心の管理 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

バイクのオイル交換をするついでに

 

いわゆる通常のバイクのチェーンにあたる部分でもあるファイナルギア。

 

エンジンの駆動をドライブシャフトを伝って角度を変換し、

 

後輪を駆動する為のファイナルギア部分のオイル交換をしようと思って

 

トルクスという6角ボルトに溝の入った形のものでネジを開けようかな?と思ったら

 

オイル注ぎ口であるフィラーボルトが、中華製のトルクスレンチでなめってしまい

 

仕方なく、部品があるというモトラッドに行ってきました。

 

 

ファイナルギアオイルの交換をお願いしましたが、なぜだか?

 

オイル出口のドレンボルトはトルクスなのに、注ぎ口のボルトが6角になっていて・・・

 

あれ?これって正常?2014年式ってそうなんだっけ?と疑問を持ちつつも

 

次回1万5千キロ走った後に、自分でどうなることやら、6角レンチで開けてみようと思っています。

 

 

さてそんなことを思いながら、通り過ぎる道端の緑は新緑の若葉色から

 

季節が進み色が濃い緑色になっており

 

田には水が張られて、早い田では、田植えが為されているような季節となり

 

サワヒヨドリのピンク色や、葉の出ていないイタドリなどがちょうど食べ頃に成長しており、

 

もしかしてワラビでも生えていないだろうかと目を凝らしながらチラチラと脇見をして

 

運転しては、あとしばらくは忙しいから乗れないけれども、

 

次回は時間のある時にでも、バイク用の錆防止洗剤を利用した洗車でもして

 

きれいにして仕舞って置こうかという決意をして帰ってきて、またもや

 

パソコンの前に座り始めました。

 

 

 

またまた今日も、とんでもないことを書こうとしています。

 

そんなタイトルを付けちゃっていいの?

 

と書く前に既に自分にプレッシャーを感じています。

 

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さて、先日書いた理屈っぽい、めんどいブログの中で、戦後の傷痍軍人に触れました。

 

 

今は見かけませんが、戦争帰りの祖父が生きていた頃には

 

とてもよく見かけました。

 

年金を貰っているのだから・・・

 

と違う世界に住む住人であるかのように

 

区別して納得して遠くから見つめていたような記憶があります。

 

 

軍人さんは、誰も彼もが一見すると強面な雰囲気を感じ、それはやはり

 

人を殺してきた、または我々の知らぬ大変な思いをしてきたから

 

感情変化に乏しくなったとも感じられるほどでした。

 

 

また、その後の日本復興の為に、粉骨砕身働いて、家を大きくして

 

孫である私も当然のようにおこぼれに預かりながら、豊かに育ちました。

 

そのパワーたるや戦後帰りの人たちは凄いエネルギーを持っているのだと未だに思っています。

 

 

その後日本は高度経済成長期を経験し、豊かさに慣れ、

 

月給20万円だけでは不足とばかりに、殆どの人は思っているでしょう。

 

現実問題のインフレと増税の問題で、まず無理ゲーレベルになっており

 

そして、様々に悩むのです。

 

 

 

お金がない

 

結婚はどうするの?

 

子供は作れるの?育てられるの?

 

親や自分の介護問題

 

親戚問題などの人間関係

 

 

 

考えればきりがありませんが、どこかで一時の決着をして置かなければなりません。

 

 

悩みの解決法にはいくつかのプロセスが必要です。

 

 

ベテランなら誰でもできることですが

 

まだ若い人たちは、分かりません。

 

分からないで、他人に頼って聞くと洗脳されてしまいますし、

 

自分で解決しようとすると、ループの罠に陥り、

 

結果的に引きこもりや拒食症などの行動を発現させてしまいます。

 

 

そこで、そうしないようにギリギリで編み出す手法の大体が遠近法や俯瞰法です。

 

 

 

こんな悩みなど小さなことだと思う方法の一つとして

 

宗教概念などに頼ったり、宇宙思想・もしくはガイア理論などに救済方法を見い出すのです。

 

 

私の好きな宗教理論は歎異抄であり、

 

詰めていった先にやっぱり分からないよね。という潔さが気に入っています

 

でも考える自助努力って云う所が大事です。

 

またガイア理論では、我々人類は地球の眼となって生かされているのだから、

 

素晴らしいものを見る為に生きているのだというフレーズには、心を後押ししてもらえます。

 

そして、宇宙と云う単語は意識の幽体離脱と現実逃避に非常に役に立つ場所でもあり

 

クラッシックや心理学などでもよく利用される意識転換場所でもあります。

 

 

そして今、世界ではストレスに押しつぶされそうになると、

 

教会や神域などの場所に赴くことや

 

仏教や禅の思想を思い浮かべて心を落ち着かせることを前提に

 

東洋思想によって心の管理をしようと云う世界の流れになりつつあります。

 

 

禅は仏教思想の中でも自力本願に偏っており、行動療法の一つでもあります。

 

頭脳で考え抜くタイプの人よりも、まずやってみて悟りを開くタイプの人に

 

