死と云う意味と戦争と云う無意味 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

先日、友人の父が急逝した。

 

このブログはその当事者でもある彼も見ていることでしょう。

 

2年前に我が父も急逝した。

 

今思えば、時間が経つのは早く、もう2年かと思ってしまう。

 

当たり前だと思って心を諫めてみても、

 

やはりもう少し生きていて欲しかったと思うのは、自己利益のエゴなのだろうか?

 

 

人に死は付きものであり、

 

決してそれは今までも、そしてこれからも無くなりはしない。

 

 

しかし、その内容が非常に重要な事柄であることは誰しもが知っている。

 

 

そして、その内容の中でも、最も無意味な死は、戦死である。

 

 

なるべくの最短期間に、最大多数の人命を奪う努力をすることこそが、戦争の最大目的。

 

 

男は誰もが、一度は兵器を触ってみたい憧れに一時捉われ、心が奪われることがある。

 

モデルガンを撃ってみたり、サバゲーにのめり込んだり・・・

 

刀に憧れてみたり、戦車・軍用バイクなど・・・

 

そして、そのバカな思いは触れたり・所持することによって戦争へ憧れとして駆り立てられ、

 

都合よく利用されてしまうのだ。

 

それを、ここぞと利用するのが国と云う組織構造と、

 

政治家と云うずる賢い種類の人間達なのだ。

 

 

ロシアのプーチンを見れば判るように、

 

またイスラエルのベンヤミン・ネタニアフを見れば判るように

 

国の為にと云って、そしてユダヤ教の為と云った建前を並べて、

 

自分の立場の都合の良いように、相手側と思う人々を平気で無情に殺す。

 

そしてまた国の為にと思い込まされて自分の命を捧げて死を喜ぶのだ。

 

死を喜ばざる負えない状況なのが戦争でもある。

 

死を喜ぶ戦争の内容についてはめんどいので今回は割愛する。

 

 

ジェレミ・ベンサムの提唱する、最大多数の最大幸福が平和であり、その中に私たち

 

誰もが生まれて来たならば、本来は自由を求め、人間倫理や人間道徳の範囲での自由の喜びを・・・

 

そして更に様々な加護を求める為に追求し

 

その平和の果てに、満足して死を迎えることが本来は望ましい・・・

 

と私は考えている。

 

 

そして、その対称的に最もバカらしい死は、自分の為にではなく、人の為にと思って死ぬことだ。

 

 

国のため、人の為にと幻想を抱いて、抱かされて死ぬことなどはもっての外の事だが、

 

国家単位で成り立っているこの世界に於いて

 

現在のアイデンティティーやマイノリティーと云う壮大なる歴史の系譜の価値を

 

紡ぎ維持する為には

 

外敵・外患からの自己防衛の為に、誰かが戦争に赴かなければならず、

 

それによる死を覚悟し、行動を求めに応じて選択することは

 

なかなかに難しい問題と決断でもある。

 

 

だから、決断に時間がかからないようにと

 

あまりみんなが頭が良くなってもらっては困ると日本国は思っている。

 

だから

 

政治家は、戦争での死を・・・NHKなどのテレビメディアを利用したプロバガンダによって

 

それを「誉」または「英雄」「誇り」などと云って賞賛し洗脳する。

 

 

 

しかし、国と云うものに捉われない国家を行き来できる自由人にとってそれは、

 

バカの極みと卑下する。

 

愛国者はそれを、昔は非国民や売国奴と云って卑下する葛藤も理知的人間は経験したであろう。

 

 

死は本来、生命の倫理によって成り立っている。

 

 

昔の人が今もって1万年も生き残っていたりしたのならば、

 

地球の食料事情も含めて・・・100億人では収まりきらず、たまったものではない。

 

故に人は100年の寿命があって新陳代謝を繰り返し

 

時代に合わせて、世界が変わって、自然の恵みとの均衡が保たれている。

 

 

