士農商工のまなざし | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

 

幕藩体制以前からの歩みと現代

 

 

 

日本は、かつて一人一人が自由であった・・・がしかし

 

強い者だけが生き残れる時代を経て

 

暮らしの安定の為には狩猟だけではコミニティーが小さくそして生き残れず、

 

2300年前の弥生人渡来による水田稲作文化によって米などを作って備蓄し、

 

農耕民族として生き、そして村という大きなコミニティーの単位で、

 

ようやくの定住という安定した暮らしを築いていた時代が過去にあった。

 

 

いつしかそれは、強い権力という力を産み、

 

また度重なる外圧による勢力に抗いそして、

 

徐々に呑まれる形となって勢力図が変わって行った。

 

 

凡そにして、それは朝鮮半島やオホーツク民族などの来襲などによってもたらされ

 

今ではアイヌ民族だとか等と云われているが、

 

これも東北の地名がほぼほぼアイヌ名を音読み発祥とし、

 

江戸検地の際に日本語漢字表記の訓読みに変わったことを振り返れば

 

東北は縄文人がオホーツク民族に犯され、東北一円を侵略し、

 

また奈良に代表されるように、西日本は朝鮮半島を由来とする

 

ウリナラ(朝鮮語による我が国)一族が日本に侵入し

 

大和王権における朝廷制度が発足し、それに反発する在来の士族文化との衝突を引き起こし、

 

後に王朝と士族などが何度も時代を超えては克ち合いながらも

 

平安時代を超え、江戸においても種族の覇権を狙う睨み合いは続き、

 

明治維新によってようやくそれは平等対等の関係となり得

 

それは時として、奈良の東大寺の大仏の焼き討ちの歴史(大仏アマルガムメッキの過去)を見れば、

 

朝鮮VS日本在来の勢力構図からも明らかなように・・・、

 

また昭和の戦争の敗戦処理時にマッカーサ元帥と白洲次郎などがやり取りをしていく中で

 

伊勢神宮以前の宗教の歴史をなるべく封印し、

 

過去の歴史上の遺恨や、朝鮮半島渡来人が出雲から侵入し、

 

琵琶湖西岸に居住し奈良を作り上げていく中での宗教色の歴史は、

 

日本人の特攻精神のような、強い宗教色に裏打ちされた結束を強くしてしまう恐れがあるので

 

今後一切教育をしないようにと緘口令が敷かれ、

 

今では歪曲した歴史認識がまかり通っている。

 

 

しかし、それらの事実は、石碑や石組みなどに掘られたりと全国各所に残っており

 

旧街道などを調べていくうちに、合点がいくようになるのだ。

 

 

さて、そんな数千年の日本の歴史の中で、数百年前に遡ると

 

外圧から命を守る職業として武士職があった。

 

今で云う所の公務員も兼ねているだろう。

 

そして次に流通するお金に変えられるものを生産する農業者が偉いと尊ばれていた。

 

次に商業、工業の順に士農商工などと呼び、学習した訳だけれども

 

現代の今では、税金を大量に払う職業は、トヨタなどの大企業の法人税などだ。

 

つまり、士商工農という立ち位置に変わって見られて

 

農業などの一次産業は、岸田などには、輸入で賄えるからと今では蔑まれて見られているのだろう。

 

 

そこまで落ちぶれるようにし向けられたのは、今に始まったことではない。

 

 

それは代表する場所として青森の津軽藩が存在する。

 

 

青森三内丸山遺跡には、全国の中でも、ここだけしか流通しない青森オリジナルな勾玉が存在し

 

それは、装飾品としても貨幣価値としても、証明書としても広く古墳時代には利用され

 

朝鮮半島からも、また出雲の地でも発見され、広く貿易が為されていたという事実があり

 

古墳時代から様々な形で潤っていた土地柄だったのである。

 

 

しかしながら、鎌倉時代から続く青森の支配は、いつしか名目4万6千石へと加増され

 

現代の価値換算に変換すると、1石は30万円で計算すると138億円の額に相当するが。

 

つまり、その分の中央集権への税金を払う為には開墾するしかないのだが、

 

問題だったのは米である。

 

 

以前の古墳時代には、動物や木の実などの、自然の恵みが多く存在し、それを利用していた。

 

 

鎌倉・江戸時代には米が金の代わりとなり、お米一石150Kgが一両の計算となり。

 

米を直接納めるか?もしくは小判などの貨幣価値に置き換える必要があった。

 

 

農民から納められる米は、収穫量の4割(四公六民)が一般的であり

 

その時には農民は85%を占め、士商工民は15%の人口割合であった。

 

 

その後に海外との貿易の為に、貿易品の代価として銀で支払うようになり、

 

米での流通から貨幣交換の形へと変遷していく、

 

その潮流の中で青森は、気温の寒いヤマセという風が吹く風土気候の

 

稲作には不安定な土地柄なのにも関わらず、

 

無能な藩主は米作り一択の政策を強行し

 

時折、餓死者が出たことで有名な土地であり今でも供養塔の石碑がいくつも存在する。

 

八戸や岩手、宮城、福島の太平洋地域ではヤマセの影響で米が作れずに

 

気温が低くても作れる、蕎麦やニジマスなどの養殖が盛んになった理由には、

 

米の不作が定期的に起こって飢饉による餓死を防ぐ為の

 

多様な人間の生きる術が今で以ても見てとれる。

 

 

本来古墳時代には自然の恵みが溢れていた土地を、中央集権からの洗脳によって

 

