人生の真実」に共通点はあります。
ひとつは、「すべては変化する」ということ。
喜びも苦しみも、人間関係も、身体も、社会も変わります。
永遠に同じ状態はありません。これを受け入れることが、人生の苦しみを軽くする第一歩だと考えられてきました。
もうひとつは、「自分の見ている世界は、自分の解釈を通している」ということ。
同じ出来事でも、意味づけ次第で人生はまったく違って見えます。
つまり、出来事そのものより、それをどう受け取るかが生き方を左右します。
さらに、「人は有限である」という事実。
死があるからこそ、時間には価値が生まれます。
終わりがあるから、今の選択が重みを持つ。
これは厳しい真実ですが、同時に人生を濃くする条件でもあります。
そして大事なのは、
人生の意味は見つけるものというより、つくるものだという視点です。
外から与えられる絶対的な答えを待つより、自分の行動や関係の中で形にしていくものです。
人生における真実を短く言えば、
- 変化は避けられない
- 解釈が現実を形づくる
- 限りある時間が価値を生む
- 意味は自分で築く
ということかもしれません。
結局のところ、人生の真実は「知る」だけでは足りず、どう生きるかで試されます。
頭で理解するより、日々の選択の中で確かめていくものです。
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なかなかに深い回答でした。![]()
つまりは、AIジェミニで云う所の第2の真実がベースとなる、
有限的であり建設的あることが人生に於ける真実であるということが分かりました。
先日、さくらんぼの手伝いに来てくださる方と話をしました。
会社に40年も務め、コンプライアンスに抵触しないようにと
休みの過ごし方や家庭の構成などすらも聞くことが出来ず、
ただマシンを動かし続ける日々で
また、いじめ的な雰囲気で、仕事を辞めざる負えなくなり退職しました。
お金を稼ぎたいので農業の手伝いをしたいと。
結局、金のために自分の人生を会社を辞めても、金を稼ぐために労働に費やす
という至極当たり前の日本人の思想です。
私は自営業なので全ての選択権を学生卒業後から持ち、
・・・つまりは自営業ということですが
全ての私という人生の責任と結果は自分で決めるものというポリシーに準じて
生きることだけに主眼を置いて今に至ります。
その中で経験したことは、
「変化」と「それに対応し続ける」という条件反射的反応を続けることです。
だから、仕事のない、つまりは収入のない時は、ここぞと遊びまくります。
普通だったらギャンブルや旅行などを控えると思いますが、
自分の経験則の中で、暇は遊びのチャンスであると捉えるような思想になったのです。
社員として会社に居るということは、
ある意味で
外界からの変化に気が付かないような会社組織というベールで覆われ
若年時代からの個人の思想が守られていることで
社会が変化をしている事に気が付かされません。
情報として知っていても、会社組織がM&Aなどで変わらない限り
ずっとその社風は続き、自分も当然のようにそのままを維持するという事です。
逆に感じやすい部分といえば
内部要因として、
いじめなどのような変化を感じ取ることが変化の一つなのかも知れません。
このいじめを原因として、退職して、今まで経験したことのない仕事や人間関係に出会い
それに対して、不安定な職業に自信を持てるのか?
やはり安心した会社組織で正社員という身分に包まれて安心をするのか?
これは、退職後の働き方の思考時にも同様に該当すると思います。
この事例を、先程の「真実の見方」として見てみると
主観的真実とも云える部分なのかな?と思いました。
不安定な社会と不安定な収入で何十年も生き延びてきている人と
安定な会社組織で何十年も生き延びてきた人の違いは
主観的真実の形成、つまりは考え方の違いに大きく違いをもたらすように思います。
例えばの話で、大きく話題転換しますと・・・
私は、ジョギング中に手持ち無沙汰で、スマホで音楽を聞きながら走りますが
スポティファイの音楽に聞き飽きると、
米沢興譲教会の礼拝説教を録り貯めている数多のどれかを聞いています。
そんな時、ふと頭に浮かんだのが・・・
世界には未だ、輸血を拒む信仰だとか?
肉を食べないというビーガン思考だとか?
結婚をせずに神に一生を捧げるだとか?
