雨降りでアンニュイだから・・歌詞を自分なりに紐解いてロマンを壊す | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

高橋真梨子さんの有名な曲である「桃色吐息」

 

作詩は康珍化(カンチンファ)さん1953年6月24日生まれ、在日韓国人2世の作詞家でもある。

 

桃色吐息以外にも・・・中森明菜の「ミ・アモーレ」や上田正樹の「悲しい色やねん」、

 

杏里の「悲しみが止まらない」、原田知世の「撫子純情」、

 

近藤真彦の「あぁ、グッと」、杉山清貴&オメガトライブの「SUMMER SUSPENSION」

 

などなど・・・本当に多くの作詩活動を行っている。

 

 

右矢印Spotifyでそれらを聞くことが出来るので、リンクしておく。左矢印

 

 

さて本題の歌詞の文字起こしだが・・・

 

アラカンの方なら、誰でも知ってはいるが、

 

当時はリズムや歌唱力、

 

涙を流せるか否かが問われていた昭和の同情・共感歌詞の時代でもあり

 

深く歌詞について考えることは多くの人はしなかった事だろう。

 

ただ、何となく印象に残れば良かったのだ。

 

 

今その昭和の歌詞を引き継いでいるのは間違いなく韓国だ。

 

 

私の好きなキム・テヨンなどは令和の今でも原点回帰と云わんばかりに昭和の歌詞で歌っている

 

 

思春期の女性の男性依存が見事に歌詞に織り込まれていて私の好きな

 

I DO

 

Rescue Me

 

等は全く以て、男性としてのリスナーへの同情を誘っているようにしか聞こえない。

 

 

 

昭和の当時の流行歌は

 

ラジオで何度も繰り返し流れてきて、

 

またテレビ番組でビジュアルの美しさなどのプロモーションが映えていれば

 

それだけでファッションリーダーなどとして人気が出た時代。

 

 

それを代表するのが、夜のヒットスタジオ、ヒットパレードなどであり

 

若者は当時は夜になればテレビにぞっこんであり、ビデオテープ録画が出来るようになってからは

 

それを何度も見ることで、人気を博し、レコードが売れて、CDが売れ続けた。

 

また、パーマや脱色、ピアスや着こなしコーデ・短ランボンタンツッパリなども

 

マネされていった時代でもあった。

 

そんな時代の歌詞だが・・・実際に紐解いてみるとどうだろうか?

 

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咲かせて咲かせて桃色吐息

あなたに抱かれて

こぼれる華になる

 

海の色に染まるギリシャのワイン

抱かれるたび素肌、夕焼けになる

ふたりして夜にこぎ出すけれど

誰も愛の国を見たことがない

さびいしいものはあなたの言葉

異国の響きに似て不思議

 

金色銀色桃色吐息

きれいと言われる

時は短すぎて

 

明かり採りの窓に月は欠けてく

女たちはそっとジュモンをかける

愛が遠くへ行かないように

きらびやかな夢で縛り付けたい

さようならよりもせつないものは

あなたのやさしさなぜ?不思議

 

金色銀色桃色吐息

きれいと言われる

時は短すぎて

 

咲かせて咲かせて桃色吐息

あなたに抱かれて

こぼれる華になる

 

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咲かせて咲かせて桃色吐息

あなたに抱かれて

こぼれる華になる

 

という最もキーとなり繰り返されるプロローグとエピローグな言葉

 

これを紐解くには、まずはレトリック学問(修辞学)を知る必要がある。

 

換喩・提喩・比喩・直喩・隠喩などである。

 

換喩とは王の座を王冠を手にするといった表現。

 

提喩とは、卵と鶏肉をどんぶりに盛った表現を親子どんぶりと称する表現。

 

比喩とは擬人法や直喩・隠喩などを含み、直喩とは、矢のように速く走るという表現。

 

隠喩は王様をライオンと云うような表し方。

 

擬人法では風がささやいている。擬態語では膝ががくがくする。

 

などと云った表現方法があるが、本当の意味するところを知ることは第三者にはできない。

 

故にロマンを求めて、想像する他はないというのが

 

このレトリック歌詞の紐解き方であり、

 

千差万別の解釈が存在するだろう。

 

そして「咲かせて桃色吐息」という魅力的な語彙が最初に登場する。

 

まずキーワードは「桃色な吐息」であろう

 

これは、直喩で考えるなら、

 

たばこを吸ったことの無い純真無垢な少女から感じ取ることが出来る呼気が

 

純粋に臭いものではなく、桃色の匂いがするような匂いであることを私は知っている。

 

多くがそのような匂いなのかは、残念ながらそう云ったチャラい機会を持たなかったので

 

分からないのであるが・・・

 

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もしかしたら、そう云った口づけ真近な距離で感じる吐息

 

若しくは抱き合った時にそれを感じることが出来るという魅惑の言葉かもしれない。

 

それを咲かせてと懇願するように2度も言い表しているのかもしれない。

 

そう考えるなら次からの詩が続いていくことになり、

 

「こぼれる華」という栄養成長から生殖成長へと変わる時に、花が零れ落ち

 

そして、子供を宿すための生殖成長へと変わろうとする転換期にチェンジする

 

人生のターニングポイントであるこの度の出会いであることを示唆しているのではないだろうか?