その為に、地球上の健全なる生命の社会秩序維持の為にも、生と死は平等に訪れるのだ。

 

 

だから、各個人は、生まれた事に喜び、

 

課された寿命を漏れなく利用して満足し終える必要があるのだ。

 

 

それを初めて実践したのはエリザベス・キューブラー・ロスさんの死の研究だった。

 

 

多くは、宗教概念によって生誕と死を教えられ、また納得させられる。

 

 

キリスト教信者なら、天使の気まぐれで地上界に降り立ち飼い馬桶の中に産まれ

 

他人の皆に育てられて、死んだら天使に導かれ天界へと戻るのだと信じられている。

 

また仏教思想では、父母もまた修行者であり、死んだら三途の川を渡り、

 

その後、閻魔様に裁定された後に天獄道と地獄道世界へと歩みが分かれ

 

100年の後に輪廻転生し、六道世界に戻るのだと教えられる。

 

もしも人間道の子々孫々の末裔に再び復活したいのならば、五戒を守り生きることを教えられる。

 

 

神道という神社の世界観は、大和王権や天皇家という覇権派閥が

 

八百万の神と云う存在を利用して信仰を集めようと画策し始めた2千年前が始祖であり

 

時に擬人化されたり、霊などと云う存在で表現されたりし畏怖や敬意の対象とし

 

自戒や自尊心などを求めたりしているが

 

死と云うものは、自然現象の植物と同様に人の命もあやふやにされ、回帰と云う言葉はなく

 

供養という言葉で納得させられているのである。

 

 

そのどれもが、死を考えるようになった時の心の救いの為に存在するが

 

それはその人の納得部分がどこにあるかによって違う。

 

 

 

死とは、無情にも・・・と云うか最大100年と云う

 

「限られた命を謳歌する」というリミット的な意味を持ち合わせている。

 

 

場合によっては生後5年と云うこともあるかもしれないが

 

それは、どんな障害を負ったとしても同様に命は平等であることも付け加えておきたい。

 

 

命は平等で、時間に僅かな違いがあるだけだ。

 

それを僅かと思うか否かは人によって違いがあるが、

 

いずれにしてもその来るべき時には満足している必要があるのだ。

 

 

そして戦争とは、それを完全否定し、無意味化する一つの負の出来事だ。

 

決して戦争などはしてはならない。

 

 

せっかくの生命倫理の100年が台無しになってしまう。

 

今、私はその半分を色々とあったが無事に使い切ってしまった。

 

あと20年は、今のままなら無事に生きられるだろうが、残りの30年はきっと

 

フレイルが進み、寝たきりとか

 

介護生活によって苦しい毎日を送らなければならないという

 

厳しい過酷な最後の時間であろうということだけは予想が付く

 

 

昨日もバイクで長距離を走っている時に右膝が冷えたせいか?

 

関節部がこわばって痛くなり、時折立ってみたり、膝を伸ばしてみたりして、右膝をかばっていた。

 

50歳を過ぎると色々と身体のパーツに気を配らなければならなくなってきている。

 

残された自由に動ける時間は、せいぜいあと20年と云った所だろうか。

 

 

暑い中、もしくは寒い風の中で畑を耕し、作物を作り、水を撒き、そうしながら仕事に汗を流し、

 

稼いだ金で、自由にお金を使って好きなものを好きなだけ買う生活。

 

そう考えてみると、人生は天翔ける光の如く刹那の思いだ。

 

絶対に戦争などはしてはならない。

 

 

司馬遼太郎さんが、日露戦争時代に学徒動員で参加して戦車を見たそうだが

 

 

最初は小さな合金製の戦車だったが、戦時下が進むにつれて

 

大量生産された戦車の見た目は大きくなったが

 

射程600mという砲身を少し削ると地金が見えるほどに脆い鉄で戦車全体が出来ており

 

合金を作る国力も疲弊してきたかと察し、

 

タダの鉄の戦車は、戦車の歴史上例がなく、

 

