プチ旅だったはずが | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

 

過去に1日に700Km走ったツーリングをしたことがあった。

 

今回は疲れ果てて、計算したくもないが、

 

日本地図から察するにやはり700Kmを超えていると思う。

 

ただ記憶があるのは、またハイオクガソリンの給油か?という記憶だけだ。

 

 

以前のその時は、山形を出発し、新潟を経て長野の善光寺蕎麦を食べ、

 

さらには軽井沢を経て東北道を使って山形に戻るルートだ。

 

無駄に距離だけを走る、そういう乗り方を・・・

 

バイク乗り界隈では通称、距離ガバと呼称するらしい。

 

 

朝日を拝んで日立駅を出発し、今日も距離ガバの予感を感じつつも

 

でも、やっぱり走りたいという気持ちの方が強く、のんびりと尻など着かず

 

次の目的地へと向かった。

 

久々に北海道ツーリングの時に感じるワクワク感が身体を駆け巡っている。

 

それとも昨夜飲酒せずに寝たせいで、禁断症状なのだろうか?

 

北海道ツーリングでは、魂の奥底が揺さぶられる1本の凛とした琴線が

 

高周波で揺らぐピンとした印象のワクワク感なのに対して、

 

今回は天気が良いからいい写真が撮れそうだという気持ちや、久々の再会も含めた

 

様々な思惑が入り混じった硬いトレッシングペーパーを丸めてひしゃげるような、

 

そんな触る度にうるさくざわつくようなワクワク感だ。

 

なかなか言葉にするのは難しいワクワク感です。

 

 

朝日を横目にそんなことを思いつつ、初めて訪れる次の目的地へと意識を向けた。

 

 

次の目的地は大洗磯前神社の鳥居だ。

 

神が降り立った場所の岩とされるが、その詳細は分からない。

 

と云うよりもあれほど興味があった宗教概念だったが

 

地元の神社の総代職を辞めて足を洗ってからは、もはや宗教と云うものに興味が失せてきて

 

今は、写真の被写体としての存在価値としてのみ、

 

宗教構造物を見ることの方が多くなっている気がする。

 

 

ただ、鳥居と朝日が撮りたいと思っての訪問だった。

 

 

本当は、鳥居に日の出が合わされば最高なのだが・・・

 

今回は時間的に日立駅からの撮影を優先してしまい

 

それは出来ないから、

 

この28mmの画角に太陽が入るタイミングはギリギリで間に合ったのだ

 

と思って満足しようと心を納得させた。

 

 

色調を変えて日陰色温度で撮影すると、なかなかにドラマチックに見えた。

 

 

鳥居は、この世とあの世、俗世と神域を分かつ境としての認識ですが

 

最近では、道路から川や畑などにゴミを撒き散らかさないようにと

 

鳥居風の構造物が設置されているのが目立ってきている。

 

日本も岸田政策によって外国人受け入れによってマナーが荒廃し、

 

今後も益々、畑との境にミニ鳥居が作られることだろうなどと思いつつ、

 

さて、写真撮影に満足したので次に移動します。

 

 

そうです。

 

ここまで来たら誰もが目指す先は・・・犬吠埼です。

 

銚子港を過ぎ、銚子大橋を渡って左折し、円福寺を過ぎたあたりの交差点で信号待ちをしていると

 

何処からか・・・いい匂いがしました。

 

凄く懐かしい学校給食の時の匂いです。

 

この匂いは何十年ぶりでしょうか?

 

今は学校には給食センターから配達されるから、

 

学校単位で給食室と云うものが無くなっているだろうけれども

 

私たちの頃は、学校には給食室があって、時間になるといい匂いが漂って来ていて、

 

あの時に思った感情が突如沸き起こってきてとても懐かしくなりました。

 

通りを見回してみても匂いの出所が分かりませんが、

 

もの凄く得した感覚になりました。

 

そして早春が過ぎ、青春が過ぎ青年期を過ぎ壮年期に居るのだと思うと

 

無事に生きてきた過去を走馬灯のように振り帰させられた気持ちになり

 

その良い匂いによって、ただ通過するはずだった場所が

 

自分にとって、もう一度ここに来てみて、旧公正会館などの古い建物をゆっくり歩いて散策してみたい

 

 

と印象付ける場所にもなりました。

 

犬吠埼に到着しましたが

 

この日は、時間がまだ早いのか?バイクは誰もいませんでした。

 

 

バイクの位置を変えて再撮影。

 

 

ぐるりと周辺を散策して、次に移動します。

 

 

次の場所へと移動してきました。

 

銚子電鉄の終点駅でもある、駅員の居る外川駅です。

 

 

漏れなく、駅員の居る駅舎でカレーのレトルトを数個購入して貢献しました。

 

 

その後は九十九里海岸線を220円支払って、左手に海を見ながら、

 

そしてどれだけの数が居るか分からないほどの九十九里のサーファーを眺めてひた走ります。

 

 

海は広いし、日本はやっぱり海に浮かぶ大きな島なんだと感じ再確認しながら

 

また、山形県に住む人の顔と福島県、茨城県、千葉県と

 

顔が違うな~などと郷土文化の継承者の違いなどを思い馳せながら勝浦を目指します。

 

 

途中の御宿町の月の沙漠記念館に立ち寄りました。

 

 

2Fに加藤まさをさんの軌跡が展示されていました。

 

 

一言で表すと叙情・抒情(じょじょう)です。

 

 

 

大正時代に書かれた童謡である月の沙漠と云うタイトル

 

砂漠を沙漠と呼び

 

この地が、潤っていることを表したことでも有名な表現。

 

 

ある意味では、北の宮沢賢治、南の加藤まさをと云っても過言ではないほどの

 

メルヘンなファンタジー世界の抒情表現です。

 

 

千恵子抄や与謝野晶子などの完成度の高い詩と云うものではなく、

 

心模様を表したという意味では、時代を超えて私たちに伝えてきます。

 

 

残念なのは、あまり作品が紹介されていないで、月の沙漠という名称だけが先行してしまっており

 

加藤まさをさんの詳しい詳細が無かったことが悔やまれます。

 

 

もっともっと、関連の展示物などで盛り上げて欲しかった記念館でもありました。

 

 

そこを後にして海岸へと足を向けます。

 

 

 

桟橋を渡るとモニュメントがありました。

 

 

ちょうど逆光で像の顔表情が見えません。

 

シルエットだけが浮かび上がりましたので、ちょっとカメラの設定変更をします。

 

 

セピアによって、当時の世界観だろう・・・を想像して表現してみました。

 

 

そして、潤っている砂の沙漠

 

どのようなものかと思って足元を撮影しました。

 

このような砂でした。

 

触ってみると、湿気を伴い、乾燥した砂漠のよう粉のような細かい粒子で

 

風に乗って流れるようなものではなく

 

石を細かく削って砂にしたような重さのある、少し大きな角のある砂粒のように思えました。

 

 

通常、山から削られた土砂が川から流れ、海に流れ堆積する砂を想像しますが

 

海の波に削られたり、隆起したり、風化したり、様々な要因が重なって出来たような砂なのかな?

 

なんて思ったりしながら、砂を手から零れ落ちさせて帰ってきました。

 

 

と云うことで、本日も最後までご覧いただきましてありがとうございました。