美の欲求と渇望は比例するのではないだろうか? | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

 

先日、2児の母と会話した時に、

 

子供が可愛過ぎて、結婚させたくない

 

結婚しても、遠くに離れて行って欲しくない

 

という言葉を聞きました。

 

 

 

確かに、母親なら子供が可愛くて仕方のないことでしょう。

 

 

 

でもしかし、だからと云ってニートで居させる訳にも行かず

 

子供の事を本当に考えるなら、親の呪縛から解放された方がいいんじゃないですか?

 

 

などと話したら、実は私が親の束縛が強くて

 

 

遠くに行きたい欲求で、隣県へと結婚して出て行ったけれども

 

やっぱり離婚して帰ってきて再婚して、親元に居るからこそ良く分かる

 

と云うのです。

 

 

 

それなら心配ないな

 

という面持ちで、依存症やら共依存などの話をチラッとしながら

 

実は俺もそうだったよなーなどと我が身を振り返り、

 

心を強くしたのです。

 

 

 

さて、タイトルとは違う内容になってしまいましたが、

 

私もアラカンになり、そりゃ皆さんが美しく居たい、

 

若く見られたいという願望は良く分かります。

 

 

しかしながら、本人が若いつもりで居ても、やはり若い人の目はごまかせません。

 

 

いくら美魔女などと云っても、一本の白髪や手のしわ、口元の皺や

 

表情や言葉・仕草などで、どうしても年齢が分かってしまいます。

 

 

芸能人でも、リーダー格の方々は、様々な専門家の手助けによって

 

一般人よりは若く居られるように努力されているのも仕事の一つだと思いますが

 

 

一般人は、それにそそのかされて、魅了されてしまっては時間が無駄になってしまいます。

 

 

人の一生は短いもので、やらなければならないことはたくさんあります。

 

 

先ほどの奥さんとの話の中で、子供を手放したくないという気持ちではなく、

 

手放して自立させるにあたって、麻薬などの誘惑には絶対に手を付けない。

 

それは健康食品やねずみ講の健康食品の類であってもです。

 

薬効成分は医師が処方した薬物だけで十分です。

 

 

食品も偏食にならずに、多様な食品を多く食べさせ体験させて、

 

それによってアレルギーを起こさせないように

 

小さいうちから減感作療法をやっておかないと、

 

大人になって何も食べられなくなってしまうことにもなりますから

 

子供が大切ならば、

 

自立を促す為の努力を惜しまないように時間を費やす必要があると思うのです。

 

 

例えば、自宅の梅をカリカリ梅干しやジャムにしてパンに乗せて食べるとか

 

ほうれん草は一回水洗いしてから、お湯で30秒で茹でて食べると

 

シュウ酸がお湯に溶け出して、腎臓に負担がかからない食べ物になるとか・・・

 

それらの、自立援助に

 

親は尽力することに時間を費やすことが必要であるように思います。

 

 

先日もピックアップした、アブラハム・マズローの五大欲求の

 

生理的欲求・安全の欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求

 

が満たされなければ、

 

ほんとうの意味での社会人としての社会貢献などできるはずはありません。

 

 

そんな中で、美の欲求とは、

 

やはり承認欲求が満たされていないという事がいえるように思います。

 

 

人間は若い時は無条件に可愛くて、青春期は広瀬すずではありませんが、

無条件に美しい容姿に誰もが成ります。

 

そして、成熟し閉経と共に皺が増えて白髪が増えて、老いが現れ

 

その老いを見て、人は何とかしてあげようという手助けの気持ちが生まれて、

 

助けてもらいながら生き延びていく流れは、

 

生から死までの軌跡であるように思いますが

 

美を渇望し、また追求し続けるという事は、

 

まずは精神の発達が欠如しするかして、途中で止まってしまったという事を意味し、

 

若しくは、社会的地位において

 

美しさを求められる職業であるから仕方なくせざる負えないという事も

 

意味するかもしれませんが

 

美をいくら求め続けても、時間と共に細胞単位では老いて行く訳ですから、

 

他人に褒められるという事は機会的には少なくなっていきます。

 

それでも同年代から、「あなた若いわね」などと声を掛けられると気分がいいと云うのは

 

まったくの欲求不満と言わざる負えないでしょう。

 

自分の積極的努力不足がもたらす、欲望の枯渇感。

 

それは、欲求を満たすためには更なる渇望をして、

 

まるでそれは比例的、若しくは指数関数的のようです。

 

 

先ほど述べたように、やらなければならないことに目を向けて時間を費やすならば

 

きっと欲望の枯渇感ではなく、十分に時間を費やして準備したのだという満足感が生まれ

 

そして心が満たされて、五大欲求の次のステップに行けるはずだと思うのです。

 

そうやって、やりたいことよりも、<やらなければならないことを見出して

 

人生の時間を費やすことが、自分の成長とそして、

 

周りや子供などの後継者への確かな後姿を示すことが出来るような気がしてならないのです。

 

 

これらは、完全なる私の偏見かもしれません。

 

 

美は、年相応に清潔感を維持しておく程度の美容を心がけていけば良いのではないだろうか?

 

 

と思って、先日、何気にそんな事を意識しながら床屋の主人と話していたのですが

 

2年前に死去した父は、バーコードの頭髪で、右から左へと、または左から右へと

 

毎日ドライヤーで髪をいじくって

 

朝は、もはや髪が焦げた匂いが漂うほど一生懸命であり、

 

その話をしたら、大丈夫ですよ○○さんは、禿げずらい頭髪っぽい印象ですから

 

白髪になると思いますよ。

 

でもカラーリングすると、白髪も黄ばんできて・・みっともないから

 

シルバーに染め直すとかしないとね~。

 

○○さんが白髪になる頃には、俺の髪で試しておきますから安心していてください。

 

吉川晃司さんのように・・

 

などと云う会話で終わったのですが、やはり若く見えるなら黒髪ですが

 

清潔感のある状態で老いていくには、シルバーカラーがいいという話で

 

美の概念ではなく、衛生概念は、

 

老いてく毎に益々重要度が増していくのではないだろうかと思います。

 

 

これは、承認欲求と云う変形した意味かもしれませんが、

 

自分から見た時の満足度と他人から見た時の満足度という見方の角度の違いかもしれません。

 

若しくは、美を自己実現する為に美容整形に行くのと、

 

美を客観的に体感もしくは実現する為に美術館に行くのとの違いのようなものかもしれません。

 

そんなことで、早期に欲求を満たして満足して

 

次のステップ。

 

つまりは後人、子供や孫にエネルギーを受け渡すように生きていければ

 

いい時間の過ごし方、老い方ではないだろうかと思う今日この頃なのです。

 

本日も

 

長々としためんどくさい表現の個人的偏見を

 

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

 

 

PS

 

我が家のキウイフルーツの雄の花

 

 

実は、剪定失敗により雌が枯れてしまって、今年も実らない、

 

行先のない哀れな花粉を持つ開花だったのです。