昭和の陸軍首脳部が如何に無能で戦争指導能力に欠けているかを証拠立てており

 

射程1000mの相手からの砲撃にこちらの戦車は耐えられそうもなく

 

日本は負けると確信する事実であったと証言していました。

 

 

日本は国土も狭く、鉱物資源も頼りなく、戦争では今ある武器を使い果たせば

 

あとは抗う術は無く、最後には、そこら辺に生えている竹を切って、

 

竹やりを両手に持って戦う他はなくなります。

 

そんな国に戦争での未来はありません。

 

 

故にいくら最新式の武器を購入して揃えてみても、日本という国土にとっての戦争は

 

武器製造能力のない、または許されていない我が国では

 

武器を使い切るまでの防衛時間を少しでも多く稼ぐこと以外に無意味であり、

 

更にそれに伴う死は、もっと無意味でもあり、カメムシが死ぬのと同様の

 

ミミズが死ぬことと同様に無価値を意味します。

 

 

かつて傷痍軍人が居て、そこら辺で見かけました。

 

私の祖父が憲兵隊の軍人でタンスに銃剣装備の重い銃が奥に仕舞ってありました。

 

28歳で帰ってきてからの生前の前半は、もっぱら生存確認での家族への慰問連絡や
 
所属部隊を確認してからの同僚への共感挨拶をしていたように思います。

 

 

昭和40年代は、マントに身を包み、片腕や片足などを失い、

 

物乞いや音楽の演奏などをして毎日を過ごさなければならないほど、戦争帰還者は過酷でした。

 

 

日本国は残酷です。

 

 

戦争に行ってくれと頼んでおきながら、その後は担当者不在とばかりに面倒を見ません。

 

多少の年金は貰っていたとしても、その割に合うはずはありません。

 

 

今の人はそれを知りません。

 

 

私よりも年齢が上の人たちは、昭和の戦後の暮らしを

 

高度経済成長期として、美化した上澄み部分を見ているかもしれません。

 

 

その沈殿した反面部分で、薪風呂で煙を上げながら風呂を焚いて入っていた時代に

 

傷痍軍人などのように人前に出られないような世捨て人が、共にこの世に存在して居て

 

義手や義足が肌色マネキン人形のようなものを革バンドで身体に括り付けて、

 

同時に暮らしていた事も事実です。

 

 

重要なのは、自分の人生をどのように謳歌することが出来るかです。

 

 

生きることの内容が意味を成してきます。

 

 

そんな相当昔のことを久々に思った「人の死」という出来事でした。

 

 

私も友人も、順当にはかどるのならば、あとは母を見送って最後だねと会話しました。

 

 

その逆にはなりたくないと心に誓いながら

 

残された毎日を楽しく充実して過ごすのか?

 

 

そんな思いを振り返りました。

 

 

最近は、本業も家業の手伝いも忙しく、ロマンや虚学に浸る暇もありませんが

 

時間があれば、バイクに乗って出かけて、ソフトクリームに舌鼓を打ち

 

毎夜のビールに夜の帳を待つ毎日に流され、快楽に堕落し続けています。

 

 

あれほど本を読んでいたのがウソのように、読んでいません。

 

少し脳みそが劣化してきているように思います。

 

と云うことで、死は必ず来るから、

 

それまでに毎日を最高に楽しんで生きることに一生懸命にならなければならないよ

 

と云うことを改めて思い、今日の内容は終わりたいと思います。

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

 

 

 

P・S

 

 

街道をゆくのDVDを昨日買いました。

 

そして現在見ています。

 

やはり司馬遼太郎の言葉は良いものです。

 

 

日本の文化の基礎が朝鮮半島から渡ったという事実については承服できませんが

 

西日本の至る所に、その事実は残されています。

 

そういう意味で云えば、南北朝鮮半島の人々の大素の始祖は日本の奈良にあるのかもしれません。

 

あまりに古い話なので、この話はまた別の機会に。

 

ではまた