感謝して生きることを教えられることで、悩みが消化・昇華していくことに寄与しています。

 

 

人間の身体が大人になろうとも、心がまだ未熟のままで

 

大人に成長できない過程の人々が増えている現代です。

 

 

それは一つには、試練がなく漫然と時間を無駄に過ごしてきたからと云うことが一つと

 

もう一つには、人間摩擦が少なくなっている葛藤不足などが原因のような気もします。

 

そしてまた、

 

あちこちの戦争によって、心や身体に傷ついた者が増え、

 

かつての戦後日本に見られた傷痍軍人などの悩む姿も増えていくだろうことも

 

世界情勢を見ていると予想が出来ます。

 

 

日本でいじめをなくそう・・・などと言ってみても

 

いじめの原因を何かを考えさせようとせずに、ただうるさい者

 

めんどくさいものに蓋をするだけの手法、セーフネットに過ぎず

 

考えることを止めされる方向に導いているようにしか思えません。

 

 

家庭の問題なのか?それとも人格の問題なのか?

 

原因を知り、それに合わせたケースバイケースの対処法が出来なければ、

 

いずれ違う形で発展し社会問題になることでしょう。

 

 

例えば、あおり運転やマウントをとる人間なども、その一つが発現した姿なのかもしれません。

 

そうなって発現してしまうと、成功体験によって、もうそれで良いのだとばかりに

 

元には自力回復して戻れません。

 

罰する・罰してもらうことによる気づきの他に対処する術はありません。

 

警察官も、刑務官も、裁判官もそう云った人たちが居てくれないと商売にはなりませんので

 

ある意味で、健全な社会というよりも

 

乱れた混沌とした秩序と人間が必要悪として存在して商売関係が成り立っていることを思えば

 

これが社会だと思わざる負えませんが、その負の連鎖を断ち切って

 

血族にはその類を出したくはありません。

 

 

その為には、やはり思考方法が非常に重要だと思います。

 

 

悩みの解決法。

 

 

それは、まず逃避せずに問題の分析をすることが第一歩だと私は思います。

 

あらゆる角度から分析してノートに書き写すのです。

 

なるべく数多く書き出すことが最短コースになります。

 

最低でも100個は見つけ出すのです。

 

ループしたり重複する思考に臆せずに、新たな解答を考え抜くのです。

 

そうしていくうちに問題の本質が見えてきます。

 

そして、解決の糸口は一つ一つ糸をほどいていくうちに軟化してほどけていくのです。

 

その結果として、問題が昇華したり解決してしまう事がほとんどですが

 

時限装置付きか?そうでないか?は非常に重要な分岐点です。

 

 

 

学年代表の答辞を述べなくてはならないなどのストレスがあったとして、

 

上手くいってもいかなくても、それは必ず発表の日にちが決まっていて

 

その日その時間が過ぎれば解決することです。

 

 

結婚をする・しない問題や老後の不安などは時間が決められていませんので

 

永遠にまとわりついてくる問題です。

 

 

一度結婚して子供を作って離婚してしまえば、結婚問題は解決しますし子供問題も解決します。

 

安直すぎる解決法ですが、離婚者をそのように思えば、一度は結婚してみたかったということは

 

解決していると思いますが、その次の財産分与問題なども発生する為に、いたちごっこではあります。

 

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問題をなるべく詳細に細分化してみること

 

その自力本願が出来たら、あとは簡単な所からリスク管理と称して潰すように解決していけば、

 

問題の本質が消えてしまうのです。

 

 

しかしながら

 

他人に委ねる他力本願を選択すると、問題が解決しません。

 

 

 

他力本願で有名な日蓮上人は剛腕で著名だった方です。

 

どんな悩みでも聞き入れて解決してくれる人で名を馳せていたので、

 

日本国中に日蓮上人信者が多く居て、創価学会の勢力は益々広がっています。

 

 

日本は、自民党という仏教団体と医師会という宗教団体が後援会を務める

 

宗教派閥で運営されています。

 

また公明党という創価学会の組織派閥も連立を成しているので、完全に宗教派閥が自民党です。

 

 

つまり、支持者たちは自分で病気を治そうともせず

 

心が病んだら宗教という場所に安らぎの救済を求め

 

身体が病んだら医師によって身体を委ね投薬や手術などの救済を待ち、

 

他力本願にすがって生きていると云っても過言ではない現実日本でしょう。

 

 

本来は自力本願によって全てを解決することが重要だと思いますが、いつの頃からか

 

ちょっとでも症状があれば病院に行って、良いか悪いかを聞いてくるという

 

自分の身体の痛みの自己判断も出来なくなってきています。

 

いや自己判断が悪いとさえされている現代です。

 

 

 

かつてとある医者が私に言いました。

 

健康診断は今はもはや意味を成さなくなっていると。

 

何故ですか?と聞くと

 

戦後のかつては、貧乏で簡単に医者に掛かれる時代ではなかった。

 

だから病気が進行して深刻になって、医療技術もまだ未発達であり骨折をしても

 

足を吊るして1か月も3か月も病院で寝ているという時代があったから、

 