 

 

これらの感受性は、私が個人的に思うことであり、

 

本当のところは康珍化さんに聞かなければ分からないが

 

十中八九その流れで間違いないだろうと自信を持っている。

 

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そして次に「海の色に変わるギリシャのワイン」だが

 

海の色は通常はブルー、しかしワインは赤色。

 

なぜギリシャの赤色ワインが青色に変わらなければならないのか?

 

をまずは考える必要がある。

 

青色に見えるのは実は白ワインだが、これは瓶の色や光の加減で青色に見えなくもない。

 

それを気づかせるために、青色の海の色と対比させようと赤ワインだと連想させておきながら

 

実は白でしたという、どんでん返しがここに潜んでいるように思う。

 

また、日中みるワインの色と、ギリシャの町中どこもかしこも石灰で白く塗られた壁に

 

海の色が反射して、青くワインが見られるようになっていくという時間経過を表すと同時に

 

次の段落では「抱かれるたび素肌、夕焼けになる」

 

という直喩が対照的に活きてくる天秤的な言葉遣いとなって、

 

いくつも対比の罠が仕掛けられているのが面白い。

 

次に

 

「ふたりして夜にこぎ出すけれど誰も愛の国を見たことがない」

 

という言葉だが、そもそも愛って何だという問いにお互いに答えられないほどに

 

無知なのか?そんな事さえ考えたくないほどに刹那に溺れてみたいという訴えなのか?

 

なかなかに二人は愛の世界を知らないほど、宗教に侵食されておらず、まだ無垢な心なのであろう。

 

そして「さびいしいものはあなたの言葉 異国の響きに似て不思議」

 

という段落だが、女性にとって男性の言葉が期待するものとは違っていて

 

返ってきた言葉が、きっと冷めた表現だったのだろう。

 

今回の情事に、男性は解決脳であり、女性は感情脳であることを知ってしまったようで

 

それを異国の響きと表しており、最後に不思議とまで疑問形をぶつけている。

 

そして、中間のモノローグとして

 

「金色銀色桃色吐息 きれいと言われる時は短すぎて」

 

という、まずは桃色吐息に金色や銀色の値付けまでしてきて、価値観を高めてきた。

 

その上で

 

女性の抱かれたい願望があるにも関わらず、意外に殿方よりチヤホヤされる

 

旬と呼ばれる期間は短いと、思い悔やんでいるようにも思える言葉で区切っている。

 

その切なさに同情の衣をそっと彼女の肩に乗せてあげようではないか。

 

次に第2小節目だが

 

「明かり採りの窓に月は欠けてく 女たちはそっとジュモンをかける」

 

一本の棒の影が太陽の動きと共に移動する日時計と対を成す太陰暦でもあるシリウス。

 

その後、太陰太陽暦が日本に入ってきて、

 

月の移動や満ち欠けによっても暦や時刻を知り得ることになったことを喜んだのは、

 

神武天皇であり、

 

そのシンボルとしてヤタガラスが祭られている熊野本宮大社の根立の歴史を知る者は少ない。

 

その時代に、見たものに呪文を唱えると縛ることが出来るという言い伝えが流行り

 

それを利用して、

 

「愛が遠くへ行かないように きらびやかな夢で縛り付けたい」

 

きらびやかな夢を相手に語ることによって、自分から逃げていかないようにと

 

まるで今で云う所の事業計画で従業員を安心させるかのように、

 

相手へそのきらびやかな思いを公言する準備をしたのだろうが伺える。

 

その様に女にとっては用意周到に男の気持ちを引き寄せる為に準備したにも関わらず

 

「さようならよりもせつないものは あなたのやさしさなぜ?不思議」

 

ダメならダメと言って欲しかったのに、泥船に一緒に乗り込んでくれようとする相手の優しさに

 

馬鹿にしているの?と云わんばかりに男に疑心暗鬼を持ち始めている「不思議」

 

という言葉で締めくくられている。

 

そして名残惜しくも、その相手を私のものにする為の計画が破綻に終わりそうに感じつつも

 

その夢の残響を感じるようにと

 

何度もキーワードの桃色吐息を思い出させるように歌詞を繰り返すのだ。

 

 

と云うのは、もしかして勘ぐり過ぎかもしれないし、

 

もしかして、全くチゲーと云われかねない私のバイアスがかった理解力だが・・・

 

先日、千葉にある加藤まさをの月の沙漠を見てから感化されて

 

何事もそのように見てしまうから、

 

自分が叙情的に見る感染症に、どこかで感染してしまったのだろうか?

 

 

それとも、雨降りのポツポツという音が、インスピレーションを活性化してしまっているのだろうか?

 

 

という事で、

 

本日はアンニュイだから、歌詞を紐解いてみてみたところです。

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

 

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