米の増産の怒号が飛び交ったのは、つい昭和の新潟県鳥屋野潟干拓の歴史(戦国末期から)でも

 

富山県氷見市十二町潟(1662年田んぼの新開申請)などでも同様であり

 

つい先日の、国策によって令和6年からの多収米生産には補助金を出すから

 

大規模農家になるようにと指示が出ていたのは、

 

今もって無能の政治家が、それらの青森などの気候風土での失敗の歴史から学ばない

 

中央で、そろばん勘定で弾いている机上の空論政策であり

 

それに今もって我々農民は付き合わされ、そして苦しめさせられているのだ。

 

 

 

日本の景気指数にPMIという指標があるが、日本の産業人口の割合を見てみると

 

20%が公務員やその関連産業であり、製造業関連は20%、サービス業が60%である。

 

産業別に言えば一次産業315万人、二次産業1592万人、三次産業4138万人

 

サービス業が多い場合には、景気指標が下がりにくい傾向があり、

 

経済の本質が隠されてしまうという特徴がある。

 

 

製造業のPMI指数を見てみると49と景気の悪い状態が続いていることが分かる。

 

 

そして、景気が悪化していることが分かる。

 

サービス業のPMI指数を見てみると54と景気が良いように見える

これによって、実際の体感する景気感と

 

見てくれの外国人観光客などの円安の景気感によってベールされ

 

我々の多くは心理的に騙されているのだ。

 

 

さて、問題の米問題と一次産業の生産者の高齢離脱と肥料資材の円安薄利も後押しをする衰退が

 

危ぶまれる中での

 

歴史に学ぶ生き残り作戦はどうかと考えてみると

 

今までは

 

米は作って農協に収め農協が流通量に対する売り切れるであろう価格を決定し、

 

若しくはそれでは成り立たんどばかりに、

 

自分で値段を決めて国内個人販売などによって生業としてやりくりをしてきた訳だが

 

今後は

 

現在円安の中にあって、輸出をするということに販路を見出すことが出来るのならば

 

同じ労力でも儲けを出すことが出来るのではないだろうか?と考えるのだ。

 

もはや

 

米が金の代わりになる時代は終わった。

 

防衛省が有事を持ち出し、その時の為にと単なる食料自給率維持という

 

建前の為の存続でしかない今となってしまった品目なのだ。

 

 

土地でさえ、市役所に物納できた時代は数年前に終焉し、

 

いまでは遺産放棄すらできない代表なのが農地などの土地だ。

 

遺産放棄申請をした後に国庫返納とするためにはいくつものハードルが存在する。

 

まずは、建物の解体を数百万円をかけて行うことである。

 

また農業委員会に農振地区から外れる旨の申請を提出し、周囲の土地の住民の同意書が必要になる。

 

その次に、国庫返納までの期間は、雑草などの周囲に迷惑を掛けない管理保全を行いつつも、

 

その中で

 

一つの土地で30万円から50万円を国にお金を払って申請し、

 

更にはその申請に行政書士などまたもやお金を払って申請を依頼し、

 

ようやくの引き取ってもらうという受理の通知を受けて

 

ようやく土地の管理保全と固定資産税という毎年の税金から解放されるのだが、

 

昨年は26万件がそのように苦労して国庫返納がなされているという。

 

このように

 

誰しもが、勤め人となり給与をもらい生活した方が儲かると思えるような政策になってしまったのだ。

 

もはや

 

土地があれば良いという時代ではない。

 

土地は今、まさに負動産なのだ。

 

 

広義的な国の犠牲者・国の奴隷が土地を所有している者達であり

 

それは、アパートに住む住人でさえもこれからは安心はできない、

 

先日法案が通過し、アパートの広さにも固定資産税を掛けられてしまう昨今になり果て

 

それ程までに自民党政府は税金集めに躍起になっているのだ。

 

 

今は、政治家や医者、弁護士などが給与所得の高い職業となり

 

農地や山間部などの僻地の土地を持っている人ほど貧しくなっている。

 

 

時代は士農商工から士商工農へと変わって久しく、

 

今後しばらくも、この順位付けは変わらないだろう。

 

平等などと云う幻想は、いま不平等という公平という認識に変わりつつある。

 

 

5000万を稼ぐ職業に2500万の課税をしても半分は残るが

 

300万の収入で150万のもろもろの課税額では、課税割合が平等といえども

 

生活水準に置き換えれば平等とは言えず、不公平な扱いに感じてしまうだろう。

 

故に農家は益々課税によって貧乏に追いやられていくのだ。

 

過去のヤマセ餓死ではなく、いずれ現代流の餓死者が出てくるだろう。

 

 

全ては、米が悪い。

 

米の政策を一切辞めてしまい。

 

土地開発地域から離れた場所における未利用な土地などは、

 

農地法などと云う国にとっての都合の良い施策を止めて

 

放棄さえしてしまえば、今後は農家が宅地転用などをして逆に自由競争が始まるだろう。

 

農家が固定資産税や、農地法から救われて儲かる賃貸住宅建設や、店舗利用などや

 

それらの職業などへと転職が出来るのだ。

 

 

政治家は、国民の暮らしぶりなど見て見ぬふりをして、

 

一定面積から得られる固定資産税の取らぬ狸の皮算用の事ばかり考えている。

 

 

日本の基本構造が今もって幕末時代を継承しており、

 

そろそろ変えても良さそうだと思うがいかがだろうか?

 

 

などと、勝手に思いに更けている今日この頃です。

 

 

 

本日も愚痴のような記事を最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。