早期発見と早期治療を要したが

 

今は手術をして固定してすぐに帰せるほどに技術が進歩した時代になってからは

 

基礎健診で病気を見つけても、自覚症状があってから来院しても、

 

殆ど治癒率のヒストグラムにに変わりはないから

 

自分の身体に聞いて、これは病院に行かなければダメだと思ってから治療を開始しても

 

何とかなって手遅れになることはない。

 

ちょっと気になって病院に行くと薬が処方されて、それは時として誤診による毒となる場合もあるから

 

効いているのか効いていないのか、誤診防止の為に一週間単位での薬害の見極めが

 

非常に重要なんだ・・・

 

などと話してもらったことがあって

 

 

 

心も身体もなるべくなら自分で解決した方が・・・・、

 

そういう意味では、薬害などの健康被害が少なくて済むと思ったことがあった。

 

 

 

心の問題での処方ほど難しいことはない。

 

 

同級生がうつ病の薬を手放さない。

 

聞いてみたところ、辞めたくないというのだ。

 

きっと以前なら辞められるタイミングはあったと思う。

 

しかしもう少し詳しく言い分を聞いてみると、

 

どれだけ薬を飲んででも今の体調と生活を維持する方が重要だと思っての選択をしたのだと云う。

 

 

なるほど、そうかと思った。

 

他力本願だと思っていても、そこが自分にとっての安らぎの場所

 

居場所・拠り所として認めて、そういう場所があることも必要なのだろうと思った。

 

人間は完璧である必要はないのだ。

 

 

解決などしないまま生きていてもいいんだという気持ちにを教えられて

 

そうなのかもしれないと

 

完璧主義というか・・・自分が正しいという穿った考えが

 

剥がれ・崩れ落ちてきていると最近は思っている。

 

 

これは親鸞聖人の歎異抄に似ている。

 

突き詰めていった結果、いやでもそう思っていたけども、やっぱり分からないやというものだ。

 

 

逃避行が悪いことではなく、それによって商売が成り立っていることを思えば、それもありだ。

 

と思えるようになり、

 

 

父の遺影の写真を決める時に、なぜだか笑っている写真ではなく

 

複雑で怒っているかのように思える写真を選んだのは、今まで後悔してきましたが

 

今日このブログを書いていて腑に落ち納得しました。

 

あれは、私の深層心理が今の私へと伝えたかったメッセージだったのだと。

 

 

何故なら、笑っている顔だけなら、どんなことも許されれしまうだろうという

 

全肯定の思いだったと思いますが、複雑な表情で緊張したような、凛とした表情には

 

息子が見る場合において、自分の心を見透かされていて、

 

問われているかのような、見えない会話をしているように思えるので

 

恥じないように生きようと、まっすぐに生きようと思わせられるような表情だったから

 

その一枚の写真を選んだと思えたのです。

 

 

母にとっては、どんな写真でも構わなかったでしょう。

 

しかし息子としては、ただ微笑んでいる写真ではなく、

 

カメラのレンズの奥底を見透かすような眼光鋭い眼差しは、

 

遺影を見るたびに、自分の心を律するのに役立っていて、良かったと思えるようになっています。

 

他人が見ても何も思わないでしょう。

 

これは、親子だからこその感情であり、自分が歳を重ねてくると

 

見方が以前とはまた変わってきているのが分かります。

 

 

自分が遺影に映る歳になった時、どのように子供たちを見つめ思うのだろうか?

 

大体は分かっています。

 

 

これから益々、年金受給年齢は70歳や75歳などのように延長されて、貰える年金も少なくなり

 

いつまでも日本国の労働奴隷として生きていかなければならないほどの時代になるだろう中で

 

本当にこれからの人は大変な思いだと思います。

 

 

中国や北朝鮮、ロシアなどの脅威が存在する中で、マイノリティー人口が少なくなり

 

外国人が幅を利かせるこれからの日本の新モラル時代において

 

墓を守り、生きていくことは至難の業だと思います。

 

 

どんな時代でも大変ではありますが、今は一番幸せな時代のように思います。

 

 

人手不足から給料は右肩上がりになり、転職すればするほど給料が上がる時代。

 

私は、自営業と農家ですので、時代に逆行していますが、

 

これからの人は厚生年金のある会社員がもっとも有利な職業だと思います。

 

これからの時代は、混迷の時代になることでしょう。

 

誰もが悩み、解決の糸口すらも見えない時代。

 

そして誰もが不安になる時代。

 

そんな中で、心の管理方法は自力本願と他力本願があり

 

どちらを選択しても良いけれども、その本質を知った上で選択する必要があるように思います。

 

私のように考えることが大好きな人間には自力本願が良い選択かもしれませんし

 

現実生活が忙しく、それどころではないからヒントを下さいという人には

 

他力本願が良いかもしれません。

 

 

そんな風に思って、とりとめもつかない、

 

大判風呂敷を広げてしまって、上手く収拾がつかなく

 

そして、折り目通りにたためなくなった記事を終わりたいと思います。

 

 

本日も最後までご覧いただきましてありがとうございました。