白いものは食べない思想だとか、
一日一食、一日二食、一日三食、一日五食という思想がはびこっており
江戸時代は朝晩二食となり、戦後は朝昼晩三食が主流となり、
現在では五食が多くなってきています。
様々な多様性の思考が混在する中で、
何が正しく、何が誤っているのかを問うということが難しくなってきています。
例えば、死の直前意識が不明な状況で、
胃瘻や点滴をしてまでも生存させて、徳をするのは誰かという問題。
これは明らかに、当事者は、ほぼ判断能力や意識というものがない状態ですから、
医者のエゴであったり、年金受給する家族の押し付けによって
生かされているという問題に見えます。
つまり、損をするのは医療被害者本人であり、
特をするのは医者と家族ということになるんではないでしょうか?
どこまでを人助け医療と考え、どこからが余計な医療なのでしょうか?
アメリカでは、抗癌剤はやりません。日本独自の考えです。
旧陸軍のマスタードガスの医療転用によって、儲けを出した製薬会社と生保会社は
当時、厚生省に頼まれて保管場所のドラム缶から漏れ出す毒ガス・
マスタード兵器の処理を委託され
今では抗がん剤ビジネスで毎年3兆円も利益を産み出しています。
被害者は日本人。
外国では、分子標的薬やDNA検査に於ける適切な治療を受ける訳ですが
日本人は等しく、標準治療と云う名のもとに全員が抗がん剤を投与されています。
結局、生保会社は、アメリカのロックフェラー財団と手を組み
マスタードガスの医療転用で1兆円の投資(日本政府からの委託販売)をして、
日本国内の患者から3兆円を儲けている訳です。
これは、どこから見るかによって真実が変わってきますね。
旧陸軍が開発したマスタードガスの保管限界が来て、それに困った国を助けると云う意味では
社会的真実として見れば、ごく当たり前の正論ということになるでしょうし、
抗癌剤という洗脳を国民に施した上で、標準治療という流れで国民に当然として投与することは
洗脳を解かれた頭脳で考えるならば、客観的真実に基づいて誤りであることが分かりますが
癌疾患患者本人にしてみれば、教義的洗脳から、
そしてユーチューブからの癌患者の声などを聞き
抗がん剤を行うことが前提の思考となっており、
主観的真実からは、それが正義であると疑わないでしょう。
どこを主眼に置くかによって見方は変わるでしょう。
延命に主眼を置くならば、医療的に何もしないことの方が善であり
がん細胞撃滅に主眼を置くならば、抗癌剤は善であるかのようです。
昔の、輸血禁止という名題と宗教的縛りは、いろんな事を科学的に伝えようとしても、
抗癌剤の真実などを無学な人々には伝わりづらいことを知っていたからこそ、
生命をありのままに受け入れるという思想を
そういった「輸血禁止」などという単純明快な形で伝達して繋げ続けてきたのかもしれません。
現代では、肉を食べないだの、白いものは食べないだの、
100度以上の油で揚げたものは癌を作りやすいだのと云った形で、
消化器系への負担が、糖尿病を含め病気を作るのだという思想となり、
人々に医療・健康洗脳と云う形で浸透してきています。
確かに、一昔前はレモンをヨーロッパから船で運ぶのに、防腐剤をかけて
表面が真っ白な状態で日本へと届き、そして、店頭に並べられる頃には
果物が収穫から、ゆうに2か月を経ようとしていました。
そんな2か月も新鮮に保つ果物は、ありません。
どこから目線で見るかによって真実は違ってきます。
消費者が必要とするから輸入販売することを見れば、それが正しいし、
防腐剤で健康を害する処理をしても輸入するのかという目線で見れば、それは間違いであり
これは、客観的真実と、社会的真実が問われる問題です。
巷には、DQNという輩以外にもクルド人・トルコ人の
社会的犯罪が多く見受けられるようになった昨今で
検挙された本人たちは、それが社会的間違いであるということを認識しておらず
自分は正しいという行動の何が問題なのかと疑問を持っていることでしょう。
そのような、主観的真実を持った人々を共存していくことを
岸田政権は積極的に薦めようとした結果、日本は今
北海道の土地が中国人に買われ、4割保有されている問題とか
日本人が土地を手放したくなる法律を是正しない問題とか
もう一度、日本の法律を縦割り行政ではなく、
横断的に問題を解決していく構造に変えていかないと、
これらの国際問題と云われる主観的真実の解決には至らないのではないだろうか?
と私は思い始めています。
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これから人との会話で、この主観的真実度合いというものが
社会に問いを投げ続けていくように思います。
京都、男児遺棄事件なども、行き着く所はそこなような気がしています。
などと、例などを挙げれば話にキリがありませんが
ふとしたAIとの問答から、このような記事を書くことになりました。
本日も、実にメンドクサイ内容を最後まで御覧いただきましてありがとうございました。
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ではでは![]()